養育費・婚姻費用の「簡易算定表」の正しい使い方

私のブログが自分のホームページに引っ越してきてから、1か月半がたちました。

 

このブログの2015年10月のアクセス数合計は2,004アクセスでした。

 

平均すると1日あたり65アクセスをいただいていることになります。

 

私がこのブログを書くときには、間違えた情報を載せてはいけないので、色々と調べて書きます。

 

そのため、メモを取ったりしながら1記事に1時間半以上かけます。

 

ところで、私は、こことは別に、個人的な趣味で2年ほど前から匿名のブログを書いています。

 

この別ブログでは、読者の人は、私が弁護士であることはもちろん、どこの誰かも知りません。

 

非常に狭い範囲の分野に絞り込んだ内容の記事を書いています。

 

しかも、内容は相当コアで、私と相当同じ趣味の人でないと理解できない(興味が全くない)言葉と内容が満載です。

 

世間一般の人の殆どの方は、読んでも???で終わってしまうでしょう。

 

ところが、そんな「本当にこんな記事読むのかな?」と自分でも思いつつ、お酒を飲みながら20分~30分くらいで書いているブログのアクセス数が、同じ2015年10月の1か月間で25,562アクセス・・・

 

これは、1日平均で825アクセスで、このブログの約12.7倍です。

 

弁護士のお役立ちブログに改善の余地があるのか、私の狭くて深い趣味の同好の士の好奇心をくすぐる内容が書けているのか、ちょっと複雑な気持ちです。

 

さて、今回は養育費婚姻費用のお話しです。

 

離婚調停を申し立てる時に、同時に離婚までの生活費(婚姻費用)や子供の養育費の金額が争われた時に、養育費・婚姻費用算定表が使われます。

 

この算定表は、裁判所の過去の審判の内容などを参考にして、夫と妻の収入が分かれば、大体の婚姻費用や養育費の月額を判断することができる便利なものです。

 

もっとも、この算定表を使うだけで、適正な婚姻費用・養育費の金額を正確に算出することはできません

 

良く問題になるのが、夫が自営業をしていて、税理士を使わないで申告しているケースです。

 

つまり、経費を自分で滅茶苦茶に水増しして、所得を減らしているkケースがあるのです。

 

このような時にも、確定申告書の写しを提出させて、「課税される所得金額」だけを収入として簡易算定表に当てはめてしまうと、妻や子がもらえる婚姻費用・養育費が本来の額より大幅に少なくなってしまいます。

 

ところが、実際の運用では、その不公平な部分を忘れられることが多々あります。

 

つまり、離婚調停で担当する調停委員が裁判実務の運用や経理関係に詳しくないと、当たり前のように夫の「課税すべき所得金額」を簡易算定表に当てはめて金額を算定してしまうのです。

 

正職員のビジネスパーソンの場合は、源泉徴収票を提出して、「支払金額」を基準にしますので、社会保険料などがの控除される前の所得です。

 

これに対して、自営業者の「課税される所得金額」からは社会保険料が控除されています。

 

また、正職員の場合には控除されない「青色申告特別控除額」、「減価償却費」などが、そのままでは控除されたままになってしまいます。

 

ですから、夫が自営業者で確定申告書の写しを出してきた場合や所得(課税)証明書を出してきた場合には、確定申告書の写しの中から、どの経費を「課税される所得」に上乗せすべきか、経費と1個々チェックする必要があります。

 

私は、県庁職員時代に3年間、地方税の脱税調査をやっていた経験があるので、このような経費のチェックを細かく行うクセがついています。

 

ですから、とりあえず通常の正職員であれば認められない経費はすべて「課税される所得」に上乗せして収入の基準としてもらうよう求めます。

 

そうすると、詳しい調停委員は、すぐに納得して経費の1個々について一緒に検討してくれます。

 

逆に、詳しくない調停委員は、こちらの主張をそのまま飲んでくれます。

 

そして、養育費月に1万円増えるということは、例えば子供が3才だったら17年間の差額12万円×17年=204万円が増えるということです。

 

そして、婚姻費用の場合も、一度金額を決めてしまうと、養育費をそれ以上の額にすることが難しくなるので、月5,000円でも妥協してしまうと、結局、そのツケは養育費に回ってきます。

 

ですから、例えば、弁護士に依頼して総額で50万円の弁護士費用を払ったとしても、自分が一人で下手に妥協するよりは、養育費が1万円でも増えれば、十分にもとがとれるんですね。

 

そういう意味では、男性でも女性でも、

・強く主張することがいまいち苦手な方

・法的な調査や理論武装が面倒な方

・夫が自営業者のケース

・子供が病気で高額の医療費がかかるようなケース

などでは、弁護士に依頼して1万円でも養育費を増やしてもらった方が得することが多いんですね。

 

離婚の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。 

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カテゴリー: 離婚のお話 |

架空請求が私にも来ました!

