コンサートに行って思ったこと

先日、押尾コータロー(ギタリスト)のコンサートに言ってきました。

 

私がいた2階席までギターを持って来て、弾いてくれて、とても楽しめました。

 

ギターテクニックもすごいのですが、楽しんでギターを弾いている姿を見て、自分も弾きたいな~という気持ちになりました。

 

そのコンサートで、押尾コータローが「皆さんもそれぞれの分野で、夢を追い続けてください」とメッセージを送っていました。

 

私は、職人肌なので、弁護士職人として良い仕事をしていくことが大きな目標になっています。

 

相談者・依頼者の方に、適切な問題解決の方法を提示して、より良い問題の解決を考えていくというスタンスは、今後も続けていきたいと思っています。

 

それと同時に、仕事や色々な経験を通じて、自分の人間としてのスキルアップをしたいという夢もあります。

 

そこで、今回、ギターの発表会をやることにしました。

 

発表会と言っても、大それたものではなく、私が通っているギター教室や他の教室の人たちが、店頭の一角をステージにして、互いに成果を見せ合うというものです。

 

私は、ギターの弾き語りを1曲やりました。

 

練習は十分したつもりですが、本番になると、やっぱり、緊張するものですね。

 

観客は少なくても、ギターの指の動きが鈍くなって、リズムが思うようにとれませんでした。

 

こういう経験は貴重な場なので、機会があればまたやってみようと思っています。

 

ステージ度胸をつけることで、大きな仕事の場でも緊張しないで、実力を出し切ることにもつながると思います。

 

自分にとってプラスになることは何でもやってみるという姿勢で、弁護士としても人間としても成長していければ良いと思います。

 

人間、何歳になっても、色々な面で成長していきたいものです。

 

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裁判員裁判は違憲?~その2

11月も終わりさしかかり、街はクリスマスのムードで一杯ですね。

 

年々、クリスマス商戦が早くなっているような記がします。

 

ブログもそんな訳で、クリスマスにあわせたものにしてみました。

 

さて、今回からは、裁判員裁判が憲法の個別の規定に違反していないかという問題について、お話したいと思います。

 

前回あげた最高裁の判例では、裁判員制度が憲法31条32条37条1項76条1項80条1項に違反するかが争われました。

 

条文は沢山ありますが、おおきく2つに分けることが出来ます。

 

① 一つ目は、憲法31条・32条・37条1項は、国民が適正・公平な裁判を受ける権利を保障しているが、これは裁判官による裁判でなければ実現できないのではないかという問題です。

 

② 二つ目は、憲法76条1項は司法権は裁判所のみに帰属すると規定しており、その下級裁判所(ここでは各地の地方裁判所だと思って下さい。)の裁判官の選任方法を定めています。

 

 とすると、憲法は裁判官による裁判という制度を予定しているのではないかという問題です。

 

両方まとめると、結局、裁判官でない裁判員が、裁判をする立場になって、判決を下すことは、憲法の上記①②の問題点から、許されないのではないかとい主張がX(弁護人)からなされたんですね。

 

最高裁は、国民の司法参加と適正な刑事裁判を実現するための諸原則とは調和和させることは可能だという前提の下に、次のように考えました。

 

現行法の裁判員制度は、以下の点から、公平性・中立性を確保できるよう配慮よされた手続で裁判員が選任されて運用されていると言えます。

 

① 裁判員は、くじによって選ばれ、不公平な裁判をするおそれがある者や検察官や被告人(弁護人)が理由を示さないで一定数を排除することができること

 

② 解任制度があり、判決に至るまでに裁判員の適格性が確保されるように配慮されていること

 

③ 裁判員が判断するのは事実の認定、法令の適用、刑の量定について合議することとされ、法令の解釈に関する判断は裁判官に委ねられていること

 

④ 裁判員には法令に従い、公平誠実にその職務を行う義務や守秘義務が課されていること

 

