退職金は労働者の権利じゃない?

平昌オリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルという素晴らしい結果を出しましたね。

 

リアルタイムでTVで観ると、こっちまでハラハラしてしまいます。

 

オリンピックの上位争いをする選手たちに同等の技術があるのは分かっていましたが、それを出し切るメンタルの強さも実力の大切な一部だと感じました。

 

さて、企業などで働いていると、給料(賃金)を毎月もらいますよね。

 

給料(賃金)とは「労働の対価」のことで、労働基準法支払義務が明確に定められています

 

これに対して、退職金については労働基準法は支払義務を定めていません。

 

ですから、退職金を請求するためには、働いている方(労働者)と企業(使用者)との間で何らかの取り決めがあることが必要です。

 

取り決めとは、例えば企業が就業規則や労働者との契約で退職金を支給すること、その金額の算定基準を定めていることを言います。

 

ですから、何の定めもない企業では、労働者は原則として退職金を請求できません。

 

「でも、前に辞めた先輩は退職金をもらっていたのに」

 

というケースもあるでしょう。

<Designed by いらすとや>

そのような場合に、果たして企業は他の労働者に退職金を支払わなければならないのでしょうか?

 

これが、例えば、その先輩が特別に会社に貢献したことを理由に退職金をもらっていたのであれば、別の人には支払わないことが前提でしょう。

 

この場合には、退職金を請求できません。

 

これに対して、それまで辞めていった先輩が全員、ほぼ同じ基準で退職金をもらっていることもあるでしょう。

 

例えば、「勤務年数×月額賃金給料」というような基準がほぼ当てはまれば、使用者と労働者の間で退職金支払の合意があったと見ることもできます。

 

つまり、退職金の支払が就業規則にも雇用契約にも定められていない場合には、退職金の支給金額が算定可能な程度に明確であることが必要ということです。

 

労働者側から言えば、退職金を請求できるかどうかは、前例の記録や基準がしっかりと証明できるかで判断することになります。

 

使用者側からすれば、全ての従業員に退職金を支払わないのであれば、「原則として退職金は支給しないが、その時の企業の経営状況が良いからこの従業員には支払う」など、個別性を明確にしておく必要があるでしょう。

 

いずれにせよ、退職金は賃金と違って労働者の権利ではないので、使用者も労働者も慎重に対応する必要があるでしょう。

 

労働問題のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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裁判官はココをみる

平昌オリンピックが始まりましたね。

 

最高気温が氷点下の中、頑張る選手達を見ていると人間の底力を感じます。

 

怪我や故障に気をつけて、最高のパフォーマンスを見せてくれることを期待しています。

 

さて、私たち個人や法人のような私人の間の紛争は、最終的には民事の裁判で解決します。

 

民事の裁判に関わったことがない方には、実際に裁判官がどこを見るのかは気になるところでしょう。

 

私も裁判官の仕事をやったことがないので推測するしかないのですが、今までの経験や裁判官が書いた本を読むといくつか重視しているポイントがあります。

 

今回は2つの重視するポイントについてお話しようかと思います。

 

まず、一つ目は「書面」です。

<Designed by いらすとや>

例えば、AがBさんに、「貸したお金200万円を返せ」という裁判を起こしたとしましょう。

 

このとき、Bさんが「確かに、お金はAさんから受け取ったけど、それはもらったもの(贈与)だ」と反論しました。

 

このとき、書面があるかどうかが最も大きく判決に影響を及ぼします。

 

例えば、パソコンで「確かにAからお金を借りました。B」と名前まで書いてあって、そこに認め印でもBさんの苗字の印鑑が入っていれば大きな証拠になります。

 

これに対して、書面がない場合には、Aさんの口座にBさんの名義で毎月1万円の入金がされていても、その200万円の借金返済の証拠とされないこともあります。

 

私たちの社会常識から見ると、ちょと不自然かもしれません。

 

全てをパソコンで作った書面など簡単に偽造できますし、貸金が紛争になっていた時期にたまたまBさんがAさんに1万円入金していたことを重視しないのもちょっと違和感がありますよね。

 

ただ、1万円の入金だけではいくら借りたのか分からず、200万円という金額を認定するのは難しいでしょう(当事者の主張する借金(贈与)の総額がほぼ200万円に一致していれば別ですが)。

 

民事の裁判では、刑事裁判と違って「絶対的な真実」の追求にはそれほど力をいれません。

 

その裁判手続の中でだけ通用する事実相対的な真実)を決めて、それを前提に当事者の紛争を図ろうとするのです。

 

つまり、他に違う考え方や真実があったとしても、紛争解決のためにはその裁判で認定できる事実から判断しようとするわけです。

 

そのためには、「人の言葉よりは、嘘が起きにくい書面を信用していこう」ということになります。

 

そのやり方が良いか悪いかは、私たちが民主主義に従って考えていくことですが、現在は、法律(民事訴訟法など)でそのような制度が定められているのでそれを前提にどう戦うかということになります。

 

では、裁判官が重視する二つめのポイントは何でしょう?