最近になって、静岡市は日中は妙に暖かいです。

 

これは、全国的な傾向なのでしょうか?

 

11月とは思えない気候に何となく違和感を感じてはいるものの、寒いのが苦手な私としては、ありがたいことです。

 

さて、送信元が書いた日付が正しければ11月1日頃に、以下のような架空請求のメールが、私のスマートフォンのアドレス宛に送られてきました。

 

おそらく、同じメールが大量に出回っていると思われますので、くれぐれも相手に連絡しないようご注意ください。

 

---------------------------------

差出人: 重要通知 <qlyevswymta@・・・.jp>
日時: 2015年11月1日 8:03:37 JST
宛先: tani

件名: 最終通告書

電子商取引端末設定アドレス
tani殿へ通知

 

ECcontents(インターネット上における電子商取引に基づいた有料サイト及び無料期間を設けた月額制サイト)ご登録後、支払い期日及び無料期間終了後も退会せず利用料金を滞納しております。

 

電子商取引による利用履歴に基づき、貴殿に対して利用料金のお支払については、再三のインフォメーション内の督促通知にてお知らせしていたにもかかわらず、支払いがなく、現在多額の延滞金が発生しております。

 

つきましては、利用料金及び延滞損害金をお支払頂く様勧告いたします。

 

なおこのままお支払頂けない場合は電子商取引に基づき直ちに

1.ご口座及び給与の差押え

2.所有財産(ご自宅、家財、車)の競売処分

3.ご親族、職場へのご連絡

と代理返済の要求を代理人弁護士を通じて法的手続きによる執行と致します。

 

このような事態にならないよう貴殿が下記よりECcontentsの正式な退会手続を《最終期限》 2015年11月01日22時迄頂く様最終的な通告として本書を送付致します。

 

■退会手続及びお問い合わせ
http://・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

※通知専用アドレスとなりますので、直接返信しても届きませんので必ず上記よりご確認下さい。

 

独立行政法人電子商取引支援機構

業務取扱担当 大上

---------------------------------

 

まず、「電子商取引」により直ちに「差押え」や「競売」をするという方法は、現在将来法制度的あり得ません

 

た、弁護士が債務者でない「ご親族」へのご連絡をしたりすることは絶対にありません。

 

弁護士はヤミ金ではないのに・・・とちょっとこの文面を見てガッカリです。

 

更に、独立行政法人が有料サイトの金銭の請求を支援することもありえません。

 

消費者を守るために消費者庁の所管にある「国民生活センター」(独立行政法人です)がインチキな有料サイトの債権回収をするようなものですよね(笑)

 

この送信元である「独立行政法人電子商取引支援機構」で検索してみると、たくさん「詐欺です!」「架空請求です!」とのアドバイスが出てきます。

 

ということは、それなりの期間、架空請求を継続しているということですね。

 

こんなメールを受け取ったら、無視をして、決して下の方に貼ってあるリンクをタップ(クリック)したりしないでください。

 

スマホはウィルス対策ソフトを導入していないことも多いので、下手をするとウィルスソフトに感染するおそれがあります。

 

また、アドレスごとに異なるリンクを貼っている可能性が高く、タップ(クリック)してきた人のアドレスが詐欺業者に知られて、変なメールが大量に来ることになりかねません。

 

このようなメールでの架空請求「無視」が最大の対策でしたよね。

 

仮にタップ(クリック)してしまった後でも慌てず、無視をしてください。

 

このタップ(クリック)によって料金が発生しないよう、

「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律(電子消費者契約法)」

という法律で私たち消費者は保護されています。

 

これから年末にかけて増えてくると思いますのでどうぞご注意ください。

 

消費者被害の一般的なご説明についてはこちら

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カテゴリー: 消費者の被害 |

相続人でない人が亡くなった人のためにしたことは「寄与分」になる?