⑤ 裁判官、検察官、弁護人は、裁判員がしっかりと判断できるように、審理を迅速で分かりやすいものとするように努めなければならないとされていること 

 

⑥ 裁判官と裁判員の評議は対等に行われ、裁判長は必要な法令に関する説明を裁判員にていねいにして評議を分かりやすくするように配慮しなければならないとされていること

 

⑦ 評決については、裁判官と裁判員の双方の意見を含む合議体の人数の過半数の意見によることとされていること

 

⑧ 裁判員に対するおどしや刑を重くしたり・軽くしたりするよう頼むことは罰則をもって禁じられていること

 

などです。

 

このような裁判員制度の仕組みを考慮すれば、公平な「裁判所」における法と証拠に基づく適正な裁判が行われることは制度的に十分保障されています。

 

そして、裁判員裁判の制度の中でも、裁判官が刑事裁判の基本的な担い手とされていることに変わりはないと判断しました。

 

従って、裁判官ではない、一般の方が裁判の判断に参加することは、憲法31条・32条・37条1項・76条1項・80条1項に反しないと考えたんですね。

 

逆に言えば、裁判員裁判の制度が適切でなければ、憲法のそれらの規定に違反して無効ともなり得るということです。

 

今後も、裁判員裁判の法律の改正や実際の運用が憲法に違反していないか、しっかりと見ていかなければならないと思います。

 

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裁判員裁判は違憲?~その1

忙しい日々が続いていますが、12月上旬に押尾コータロー(ギタリスト)のコンサートに行くことになりました。

 

オープンチューニングでのギター奏法を生で見られるのを、とても楽しみにしています。

 

さて、裁判員裁判も数多く行われるようになり、制度としては定着してきたようですね。

 

でも、裁判員裁判には憲法上全く問題が無いわけではありません。

 

最近、「裁判員裁判が違憲だ!」と争われました。

 

平成23年11月16日に最高裁でなされた判決です。

 

事案としては次のようなものでした。

 

Xは、覚せい剤を、マレーシアから成田空港を通して日本国内に持ち込もうとして、税関職員に発見されました。

 

Xは、覚せい剤取締法違反、関税法違反で起訴され、裁判員裁判となりました。

 

裁判員裁判になる事件は、死刑・無期の懲役・禁固を含む罪など、相当重い事件のはずです。

 

「覚せい剤取締法違反で、死刑・無期になるの?」と思われた方もいらっしゃるんじゃないかと思います。

 

実は、覚せい剤を営利目的で輸入する行為には、無期懲役を含む刑が定められているんですね。

 

営利目的で持ち込まれると、輸入量も多いでしょうし、日本国内の社会風俗、ひいては国民に重大な被害を与えます。

 

そこで、刑の上限として、無期懲役まで定めているんですね。

 

さて、裁判員裁判にかけられたXは、その判決で有罪とされてしまったため、最高裁まで上告をしました。

 

その理由として、裁判員裁判がそもそも憲法に違反するということを主張しました。

 

X(の弁護人)は、憲法上の問題として5つの争点をあげました。

 

結論としては最高裁は、裁判員裁判を合憲としているのですが、それぞれの争点は憲法の理解を深めるのに、なかなか興味ぶかいものです。

 

今回は、まず一つ目の争点について考えてみましょう。

 

それは、「憲法には明文が無いのに、裁判官以外の国民が裁判に参加することを認めて良いのか?」という問題です。

 

憲法は、裁判を受ける権利や裁判所について、適正な裁判を確保するために様々な規定を置いているのに、裁判を国民が参加して行うことを規定していません。

 

「誰が裁判をするか」というような重要なことなのに、国民について憲法が定めていないのは、そもそも、それを予定していないからだいう主張です。

 

しかし、最高裁は次のような理由で、この主張を退けました。

 

国民の司法参加(裁判員裁判)適正な刑事裁判を実現するための諸原則とは、相対立するものではなく、十分調和させることはは可能です。

 