 

これは今のお話から見ると意外かもしれませんが、「当事者や証人の人となり」です。

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書面重視と言った後で、人間重視というのも変に感じるかもしませんがそれは色々な裁判官の書いた本や私の経験から見て事実です。

 

ここで言う「人となり」というのは、貧富とか、社会的地位とかは関係ありません

 

裁判手続で見えてくるその人の人生のストーリーから、客観的に見える部分で判断します。

 

例えば、労働事件で未払残業代をCさんがD社に請求していたとしましょう。

 

タイムカードが見つからなかったので、Cさんの手帳や会社のパソコンのシャットダウンの時間の履歴から残業代を推測して請求しています。

 

ここで、手続がある程度進んで法廷で、当事者(原告・被告)や証人から話を聞くことになった(尋問手続)としましょう。

 

ここで、法廷で話をした内容はもちろん証拠になります。

 

ただ、それ以外にも裁判官が見ているポイントがあるようです。

 

例えば、証言するために法廷に出てきたD社の社長が、ピシッとした背広を着て、裁判官に対して落ち着いて冷静に答えられたとしましょう。

 

これに対して、Cさんは普段着を着てオドオドした態度で、裁判官への答えもしどろもどろです。

 

D社の社長は、法廷に入るときにもCさんに優しく「元気でやっているかね」と声をかけましたが、Cさんは全く無視です。

 

さて、皆さんはこれをどう見ますか?

 

裁判官の心証としては、おそらく残業代の請求権がある」という方向に傾くでしょう。

 

つまり、

① 内面を隠すようなキッチリとした背広

② 法廷に出てきても動じないD社の社長の肝の太さ

③ 法廷でアピールするかのような優しい声かけ

④ それに返事ができないCさんの態度

などからD社の社長とCさんの絶対的な力関係の差が感じられて、裁判官の判断の裏打ちするということです。

 

ここで、見られているのは尋問の内容だけではなく、法廷での姿を通してみた過去にD社でCさんが働いていたときの2人の関係性です。

 

これだけ説明すると「法廷で逆の演技をすればいい」と思う方もいるかもしれません。

 

ただ、先ほどお話したように、事前に「書面」も重視して見られているので、それはなかなか難しいでしょう。

 

法廷に当事者や証人が出る前には、弁護士から裁判所に合計数百枚にわたる主張や細かい字でびっしり書かれた証拠が出されています。

 

その主張の中で言っていたことや提出した証拠と矛盾しない言動を、法廷で演ずることはとても難しいと思います。

 

このように、客観的な書面などを踏まえて、法廷などで当事者や証人の「人となり」を見られるということなのです。

 

それを考えると、私たち弁護士の仕事も、法律的な主張を書面や口頭でするだけでなく、依頼者のプロデュース的なことも大切になるのでしょうね。

 

 

「裁判手続で知っておきたいこと」の過去記事はこちらへどうぞ。

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相続で所有者不明になる土地と私道

最近、全国で雪が積もる風景がTVで報道されていますね。

 

静岡市に住んでいると、まるで他の国の風景を見ているようです。

 

例年通り今年も一度も雪は積もらず、晴れの日が続いています。

 

私が生まれてから現在まで、静岡市内で雪が積もったのを見たのは2回だけなので、静岡市の子供たちはTVを観てうらやましがっていると思います。

 

静岡市の魅力を伝えるコピーとして「本州に沖縄があった!」などがいいかもと、しょうもないことを考えてしまいました。

 

さて、土地を売ったり、買ったりするときに、その土地に通じている道路の幅や所有者が誰かは気になりますよね。

 

土地があっても、出入りする道路がなければ土地を利用できません。

 

その道路、必ずしも公道とは限りません。

 

住宅街の道路には周囲の土地所有者が土地の一部を出し合って、共有にしている「私道」がよく見られます。

 

ですから、土地を売買するときには道路の所有者を確認して、土地の所有者が道路の持分を持っていれば、その持分も一緒に売買する必要があるのです。

 

ところが、最近、誰も住まなくなってしまった住宅が増えているという問題が起きています。

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私の経験した事案でも、土地の所有者が亡くなって相続の登記がされないままでいるうちに数十年経過してしまったというケースがあります。

 

亡くなった所有者が世帯主でなかったため住民票(除票)の調査もできず、本籍地が分からないので戸籍事項の確認もできませんでした。

 

そのため、相続人が不明になり、その土地の所有者が不明のため、「共有の私道」の持分を持っている人も不明となります。

 

この場合、道路が「共有の私道」だとしても、その下には水道管など公共の設備が通っていたりして、周囲に住んでいる人にとっては生活のために必須の工事があったりします。

 

ところが、民法では共有物の管理や変更について制限を設けています。

 

共有物について

① 物理的に変更するような処分行為にあたる場合は「全員」の同意が必要

② 性質を変えない範囲での利用、改良「過半数」の同意で可能

③ 現状を維持するような保存行為「単独」で可能

と定めているのです。

 

そのため、道路工事をする場合は通常は①にあたるので、共有者全員の同意がないとできません。

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そうすると、私道の共有者の1人でも不明になると水道工事ができないことになったりして、他の共有者の生活に悪影響が出てしまいます。

 

このような相続に伴って所有者不明となる土地・建物はこれからも増えていくでしょう。

 

そこで、先日、2月1日に、法務省は、所有者の一部が所在不明になっている共有の私道について、補修工事などが円滑にできるよう同意の取り付け範囲のガイドライン(指針)を出しました。

 

ガイドラインでは、
共有私道が陥没したため、穴をふさいで再舗装したい場合
私有の水道管を共有私道の下に埋設したい場合
などは共有者の1人の単独の判断で工事ができるとしています。

 

つまり、工事をしないと周囲の住んでいる人が困るケースについて、民法の「保存行為」にあたると公的な解釈の方針を示して、共有者の1人の同意で工事が出来るとしたのです。

 

もっとも、民法の従前の解釈では、共有私道を掘り返して水道管を埋設してしまうような行為は、全員の同意が必要な処分行為だと私は思います。

 

新たな紛争の種にならないことを祈ります。

 