先日、静岡地方裁判所の富士支部に裁判に行ってきました。

 

静岡市でも富士山は見慣れていますが、さすがに富士山のふもとの市だけあって、大きさが違います。

富士市の富士山

 

気候も暖かく良い天気だったので、帰りに富士川サービスエリアによってスターバックスで一服しました。

富士川SAのスタバ

 

 

 

 

 

 

 

このように自分の気分で、ちょっとした自由を楽しむと、とても良い気分転換になりますね

 

さて、今回は相続についてのお話しで寄与分きよぶん)について、知っておいて損は無い知識についてご説明しようと思います。

 

ちょっと事例の把握に難しい所もありますが、知っていると相続の時に役立つ人も多いと思います。

 

寄与分については、以前にもお話ししたことがありますね。

 

遺産分割の時に、「特別の寄与を亡くなった人(被相続人)に対してしていた人は、その寄与した経済的価値(金銭)相当する額全体の遺産から差し引いて、その人だけが相続できるという制度です。

 

寄与という言葉を国語辞典でひくと、「あたえること」「人のために力を尽くすこと」という説明が出てきます。

 

つまり、亡くなった人のために「あたえること」「力を尽くすこを」を指すのですが、それが遺産分割の場面で主張される以上、その内容は金銭に換算できるようなものでなければいけません。

 

「被相続人が亡くなるまで、一生懸命傍にいて励ました」というだけでは寄与分としては評価されません。

 

そこは言い方を変えて、「被相続人の付き添い看護をしていたため、もし自分がいなかったら付き添い看護費が〇〇円かかった」と主張することが必要でなんですね。

 

そして、その「〇〇円」という額を実際に証明する資料と保管しておくことが必要です。

 

付き添い看護でいえば、施設や病院での訪問記録、高速道路を利用していればそのETCの記録などである程度は立証できるでしょう。

 

そして、遺産分割調停では、証明したとしても、その全額が認められることは少なく、その一部分を調停委員と裁判官が評議して勧告されることが多いという実感があります。

 

さて、この寄与分、相続人が子の場合だけではなく、例えば父親(被相続人)より息子(相続人)が先に死亡してしまった場合には、孫が代襲相続人(だいしゅうそうぞくにん)となり、孫自身の寄与分は認められることに問題ありません。

 

では、孫が通学しており、祖父母の世話はできず、結局、亡くなった息子の妻(孫から見ると母親)が世話をした場合に、これも孫の寄与分と見ることができるのでしょうか。

 

この場合、息子が死亡した時点で、夫婦関係は解消されますので、息子の妻(孫の母親)は息子の父親の相続人ではありません。

 

ですから、世話をして息子の妻(孫の母親)自身は、「寄与分」として何かもらえるわけではありません。

 

寄与分をもらえるかどうかは、孫たちと父親の妻(孫から見て祖母)について考えるしかないんですね。

 

東京高裁で決定をした事案で考えてみましょう。

 

この事案では、被相続人農業をやっていて、高校に通う孫も農業を継ぐ予定でした。

 

そして、孫が農業を継ぐまでの間は、なくなった息子やその妻(孫の両親)が農業をやって、被相続人の土地を維持したり、貯金額を増やしていたんですね。

 

では、孫自身が何もしていなかった場合でも、亡くなった相続人父親)や相続人でない息子の妻孫の母親)の寄与は、孫の寄与と見て良いのでしょうか。

 

東京高裁は、これを肯定しました。

 

つまり、亡くなった相続人はもちろん、相続人でない者であっても、その寄与が亡くなった相続人の寄与と同視できるときには、代襲相続人)の寄与分として考慮することができるとしたんですね。

 

この場合、被相続人が動けなくなってからも農業を維持して収益を上げてきたという分かりやすいケースだったので、寄与分が認められたこともあるとは思います。

 

ただ、相続人でない人でも寄与分として考慮される場合もあるので、頑張った人は、何かの権利が主張できないか、弁護士に相談された方が良いでしょう。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 相続のお話 |

夫婦別姓についての最高裁判決が出る予定です

静岡では昨日から、急に寒くなり始めました。   昨日から始まった「大道芸ワールドカップin静岡」。

 

今年は10月31日(土)~11月3日(火・祝日)の間開催されるとのことです。 image1

 

静岡市の町中にある駿府公園をメイン会場にして、静岡市内のさまざまなところで、大道芸人の人たちが技を競い合います。 image4

 

静岡の中心街はコンパクトで、徒歩圏内で買い物・飲食・大道芸・映画・公園での休憩など全てが楽しめます。

 