ですから、憲法が全面的に国民の司法参加を禁じていると解釈するべきではなく、実際に作られた制度を見て、それぞれ憲法の規定に違反するか検討していくべきです。

 

そして、その実際の制度を作るのは、法律を定める国会ですから、個別の憲法の規定や原則に違反しない限り、どのような制度を作るのかは、国会の立法政策に委ねられているとしました。

 

では、具体的に憲法のどの個別の規定に違反する可能性があるのでしょうか。

 

次回からは、その点についての争点を一つずつ見ていきたいと思います。

 

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裁判員裁判のお話

朝、晩は、大分、寒くなってきましたね。

 

体調を崩しやすいので、皆様もお気をつけ下さい。

 

さて、今回からは、何回かに分けて、皆さんが、今後、参加するかもしれない裁判員裁判のお話をこれからしていきたいと思います。

 

まず、どうして裁判員制度が必要なのでしょうか。

 

日本の憲法が「国民主権」を基本的な大原則としてあげているのは、ご存じの方も多いと思います。

 

ですから、国民の権利を侵害する可能性のある事項については、国民の代表者から構成される国会で法律として定めなければならないんですね。

 

でも、今までは裁判については、法廷は公開されているものの、裁判それ自体に国民が参加するという制度は認められていませんでした。

 

強いて言えば、衆議院議員選挙の時に、最高裁判所の裁判官を審査できることが間接的な裁判への関与制度と言えるでしょう。

 

でも、最高裁判所の裁判官の名前が書かれていても、私自身も、どの裁判官が不適格なのか判断するのは難しいです。

 

裁判と縁のない方なら、なおさらでしょう。

 

この制度だけでは、国民の裁判への参加制度としては不十分です。

 

諸外国では、アメリカの映画でも観られるように、民主主義を採用する国の多くで国民が裁判に参加する制度が設けられています

 

そこで、日本でも、裁判に一般国民に参加してもらう「裁判員制度」が設けられたのです。

 

とはいえ、一般市民が刑事裁判に参加して判決までしても憲法に違反しないのかはやはり問題となります。

 

次回は、裁判員裁判が憲法に違反しないか」について、実際に争われた判例を使って考えてみたいと思います。

 

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田中大臣の不認可って違法なの?

大学設置について、3校の不認可について、田中大臣の不認可の答弁がとりあげられていますね。

 

マスコミでは「裁判をしたら国側が負ける」という説明もあるようですが、どうなんでしょうか。

 

大学側としては、文科省の指導の下約3年かけて色々な、設備投資や教授の選任などをしてきています。

 

当然、文科省からの設置に前向きな話を前提にしているでしょう。

 

大学側が、これまでの文科省の行政指導等に従ってきて、認可を信頼していたことは、保護されるのでしょうか。

 

その一つの論点として、民法に定める信義則が行政と国民との間にも適用されるかが問題となります。

 

昔は行政と国民とは上下の関係にあって、私人同士のような対等な関係にはないから、民法は行政の行為には適用されないとする説もありました。

 

でも、今では、そのような説は無く、個別に民法の適用があるかどうか検討する考えが通説のようです。

 

民法の分野では、信義誠実の原則」という規定が定められています。

 

では、この信義誠実の原則は行政上の法律関係にも適用されるのでしょうか。

 

適用されるとするのが最高裁の判例です。

 

その事案としては、次のようなものがあります。

 

X会社は、沖縄県のY村に工場建設を計画してました。

 

当時の村長Aは、この工事誘致に全面的に協力す意思を表明しており、実際に様々な便宜を図ってあげました。

 

これを受けて、X会社は、工場予定地の耕作者への補償料の支払いや、機械の発注、工場敷地の整地工事まで行いました。

 

ところが、Y村内では工場誘致の賛成派と反対派が対立していて、次の選挙で工場誘致の反対派のBさんが村長になってしまったんですね。

 