また、所在不明の共有者の土地から木の枝が伸びて共有私道の通行の妨げになっている場合でも、他の全員の同意があっても勝手に枝を切ることはできないとしています。

 

実は、これも民法に定めがあって、木の枝については土地所有者に対して切除を請求はできるのですが、いくら邪魔でも勝手に切ることはできないのです。

 

これに対して、根が私道に伸びてきて私道の利用が損なわれるときには、勝手に切っても構いません。

 

これはお隣同士でも同じです。

 

お隣の木の枝が自分の土地に伸びてきていくら邪魔でも勝手に切除すると損害賠償請求される危険があります。

 

でも、伸びてきた根を切る分には勝手にやって構わないということです。

 

隣に植えた竹から自分の土地にタケノコが生えたので、切って食べてしまっても実は適法です。

 

竹は建物の基礎を壊すとも言われて嫌われているので、あまり住宅に植える人はいないとは思いますが・・・

 

いずれにせよ、相続によって所有者不明の土地が増えていくと多くの人が困るので、いずれ抜本的に法律で解決する必要があるのでしょうね。

 

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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「はれのひ」は詐欺にならないの?

先週の土曜日に、静岡駅ビルのパルシェで民法(債権分野)改正の研修会があったので行ってきました。

 

実際に改正民法が適用されるのは、東京オリンピック開催の年である2020年の4月からです。

 

皆さんの生活にも大きく関わってくることもあるので、また機会をみてお話していきたいと思います。

 

さて、着物販売レンタルの「はれのひ」が、先週の金曜日(26日)に破産申立をして、裁判所破産手続開始の決定が出されたと報道されています。

 

多くの人が、成人の日に何も言わずに行方をくらましたやり方に卑怯だとおもっているでしょう。

 

その点については、私も同感です。

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ただ、それが「詐欺」にあたるか?というと結構高いハードルがあります。

 

まず、この事件で「詐欺」として責任を追及したいという場合、法律的には2つの意味があります。

 

一つは、刑法に定めた詐欺罪として逮捕して犯罪として処罰して欲しいという意味です。

 

仮に詐欺罪にあたると、被害額が数千万になりますので、全額をお客さんに返金しない限り実刑(刑務所いき)でしょう。

 

二つ目は、破産手続開始決定がされたとしても、債務を免除する決定(免責)を認めないようにして欲しいという意味です。

 

破産法では、破産手続開始決定(1月26日)から1年以内に、明らかに破産するしかない状態なのに、経営が良いかのように顧客を欺してお金をとったような場合には裁判所が免責を認めません。

 

さて、「はれのひ」の社長がやったことは、詐欺罪になったり、破産手続で債務の免除が認められないのでしょうか?

 

まず、「詐欺」というためには、お店でお金を顧客から受け取る時点で、社長がどう見ても破産しかなく、破産したらお金を返せないことを認識しながら、各店舗の従業員に営業の指示を出していなければなりません。

 

しかし、報道で見ていくと、
最後の注文を受けて顧客からお金を受け取ったのは昨年12月中旬で、
破産(閉鎖)を決断したのは成人式の前の日の1月7日の18時~19時
と言っています。

 

これを「詐欺」に照らし合わせていくと、

→ 最後の顧客からお金を受け取るときには経営破綻までは認識していない

→ お金を受け取った時点では、晴れ着を渡せなくなるとは思っていなかっ
 た

→ 晴れ着を渡せると思ってお金を受け取った

→ 顧客を欺すつもり(詐欺行為・詐欺の故意)はなかった

ということになります。

 

そのため、昨年の12月中旬頃の経営を調べて、誰が見ても破産を前提にしていたはずという証拠がなければ、詐欺罪での立件は難しいのです。

 

そして、いくら莫大な債務を負っていたとしても、会社の資産の一部を売れば当面の資金はあったと主張されると、詐欺の証拠はないことになります。

 

もっとも、社長を詐欺だとして、刑罰を下したり、債務の免除(免責)しなかったからといって顧客が救われるわけではありません。

 

大切な成人の日を台無しにされてしまった事実は消えません。

 

でも社長を罰するより、顧客が支払った数十万円ものお金を返してもらったり、買った振り袖などを引き渡してもらうことの方が大切でしょう。

 

実は、破産手続で、このような消費者被害が出て返金などの問題が生じることはときどきあります。

 

静岡県では、富士ハウスというハウスメーカーが破産した時には、顧客1人あたり数千万円のお金が返ってこないという深刻な被害がでました。

 

その時には、弁護団の要請もあって、裁判所から選任された破産管財人が顧客をできるだけ救済できるような工夫をしました。

 

今回、これほど大きな問題となったのは、成人の日という一生に一度の日に振り袖などの晴れ着が来ないこと、そしてそれが当日まで分からなかったことが理由でしょう。

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それを考えれば、被害者に対して何らかの救済があると良いですね。

 

借金問題ご解決方法についてはこちらをご参照ください。

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相続で配偶者保護など大きな改正が

今週は大寒波が日本を襲うという天気予報が出ていますね。

 

静岡では考えられない最低気温マイナス3℃という週間予報がされているので、寒さが苦手な私は今から防寒対策を考えています。

 

東北や北海道の方から見ると「甘い!」と言われそうですが・・・

 

さて、今日、月曜日から始まる通常国会に、民法の相続の分野についての改正案が提出される予定と報道されています。

 

いくつかの新聞記事を読んでいると、重要な改正箇所については、今まで私たち実務家が疑問に思っていた点についても改良がされています。

 