また、この時期でも、他の地域と比べると寒くないことなどから、散歩しながら、買い物や飲食をして、その合間に気に入った大道芸人の前で立ち止まって見たり、公園で休憩したりできるという贅沢な楽しみを味わえます。

 

昨日の朝早くには、すでに「トルコケバブ」の店の設置がされていました。 image5

 

静岡市外の方で、来られたことがない方は、毎年、この時期にやっていますので、ご都合のつく年にはぜひお越しください。

 

地元住民から見ても、お越しいただく価値があるイベントだと思っています。

 

さて、最近では事実上の結婚をしても籍を入れないとか、実際に結婚しても仕事上だけは名字を変えない夫婦が増えてきたようです。

 

このような問題は、現在の民法で夫婦別姓が認められていないことが原因で生じています。

 

夫婦別姓とは、結婚して籍を入れた時、

① 夫と妻が結婚前の名字を公式に使えることと

② 今まで通り、夫婦のどちらかの名字に統一すること

を自由に選択できるという制度です。

 

では、夫婦が別々の名字を公式に使うことができない現在の民法の規定(民法750条)が、憲法に規定する人権を侵害することになるのでしょうか?

 

 

この問題について、最高裁弁論開かれる期日が,平成27年(2015年)11月4日に指定されています。

 

この裁判の進行だと、早ければ年内、遅くても1月中には判決が出るでしょう。

 

最高裁が、夫婦同姓を強制する民法の規定に対する憲法判断をするのは初めてです。

 

では、この最高裁判決で、夫婦の同姓を強制する民法の規定が違憲判断される可能性はあるのでしょうか?

 

夫婦別姓が認められないと、結婚したら夫か、妻か、いずれかの名字に統一しなければなりません。

 

それが、特に名字を変えることが多い妻にとって、人格権を害するか?(憲法13条違反)、女性にとって不平等ではないか?(憲法14条1項違反)が問題となっているのです。

 

ポイントの一つは、そもそも「夫婦別姓を求める権利(婚姻時に自分の名字を選択する権利)」が憲法上の権利かどうかです。

 

憲法の規定には、そのような権利は明確に規定されてはいません。

 

もっとも、憲法の解釈上、明確に条文に書かれていない利益でも、私たち国民のほとんどが必須のものだと感じていれば、憲法上の権利として認められます。

 

例えば、

① 「みだりに私生活を公開されない権利」であるプライバシー権

② 「社会的な評価を低下させられない権利」である名誉権

は、国民のほとんどが、自分の人格につながる重要な利益だと考えているため憲法上の権利として認められています。

 

条文には規定されていませんが、憲法13条の「幸福追求に対する国民の権利」には、名称を問わず、人格を守るのに必要不可欠な権利が含まれていると解釈されています。

 

そのため、時代の変化に伴いプライバシー権名誉権などが、憲法13条に規定する人権として認められてきたんですね(新しい人権)。

 

では、「法律上の夫婦が別姓を名乗る権利(名字選択権)」というのは、人格を守るために、誰にとっても必要不可欠なのでしょうか?

 

この権利の法的効果は、相互に相続ができ、別姓のまま戸籍に記載されることで、生まれてから長年利用してきた自分の名字を問題なく使えるという利益です。

 

この利益が、プライバシー権や名誉権と同じくらい、私たち国民の共通の人格的な利益だとすれば、憲法上の権利と認められるでしょう。

 

しかし、「夫婦別姓か、統一姓か」については、まだ相当議論があり、私たちそれぞれの価値観や人生観によるところが大きいです。

 

現在の日本では、

 

① 夫婦別姓をどうしても必要だと考える人

② 夫婦別姓でも同一姓でもどちらでも構わないと考える人

③ 夫婦は同一の姓にすべきだと考える人

の3種類が、それぞれ均衡しているように思えます。

 

法律で夫婦別姓という制度を作ることは憲法違反ではありません。

 

しかし、婚姻時に名字の選択権を認めない現在の民法の規定それ自体を違憲とまで言って良いのかは、憲法の解釈上、別の問題なのです。

 

今の段階では、夫婦別姓を求めることが、国民一般に自分の人格にとって必要不可欠な権利という共通認識は無いようです。

 

また、女性の平等権侵害(憲法14条1項違反)かどうかの点についても、民法の規定は、妻の名字での夫婦同姓も認めているのですから、規定それ自体が女性に対して差別的取り扱いをしているのではありません。

 