B村長は、工場建設について、X会社の建築確認申請に不同意である旨通知するなど、工場建設に反対する立場を明らかにしました。

 

そこで、X会社は工場建設を断念し、Y村を相手に、会社が被った損害の賠償を請求しました。

 

ここでは、「X会社がY村の工場誘致の行動を信頼したこと」を、保護するべきか否かが争点の一つとなりました。

 

民主主義から考えると、反対派が多数を占めて、B村長が選出された訳ですから、政策変更は民主主義に基づくものであり、違法とは言えません

 

でも、X会社がY村の行動を信頼して、様々な投資を行ったことは、保護する必要があります。

 

そこで、Y村の政策変更自体は適法でも、信頼関係を破壊したY村の行動の点には違法性が認められるとして、Y村に損害賠償の責任を認めました。

 

相対的な違法性を認めたものだと説明する学説もあるようです。

 

これも、民法の信義則から導かれる、信頼保護の原則を、行政の行動についても適用したものと言うことができるんですね。

 

とすると、今回の大学設置の不認可についても、大学側の信頼保護を裏切るものだとして、違法性が認められる可能性もあるんでしょうね。

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急に職務質問されたら対応しなければならないの?~比例原則

最近、ものすごく忙しい時と、ぽっかりと時間が空いてしまう時と差が激しいです。

 

例えば、半日期日も入っていなくて、提出期限のある書面も無いような時があるんですね。

 

そのような時は、法律や判例の検討をするようにしています。

 

今は、以前公務員だったこともあって、興味がある行政法について勉強をするようにしています。

 

そんな訳で、ブログで「行政と私たち」として行政法に関することを書かせてもらっています。

 

ずっと行政法だと、読者の皆様も飽きてしまうと思うので、裁判員裁判のお話などもはさみながら、お話をしていきたいと思います。

 

さて、行政法では「比例原則」という一般原則が言われることがあります。

 

もともとは、警察の権力を抑制しようとすることを目的に作られたものです。

 

よくTVや小説で警察官の「職務質問」という行為が出てきます。

 

これは、警察官が、一定の場合には、職務を行う上で必要な質問を、私たち国民に行うことができるというものです。

 

でも、私たちの立場から言えば、急いでいる時や楽しく遊んでいる時に、急に止められて一方的に質問を受けたりするのは困りますよね。

 

そこで、犯罪の予防などの目的のために、必要な最小限度において用いられるべきものとされています。

 

ここで、目的と比べて、必要でもない手段をとると違法ということになります。

 

例えば、強盗事件が起きた付近で、通行人から必要な範囲で情報提供を求めることは許されるでしょう。

 

でも、私たちが、明らかに犯罪とは関係無いのに、高圧的に長時間拘束すると、目的を超えた行為となり違法となります。

 

このように、警察は目的に比例して、相当な手段をとらなければならないんですね。

 

この比例原則は、今では、警察だけでなく行政が権力を使う時には適用されとされています。

 

裁判例としては、次のようなものがあります。

 

生活保護を受けている人が、福祉事務所長から自動車を運転してはいけないと指示をうけていました。

 

ところが、その人はその指示に違反して自動車を運転してしまったため、これを理由に生活保護廃止処分を受けました。

 

確かに、税金から生活保護を受けていながら、そのお金で自動車を運転することには問題はあるでしょう。

 

でも、それだけで生活保護廃止とまでしてしまうのは、余りにも生活保護法で定める最低限度の生活を保障するという目的から見て重すぎるとも言えます。

 

そこで、比例原則に違反するとして、この生活保護廃止処分は違法とされたんですね。

 

比例原則は、行政の様々な許認可の場面でも問題になってきます。

 

ですから、行政側の立場に立った場合には、目的に比べて処分が重すぎないかを慎重に考えていかなければならいと思います。

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ソープランドの阻止は権利濫用?