改正案が成立するときには修正が入るでしょうが、大筋での方向は決まっているはずなので、その点について予備知識として考えてみました。

 

まず、配偶者を保護する方向性が打ち出されています。

 

その一つとして、配偶者の法定相続分を増やすことが検討されています。

 

今は、配偶者は遺言がなかった場合には、配偶者と子が相続したときに、配偶者は法定相続分として遺産の2分の1を相続します。

 

それを、結婚期間が長い配偶者について3分の2に増やすことが検討されています。

 

離婚する場合に配偶者に2分の1財産分与するのですから、相続する配偶者が3分の2相続するのは自然に思えますよね。

 

配偶者保護の二つ目として、「配偶者居住権」という権利を新設することが提案されています。

 

これは、親子の間で相続争いが起きてしまったときに、配偶者に夫(妻)と住んでいた自宅に居住する権利を与えるのが目的です。

 

そして、色々な理由で親と子の関係が上手くいっていない場合に、親が住んでいる家の相続の居住をめぐって問題がおきます。

 

例えば、夫婦に長男・長女がいる家庭で考えてみましょう。

 

父親が死亡したとき、母親と長男・長女との折り合いが悪く(母親が悪いか子供が悪いかは別として)、母親が住んでいる自宅を売却して金銭で分けたいと長男・長女が提案してきたとします。

 

ここで、母親(配偶者)が自宅を取得するためには、長男・長女に土地・建物の価値の2分の1に相当する金銭を支払うなどしなければなりません。

 

そこで、土地・建物お金にの価値が4,000万円と評価された場合には、母親(配偶者)は2,000万円を支払うことになります。

 

でも、母親(配偶者)は、自宅の土地・建物に修正住めれば良いだけで、売却してお金にかえたいとは思っていないことが多いですよね。

 

そこで、終生住むことができる配偶者居住権という権利を作って、その価値を例えば自宅の価値の40%に設定したとしましょう。

 

その場合、母親(配偶者)が子供たちに支払わなければならないお金は、

4,000万円×1/2×0.4=800万円

となるため、相続した金銭や母親(配偶者)の預金から支払うことをしやすくするということです。

 

もっとも、その場合、母親の年齢や健康状態によって配偶者居住権が消滅する時期が大きく変わるので、どう評価するかで争いになるかもしれません。

 

更に、配偶者保護として、結婚してから20年以上たった夫婦については、夫(妻)が配偶者に自宅生前贈与したり、遺言で「与える」と書いた場合には、それを遺産分割から外して配偶者のものにするという規定も提案されています。

 

そして、配偶者保護と同時に不公平だと考えられてきた相続人以外の親族による介護を無視する制度を変えていきます。

 

簡単に言うと、同居して義父母の介護に苦労したお嫁さんなどに金銭を請求する権利を与えようとするものです。

 

今までは、嫁いできた妻は、自分の日常生活を犠牲にして義父母を介護しても「あなたは他人だから」と相続で除外されてきました。

 

それを変えて、相続の中で介護の苦労を金銭で評価しようとするものです。

 

もっとも、デイサービスの利用状況によっても介護負担に差があったり、他の相続人から見ると「亡くなる直前まで元気でほとんど介護の苦労はしていない」という異論もありそうです。

 

「どういう場合に、いくらの金銭の請求ができるのか?」を一律に定めるのは難しそうです。

 

ここも、相続で新たな争点になるのかもしれません。

 

制度を変えた場合、むしろ争う部分が増えるのかもしれません。

 

でも、人はそれぞれ別々の生活をして死を迎えますので、相続のことを一律に法律で定めること自体が無理だと思います。

 

やはりそれぞれの家族の実態にあった公平な相続制度に変えていくことは必要なのでしょう。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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不倫が裁判で認められるには

寒くて乾燥する日々が続いていますね。

 

皆さんも、風邪などひかないように体をご自愛ください。

 

さて、不倫、法律用語で「不貞行為」が裁判で認められるにはどのような事実が必要でしょうか?

 

有名人で、一緒にホテルの部屋で一晩過ごしても「打合せしていただけ」というような説明がなされることがありますよね。

 

裁判では、このような反論は認められるのでしょうか?

 

ひとまず、裁判では不貞を被告側が争う場合には、ありとあらゆる主張をしていきます。

 

ですから、先ほどのような反論も珍しくありません。

 

というか、もっと凄い反論がされます。

 

例えば、妻が夫に「好きな人ができた」と言って自宅を出て行って、男性が住む家に自分用の部屋を作って同居しました。

 

当然、その男性と不貞行為があったと、夫はその男性に慰謝料請求をしますよね。

 

その裁判の被告の反論で、
妻が「好きな人」というのはその男性ではない
その男性は、妻と同居していたのではなく、一部屋を間借りさせただけ
という主張がありました。

 

日常生活ではなかなか無いやりとりだと思いますが、裁判では当然のようにこのような主張・反論が繰り返されます。

 

この事案では、裁判所はさすがに不貞行為の存在を認めました。

 

不貞が疑われているとき、男女が同じ部屋や同じ建物に2人だけで宿泊すれば基本的には不貞の推定は働くようです。

 

では、宿泊までいかない場合はどうでしょう?