朝晩は冷え込みが感じられて、秋が深まっていますね。

 

皆さんも風邪などをひかないように、お気をつけください。

 

行政法の一般原則として、権利濫用の禁止の原則があげられます。

 

行政といえども、権利を濫用したと言える場合には、その行為は違法となるという考え方です。

 

代表的な最高裁の判例として次のようなものがあります。

 

ある人が、山形県のある町で「個室付浴場」の営業をしようと考えて、公安委員会に許可の申請をしました。

 

「個室付浴場」とは、あまり聞き慣れない言葉だと思いますが、いわゆる「ソープランド」のことです。

 

「ソープランドなんか出来たら、好ましくない」と考えた、山形県と町は、何か阻止する方法がないかと考えました。

 

そこで、次のような手段をとることにしました。

 

その当時の風俗営業等取締法では、児童福祉施設から周辺200メートル以内では、個室付浴場の営業は禁止されていました。

 

そこで、町は、X会社の申請の許可が下りる前に、県知事から設置認可をもらって、200メートル以内の場所に、児童遊園施設(公園)を作ったんですね。

 

そこで、これを受けて、公安委員会は、一旦許可されていたXの営業に対して、営業停止処分を下しました。

 

更に、検察はXを風俗営業等取締法違反として起訴しました。

 

そこで、Xは、営業停止処分の取り消しや自分は無罪であると争ったんですね。

 

第1審・2審ともXは有罪とされましたが、最高裁は逆転判決で無罪としました。

 

この判例は、個室付浴場を阻止する目的でなされた、県知事の児童福祉施設の設置認可が「行政権の著しい濫用による」ものとして違法としました。

 

Xにも営業の自由があるため、法律の定める範囲内でなら、個室付浴場の営業をする権利があります。

 

それを、阻止する目的だけのために、児童福祉施設を作ることはやりすぎだということでしょうね。

 

しかし、最高裁まで争っている間、Xさんは個室付浴場の営業を維持できたんでしょうか?

 

結局、営業は廃止しなければならなかったのではないかと思います。

 

最近、パソコンの遠隔操作で誤認逮捕がされていますが、警察などの行政権が、その権力の行使を誤ると大変なことになることが実感されますね。

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行政には国民への説明責任がある?

今日は、静岡では午後から雨の予報です。

 

全国的にも天気が崩れていくようです。

 

お出かけの方は、傘をお忘れにならないようにしてください。

 

さて、前回に引き続いて、行政法の一般原則のお話です。

 

行政法の一般原則として、説明責任の原則」が言われることがあります。

 

では、どうして、行政は、私たち国民に対して説明をする義務があるのでしょうか。

 

これは、憲法で定められている国民主権の原則から導かれます。

 

国民は、国民の代表者として議員を選任し、その議員によって構成される国会が法律を定めて行政を規律します。

 

議員の選挙の時に、行政が今何をやっているのか判断できる情報が公開されなければ、どのような政策を唱える議員が良いのか判断できません。

 

従って、政府は、主権者である国民が、行政の施策がしっかりと行われているか判断できるような情報を提供する義務があるんですね。

 

情報公開法などが定められているのも、この行政の説明責任を果たすためということになります。

 

情報公開法1条では、同法が国民主権の理念に基づき国民に説明する責務があることが明示されています。

 

これからは、私たちも、積極的に行政に働きかけて、情報を得たり、行政手続に参加していくことが求められていくと思います。

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行政手続はどの程度適正に行う必要あるの?

今回も引き続き、行政と私たちとの関係についての法律についてお話していきたいと思います。

 

「行政法」という法律は存在しないということは、以前にもお話したと思います。


行政に関する法律は数が多すぎるので、一々勉強するのは無理なんですね。

 

そこで、勉強をする時には、「行政法」とひとくくりにして、行政に関する法律の一般の原理・原則を学んでいくんです。

 

その、行政法の一般原則の主なものとしては、

 

① 適正手続の原則 

② 説明責任の原則

③ 信義誠実の原則

④ 権利濫用の禁止原則

⑤ 比例原則

⑥ 平等原則

 

などがあります。

 

今回はこのうち、①適正手続の原則についてご説明したいと思います。

 

刑事手続については、憲法31条で明確に適正手続の原則が定められています。


では、行政手続についてはどうなんでしょうか。

 

判例・学説ともに、適正手続の原則は行政手続についても適用されるとしています。

 

最高裁の判例としては次のようなものがあります。

 

Xさんは新規に個人タクシーの営業免許を、東京陸運局長に申請したところ、法律の要件をみたさないとして申請が却下されました。

 

そこで、Xさんは、次のような主張をしました。

 

東京陸運局長は、あらかじめ審査基準を定めて、その内容をXさんに告知し、Xさんに主張と証拠の提出の機会を与え、またその基準を一般に公表すべきだった。

 

しかし、東京陸運局長は、それをせずに申請を却下した。

 

これは、適正手続違反の違法があるとして、却下処分の取り消しを求めて訴訟を起こしました。

 

さて、手続違反だけを理由に、処分の取り消しを求めることは認められるのでしょうか。

 

最高裁の判例はこれを肯定しています。

 

東京陸運局長としては、許可・不許可の基準を内部的にせよ設定する必要があることを前提として、次のように言っています。

 

免許の申請人(Xさん)に対し、その主張と証拠の提出の提出の機会を与えなければならない

 

免許の申請人(Xさん)は、このような公正な手続によって免許の許否につき判定を受けるべき法的権利を有するので、これに反して却下処分がなされた時はこの処分は違法となる。

 

結論としても、Xさんに対する却下処分を違法としました。

 

国や県・市は、色々な許認可権限を持っていますが、その許認可をする際に、手続は適正なものでなければならないということなんですね。

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自衛隊の事故での損害賠償請求の時効期間は?

10月に入って、朝晩は大分涼しくなりましたね。

 

クールビズも終わってしまい、身軽な服装が好きな私としては、ちょっと寂しい感じです。

 

さて、今回も、「行政と私たちとの間に起きた事件に、民法などの私法が適用されるのか」という問題を考えたいと思います。

 

「法律を作った趣旨は何だったのか」ということから考えていく発想を持って頂くと、色々な法律の解釈に役に立ちます。

 

今回もそのような発想で事案を検討していきましょう。

 

陸上自衛隊員だったAさんは、車両を整備中に、同僚の運転する大型自動車にひかれて即死してしまいました。

 

Aさんの両親であるXさんたちは、国に対して安全配慮義務違反を理由に、損害賠償請求訴訟を起こしました。

 

会計法30条は、金銭の給付を目的とする国の権利及び国に対する権利については、5年の消滅時効期間を定めています。

 

さて、この損害賠償請求権について、5年の消滅時効期間が適用されるでしょうか。

 

それとも、民法が適用されて10年の消滅時効期間となるのでしょうか。

 

まず、会計法の趣旨から考える必要があります。

 

会計法が、民法よりも短期の消滅時効期間を定めたのは、国の権利義務を早期に決済するという行政の便宜を図ったものです。

 

では、この趣旨から考えて、今回の事例について、会計法30条が適用されるか考えてみてください。

 

国の権利義務を早期に決済する必要があるのは、大量に反復・継続して権利が発生するからでしょう。

 

しかし、このような事故は偶然に発生するものであり、多発するようなものではありません。

 

また、安全配慮義務違反により損害を被った人の損害を賠償する場合には、相手国であろうと私人であろうと関係ありません。

 

とすれば、民法を適用して10年の時効期間を定めた方が適切なはずです。

 

そこで、最高裁の判例は、民法167条1項の適用を認め10年の時効期間を認めました

 

ここでも会計法の趣旨を考えて、国と私人の関係に対して、公法である会計法ではなく、民法の適用を認めているということです。

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