 

夫が単身赴任で社宅に住むことになりました。

 

妻が、夫の高校の同級生の女性とメールが頻繁に行われていたので不審に思って調べたところ、夫の社宅で一緒に鍋料理を食べていたことが分かりました。

 

妻からすれば、単身赴任先の社宅で女性と2人で鍋料理を食べていれば、不倫があったと思うのが普通でしょう。

 

しかし、この裁判では不貞は認められませんでした。

 

高校の同級生だったことや、年齢が二人とも50才代だったこと、それ以外に具体的な証拠がないことなどが理由でしょう。

 

このとき、鍋料理を食べただけでなく、夫の社宅に一晩宿泊していれば、不貞が認められたと思います。

 

もっとも、いくら仲の良い男女の友人関係でも、結婚したら1対1で一方の部屋で料理など食べない方が良いことは確かでしょう。

 

疑いを晴らす手段がないので、いつまでの夫婦の溝になりかねませんので。

 

宿泊までいかなくても、良く不貞が認められるのはメールやLINEの内容からです。

 

ただ、連絡を取り合っていただけでは駄目ですが、メールやLINEの内容が普通の人が見れば、性交渉がなければ書かない内容ってありますよね。

 

裁判所が不貞行為を認定したメールやLINE内容としては、

「お休みchu」⇔「愛している」などのやりとり

「愛を受け止めて」⇔「奪いに行く」などのやりとり

「また、襲われちゃうかも?」⇔「襲いに行くよ。愛してるし」などのやりとり

などがあります(家庭の法と裁判(日本加除出版株式会社)・2017年10月号・大塚正之弁護士の引用判例を一部参照)。

 

裁判例を色々と見ていくと、週刊誌もビックリの下ネタ的な証拠も沢山ありますが、ここは一応上品なものだけを。

 

裁判官は「事実を確定して、そこから推測する」という思考方法をとります。

 

そのため、不貞にダイレクトにつながる事実を証明できる証拠が強いのです。

 

元同級生の男女が、男の部屋で鍋とつついていた(宿泊なし)という事実からは、ただの友達という可能性も否定できません。

 

でも、「お休みchu」「愛を受け止めて」「襲われちゃう」というメールやLINEのやりとりがなされていたらどうでしょう?

 

仮に、皆さんが性交渉のない相手に、そのような内容のメールを送信したとしましょう(そんなこと自体普通しませんが)。

 

その場合、相手からその内容を当然とした返信があるでしょうか?

 

仮に、相手が好意を持っていたとしても、一旦は慎重な返答が返ってくるのではないでしょうか?

 

ということで、LINEやメールは、その内容と相手からの返信で、関係の深さが証明しやすい証拠なのです。

 

不貞行為で訴訟を起こす前に、夫(妻)のスマホをチェックというのはもはや常識になっているかもしれません。

 

しかし、最新のiPhoneⅩのように顔認証ということになると、寝ている間にこっそり指で押させて指紋認証クリアという方法も難しくなっていきそうです。

 

怪しいと思っているときにスマホを顔認証に変えたらいよいよ後をつけるしかないかもしれません。

 

逆に、スマホを顔認証のモデルに変えるタイミングに注意しないと無用な疑いを夫(妻)にかけられてしまうかもしれませんので御注意を。

 

「不倫と慰謝料」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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警察の「だまされたふり作戦」は許される?

新年おめでとうございます。

 

今年もより良い法的サービスを皆様に提供していくように精一杯努力していきます。

 

昨年に引き続きよろしくお願いいたします。

 

さて、昨年も多発したいわゆる「振り込め詐欺」「受け取り詐欺」「還付金詐欺」などの事件。

 

ある程度の預金などがあって欺されやすいターゲットとして、高齢者世帯を狙う卑劣な犯罪ですね。

 

方法は色々ですが、これらを警察や検察庁では「特殊詐欺事件」という総称をつけて非常に厳しい対応をしています。

 

最近では、金融機関のガードが堅くなっているため振込をさせることが難しくなっています。

 

そこで、加害者らは、直接金銭を運ばせたり、レターパックで遅らせたりする「受け取り詐欺」方式を使うようになっています。

 

この場合、一番、警察に捕まりやすいのは誰だと思いますか?

 

過去に頻発した身代金目的誘拐事件のときにも言われていましたが、お金を被害者から受け取る瞬間での逮捕が一番多いのです。

 

つまり、特殊詐欺事件で捕まるのは、 

① 振込形式の場合には、受取人となっている口座の名義人

② 現金で受け取る形式の場合には、被害者が自宅や駅で現金を渡すときに受け取りに来る人(いわゆる「受け子」)

がほとんどということになります。

 

実際、私が国選弁護人の担当日に振られた事件の中で、特殊詐欺事件として15件程度経験していますが、ほとんどが①②で、首謀者に近い被疑者は1件しかありません。

 

首謀者たちは、何時でも切り離せるように、偽名を語り別人名義の携帯電話で受け子に指示をだしています。

 

結局、受け子が逮捕された時にはトカゲが尻尾を切って逃げていくように姿をくらますのです。

 

受け子がどうしてそんな危ない仕事を引き受けてしまうのか?と不思議に思うかもしれません。

 

その理由は二つです。

 

一つは、無職だったり、借金に追われたりしてお金に非常に困っているため、目の前の2~3万円の報酬に飛びつかざるを得ない経済状態にあること。

 

もう一つは、判断能力が低かったり、倫理観が薄かったりして、受け取りに行くことの違法性や重大性をほとんど理解できていないこと。

 

ただ何時も不思議だと思うことがあって、私は被疑者に聞いていることがあります。

 

「あなたは被害者から300万円を現金で受け取ったんだよね?」

 

「本当にお金に困っていたから、その2~3万円の報酬のためにやってしまったということだよね?」

 

「どうして、300万円を首謀者たちの言うままに駅のトイレに置いてきちゃったの?同じ悪いことをするのなら300万円をそのまま横取りしてしまえば1回ですんで、100回悪いことをしなくても良いはずだよね?」

 

ということです。

 

もちろん、被害者のお金ですから300万円を横取りしてはいけないのですが、もし多くの受け子が横取りするようになれば、受け取り詐欺自体が成り立たなくなるので犯罪が減ると思うのです。

 

結局、明確な答えが被疑者からもらえることはないのですが、私の感じたところでは、受け子の判断力が非常に低いことと、首謀者グループに対して抱いている恐怖感が横取りをさせないようにしているのでしょう。

 

さて、警察がこの受け子を逮捕する方法として「だまされたふり作戦」があります。

 

これは、首謀者の一人が被害者に電話をしたけれども、被害者自身やその親族が気がついてお金を渡す前に警察に通報した場合に行われます。

 

警察は、被害者に「だまされたふり」をしてもらって、警察官が被害者の親族役で同行して、被害者が受け子にお金を渡した瞬間に身分を明かして受け子を逮捕します。

 

受け子がお金を受け取るときに、「だまされたふり」をしている警察官は、受け子に「電話連絡をもらって必死にかき集めたお金です」という趣旨のことを言うことが多いです。

 

ここでは、警察官が受け子をだましていることになりますね。

 

どうしてそんなことを言うのかというと、受け子が後で「封筒の中味はただの書類だと思っていた」などと言って、現金をだまし取る故意が無かったと言わせないためです。

 

弁護人としては、警察官が受け子をだまして証拠を作っていることや、受け子は既にだまされていない人(警察に協力している被害者)から現金を受け取っているだけなので、
「そもそも詐欺(未遂)の実行行為があるのか?首謀者の影響は続いているのか?」
という点が非常に気になります。

 

その点を考慮して、平成28年に福岡地方裁判所は、受け子について詐欺罪の成立を否定して無罪判決を下しました。

 

もちろん、検察官としてはこのような判決を認めるわけにはいかないので控訴・上告しました。

 

その結果、福岡高等裁判所で逆転有罪判決が出され、先月、最高裁判所でも詐欺罪の成立を認める有罪判決を支持して確定しました。

 

福岡地裁の無罪判決から逆転有罪判決が確定したということです。

 

最高裁の理論は次のとおりです。

 

受け子の受け取り行為は、首謀者らが被害者を欺そうと計画した上で被害者に電話をかけた行為(詐欺の実行行為)と一体の行為である。

 

そのため、受け子が首謀者らの電話の指示を受けて受け取り行為を行うことで、首謀者らの詐欺の実行行為を受け継いでいるから、氏名不詳の首謀者らとの共犯が成立する。

 

ちょっと理屈っぽいですね。

 

より簡単に言うと、首謀者らがおこなった詐欺行為と受け取り行為は一体だから、被害者がだまされていないで受け取ったとしても、受け子は首謀者らの責任を引き継ぐということです。

 

これのように時間的に前の人の行為を受け継ぐ共犯関係を法律用語では「承継的共同正犯」と言います。

 

私個人としては、最高裁の判断には理論的に突き詰めると疑問を感じるので、きっと学説では反対意見もあるだろうとは思います。

 

「刑事罰を受ける範囲を、筋道立てて私たち国民に説明できるように明確にしなければならない」という憲法上の要請もあるからです。

 

もっとも、特殊詐欺には厳しく対処していかなければならないのも事実なので、悩むところではありますね。

 

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 刑事事件のお話 |

NHKを見なくても受信料を請求されるワケ

先日、富山県南砺市の五箇山(ごかやま)というかやぶき屋根の建物が残っている所に行ってきました。

 

雪が降った後で、静岡では見られない独特の風情が感じられました。

 

駅の近くから山の方向を眺めると、巨大な観音像にビックリ。

 

寄り道とは言え、楽しんで来られました。

 

さて、今月の6日にNHKが私たち視聴者から強制的に受信料を徴収する制度合憲とする最高裁判所の判決が出ました。

 

この訴訟はNHKが受信契約の締結を拒んだ人を相手に、受信料の支払を求めた裁判です。

 

TVを設置してもNHKは観ないという人にとっては、受信料の支払いは疑問に思われるでしょう。

 

TVを買った人の全てがNHKの放送を受け取る契約をしたいと思っているわけではないことは確かです。

 

日テレ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日のような民間放送業者を観られれば良いとか、オンデマンドで好きな番組だけ観られれば良いという人も多くなっている時代でしょう。

 

とすると、「TVを買ってもNHKとは契約をしない」という選択をしても許されそうな気もします。

 

日本の憲法が契約の自由を保障している以上、本来、相手(NHK)から契約の締結を強制されることはないはずです。

 

ところが、放送法64条1項は、TVを買って設置した人はNHKと「その放送の受信についての契約をしなければならない」と定めています。

 

そこで、この法律が私たちの憲法上の権利を害さないかが問題となりました。

 

具体的な条文としては、

①契約の自由(憲法13条・29条)→無理やり契約をさせられる

②知る権利(憲法21条)→契約をしないと公共放送を観ることが出来ない

という問題です。

 

実は、この放送法が制定される前の「無線電信法」の時代には、そもそも受信機(今でいうテレビ)を置くのに許可が必要でした。

 

しかし、それでは私たち国民が情報を得ることが大変になってしまいます。

 

そこで、無線電信法を廃止して今の放送法を制定し、NHKと民間放送を認めることとし、受信機(テレビ)の設置に許可は不要としました。

 

ここではNHKは公共放送ということで、政府やスポンサーの意向に左右されることがないようにしなければなりません。

 

そこで、監督を経営委員会という組織に任せて、その委員は両議院の同意を得て内閣総理大臣が選任するとしました。

 

これにより、私たち国民が選挙を通じて国会(両議院)→経営委員会を民主的にコントロールできます。

 

更に、民間放送のようにスポンサーから資金調達すると報道が偏ります。

 

そこで、NHKは、受信機を取得した人=視聴者全員と契約をして料金を徴収することとしたのです。

 

そうすれば、視聴者がいわばスポンサーですから、NHKは視聴者全体が望むであろう情報を公平に流すことができます。

 

最高裁判所はこの点に着目して、偏らない報道から私たち国民が中立な情報を得ることができるので、例えば投票の判断を適切に出来るなど健全な民主主義の発達に必要だと認めました。

 

但し、だからといって、「NHKが一方的に通知しただけで契約の成立まで認めて良いのか?」という問題は残ります。

 

契約締結の自由を保障しているのに、一法人に過ぎないNHKの通知だけで私たちとの契約が成立してしまうとなると、やはり個人の考え方の尊重(憲法13条)や私たちのお金という財産権(憲法29条)を害する恐れがあります。

 

実は、NHKは裁判では、上のように「TVを買った人にNHKが通知しただけで契約が成立する」と主張していました。

 

しかし、最高裁判所は、その考え方は採りませんでした。

 

逆に、料金の支払いを拒んでいた被告は、「仮に契約が成立するとしても、それは判決が確定した時だから、料金も判決が確定してから発生する」と主張しました。

 

でも、被告の考え方をとると、真面目にNHKの料金を支払っている人の方が損をして、裁判で争って引き延ばした人の方が料金が少なくて済むことになってしまいます。

 

そのため、最高裁判所は、被告の主張も採用しませんでした。

 

結論としては、「契約は(法律の執行としての)判決確定時に成立するが、料金はTVなどの受信機設置時に遡って発生する」としたのです。

 

つまり、当事者が意見を言った上で、裁判所の判決がなされなければ契約が成立しないとして、私たちの契約の自由を尊重しつつ、真面目な人が損をしないような内容としたのです。

 

そして、被告は「過去の受信料請求権は時効で消えた」と主張していましたが、判決では「判決により過去の全ての受信料請求権が発生し、判決確定後10年間はその請求権は時効で消えない」としてその主張も認めませんでした。

 

このようにして、視聴者全体の利益についてバランスをとったのです。

 

一見、憲法や法律だけで動いているように見える判決ですが、実は、裏では様々な利益関係の調整も考えています。

 

私も、そこが分かるようになって初めて法律の勉強の面白さが分かったように思えます。

 

頭が硬そうに見える裁判官や弁護士も、心の中では色々なことを考えているということなんですね。

 

いずれも、ポーカーフェイスだったり、自分の気持ちと逆の言葉を言ったりするので、なかなか理解されにくいのが難点ですが・・・

 

「日常生活の法律問題」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 日常生活の法律問題 |

知らないうちに自分の子供が生まれていたら?

最近の刑事事件では富岡八幡宮の女性宮司が殺された事件で、宮司の地位を誰が継ぐのかで争いになっていたことが報道されていますね。

 

莫大な収入が非課税で入ってくる地位を被害者の姉に奪われたと恨んでいた弟の犯行とのことです。

 

信教は歴史上も、お金や領地を広げるための殺し合いの道具として使われることがあることは知っていましたが、現代の神道で行われるとは想定外でした。

 

宗教の教義を敬虔に守っている人たちにとっては迷惑な話でしょうね。

 

さて、
「子供の本当の父親を知っているのは母親だけ」
という、男性にとっては何とも怖いジョークを聞くことがあります。

 

もっとも、結婚しているうちに生まれた子は夫の子と推定されますので、法律上問題となるのは結婚していなかったり、別居していたりした場合です。

 

昨日の12月15日(金)に奈良家庭裁判所で、
夫が「妻が夫の知らないうちに無断で夫の子を産んだから親子関係はない」
という珍しい主張をした事件の判決が出ました。

 

実は、夫と妻は仲が悪くなって別居していて離婚目前でした。

 

ところが、妻は子供がもう1人どうしても欲しかったのです。

 

妻は、まだ夫婦仲の良かった2010年に、不妊治療のために夫の精子を妻の卵子が受精したいわゆる「受精卵」を10個凍結保存していたのを思いだしました。

 

その2010年には、そのうちの1個を母親(妻)の子宮に戻して長男を産んでいました。

 

その後、夫婦関係が悪くなって別居したのですが、夫の方は凍結した残り9個の受精卵はノーマークでした。

 

そこで、妻は、子供がもう1人欲しかったのか、女の子が欲しかったのか分かりませんが、別居中に無断で残りの受精卵から1個を自分の子宮に戻して、長女を産んでしまったのです。

 

驚いたのは夫でしょう。

 

別居して離婚を目前にしていて、妻との性交渉は全くないときに
「あなたの子供です」
と言われて子供が目の前に現れたのですから。

 

そこで、夫は、無断で凍結した受精卵を使った場合には、遺伝子上は父子の関係があるとしても、法律的には父子関係はないと主張しました。

 

父子関係が認められれば、これから18年~22年の間、養育費を支払わなければなりませんし、自分の相続についても希望通りに相続させることがやりにくくなってしまいます。

 

DNA型の鑑定をすれば自分の子供と診断されるけれど、法的に自分の子供ではないから認知や養育の義務がなく、相続なども生じないと主張したのです。

 

気持ちとしては分かりますよね。

 

普通に考えれば、無断で受精卵を使った妻や、夫の同意を得ないで受精卵を移植した医師が悪いとしか思えません。

 

ただ、考えなければならないのは、生まれてくる子供には責任は全くないということです。

 

民法が体外受精の技術がない時代のものであることや、受精卵の無断移植をめぐって争いになる裁判が過去になかったことから、奈良地裁の裁判官も相当悩んだと思います。

 

裁判所の結論としては、父子関係を認める方向となりました。

 

まず、体外受精において法的な父子関係を認めるためには、移植時に夫の同意が必要だとしました。

 

もっとも、婚姻中の夫婦の場合にはさきほどご説明したとおり、夫の子と推定される規定があります。

 

裁判所は、別居はしていても、夫が妻宅を訪問していたことから、夫の子という推定は働くと判断しました。

 

この場合、夫は「嫡出否認の訴え」という訴訟を起こす必要がありますが、通常はこの訴えにより父子関係が否定されるのは父子関係がDNA型の鑑定で否定されたような場合です。

 

しかも、この「嫡出否認の訴え」というのは、夫が子供が生まれたことを知ってから1年以内にする必要があります。

 

これは、生まれてくる子供の地位を安定させようという配慮からです。

 

この事件でも、受精卵の無断移植で長女を出産したのが2015年ということですから、1年間の期限は過ぎているでしょう。

 

また、DNA型の鑑定でも父子関係は認定されてしまいます。

 

結果的に夫は法的にも自分の子供と認めざるを得なくなるということです。

 

これからは、凍結した受精卵があるときには、夫はその管理をしっかりとしておく必要があるでしょう。

 

そうでないと、「知らないうちに自分の子供が増えていた」という夫には笑えないことが起きてしまうかもしれません。

 

医学や科学技術の進歩で不思議な世界になってきているように思えますね。

 

離婚の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 離婚のお話 |

元号の変更と憲法・仕事

12月に入って町にも店にもクリスマスの音楽が流れていますね。

 

もうクリスマスと年末が近づいているのか~と時が過ぎる早さを実感しています。

 

さて、最近のニュースでは天皇陛下が2019年4月30日に退位することが決まったと話題になっています。

 

ということは、「平成」という元号は平成31年4月30日をもって終了することになります。

 

次の元号はまだ決まっていないようですが、元号を大学や会社の名前に使うことが多いので、裏では情報戦が繰り広げられているような気がします。

 

現在の日本国憲法には天皇制は定められていますが、元号は定められていません。

 

これは、元号法という法律で「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」と定められています。

 

つまり、元号は天皇陛下の地位とセットということになります。

 

私たちの国でこの天皇制を維持するためには、憲法に天皇制を制度として必ず定めなければいけません

 

もし、法律だけで天皇制を定めてしまったら、その法律は「違憲無効」となってしまいます。

 

なぜなら、世襲(生まれ方)の天皇制を国の制度で定めることは、
国の統治の大事なことを全て国民が定める」という民主主義や
「生まれによって公的な地位を与えてはいけない」という法の下の平等
という他の憲法の規定に反するからです。

 

そのため、戦後、現在の日本国憲法を定めるときには、天皇制を維持するためにどのように憲法に位置づけるかが熱く議論されました。

 

もともと、明治時代に成立した大日本帝国憲法では、天皇陛下には「国の元首にして統治権」を有すると定めて実質的な権力を付与していました。

 

もちろん、天皇陛下が全てを決めることなどなく、実質的に決めるのは一部の高級官僚や軍部だったわけです。

 

最近でも、ミサイルを飛ばしている近くの国では、世襲制の元首制度を続けていますが、そのような制度に問題があることは理解できると思います。

 

そこで、日本国憲法に天皇制を定めるにあたって、「元首」ではないし「統治権」もないことを明らかにするために「象徴」と定めたのです。

 

このように大きく天皇陛下の地位が変わりましたが、現在の憲法は、手続的には大日本帝国憲法の手続に従って改正したという形をとっています。

 

新たに制定した憲法ではないのですね。

 

この憲法改正で、君主主権から国民主権へ変わったという点で、日本を統治する考え方の根本が変わってしまったので、従来の天皇制をそのまま維持することはできなくなりました。

 

しかし、国民の意識を考えると、天皇制の廃止というのはとても受け入れられるものではありませんでした。

 

そこで、GHQ(連合国総司令部)と日本の政府とが議論をして「象徴」というところに納めたのです。

 

現在、天皇陛下は象徴として、外国からの来賓をもてなしたり、内閣総理大臣の任命手続などを行っています。

 

そして、元号を使うことも、同じように象徴天皇制の表れの一つとなのです。

 

日常生活や仕事でも、西暦を使う方と元号を使う方に分かれると思います。

 

実は弁護士の仕事で、西暦か?元号か?を迷うことが良くあります。

 

特に苦労するのは法廷の尋問のときです。

 

「あなたは、平成4年5月に〇〇さんと会いましたね?」

 

などと法廷で質問すると

 

「西暦でないと分からないです。」

 

などと言われてしまうことがよくあります。

 

そのため、準備をするときにも、時系列で質問するときには、平成でも西暦でも言えるようにしいました。

 

今までは平成で慣れていたので、今度、また年の途中に元号が変わるとなると仕事で苦労しそうです。

 

おそらく、皆さんの中にも、仕事で時系列のことを話す機会が多い方は同じ苦労をされると思います。

 

これも、憲法で定められた天皇制から必然的に来るものなので、合わせていくしかないのでしょうね。

 

「憲法のお話」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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