法律の規定とは別に、日本の昔からの慣習(それを良いとするか、悪いとするかも個々人で違うでしょう)によって、結果的に女性が不利益を受けることが多いという社会的事実が生じているということです。

 

そうすると、このような問題は、国民からの選任という基礎の無い裁判所が憲法解釈で決めるべき事項ではなく、むしろ民主主義の下に、国民が選んだ国会議員(国会)が政策的に実現していくべきなのではないでしょうか。

 

これらを踏まえて、法律的な解釈としては、違憲とまで言うのは難しいと思っています。

 

最高裁が、どのようは判断をするのでしょうか。

 

多くの人が、夫婦別姓が良いと考えれば、そのような公約を掲げた政治家が数多く当選するでしょう。

 

その上で、国民の意見を反映しながら国会で審議して、法律改正を検討していくのが良いのかもしれませんね。

 

「時事とピック」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 時事とトピック |

無断録音・無断撮影のデータは、裁判で証拠として使えるの?

弁護士のタイプを、イヌ科とネコ科に分けたとします。

 

イヌはもともと狼が先祖で、群れのリーダーに従いながら集団で狩りをして生活をしていました。

 

ですから、犬が獲物を捕まえるときには、相手を威嚇しながら追い込んで、追い詰めた上でとらえます。

 

これに対して、単独行動型のネコは虎の仲間です。

 

虎は密林の中で、獲物の通り道を確認すると、その風下で匂いで気づかれないように何時間でも待ち続けます。

 

そして、獲物が通りかかった瞬間に、虎パンチと噛みつきで一瞬で仕留めるわけです。

 

これの性格は、リーダーをしっかり決めるイヌと、物陰から飛び出してじゃれついてくるネコの性格に受け継がれています。

 

これを弁護士に置き換えると、大人数の法律事務所に所属し、全員の連名で書面を出して、威嚇を交えながらの攻撃をするのがイヌ科に近いのでしょうか。

 

しかし、私をどちらかに例えるとすると、間違いなくネコ科です。

 

訴訟でも、相手を威嚇して追い詰めるような方法は一切とりません。

 

どちらかというと、相手の法的な弱点を分析したり、相手がボロを出すのを待っていることが多いです。

 

すでに弱点やボロを見つけていても、どのタイミングで主張するのが最も適切か、気長に待ち続けます。

 

そして、手続きごとのに適したタイミングをみて、一気に主張する手法の方が性にあっています。

 

それが成功すれば、虎の一撃になりますし、失敗するとネコパンチ(笑)になってしまうわけですね。

 

自宅では、ラブラドールに勝手にリーダー扱いされていますが、もともとリーダーの器ではない私にとっては、何となく居心地が悪いです(笑)。

 

「気楽にいこうぜ」と言っても、ネコたちには通じていますが、どうもイヌには通じないようです。

 

逆に、その誠実さと一生懸命さが、イヌの魅力でもあるんでしょうね。

 

さて、違法収集証拠という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

読んで字のごとく、違法な方法で集められた証拠です。

 

犯罪を裁く刑事訴訟手続ではこの原則が極めて厳しく適用され、証拠として裁判に提出できません。

 

なぜなら、警察・検察という強大な国家機関により、違法に集められた証拠が冤罪(えんざい)結びつく危険性が高いからです。

 

ところが、契約の不履行交通事故不貞行為慰謝料請求離婚などの民事訴訟手続では必ずしもそうではありません。

 

例えば、民事訴訟手続で違法に集められた証拠として典型的なものとしては、無断でコピーした日記、盗聴録音データなどが問題となります。

 

これらを、民事訴訟で証拠として使えるのでしょうか?

 

これを判断する裁判例での一般的基準としては、

「その証拠が、しく反社会的な手段を用いて人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によって採集されたものであるときは」「証拠能力否定されてもやむを得ない」としています。

 

要約すると、原則として証拠として提出できるものに制限はないが、

一般の常識からみて極端に限度を超えていて人格権など他人の重大な権利を侵害して得られた証拠は、裁判提出できない

ということです。

 

例えば録音で言えば、相手との会話を相手の同意なくこっそりICレコーダーやスマホで録音した場合、その録音データは証拠として使えます。

 

しかし、相手の家に忍び込んで盗聴器を仕掛け、その録音したデータを証拠として使うという場合は別です。

 

この場合、他人のプライバシーや住居権という重大な権利を侵害する方法(犯罪にもなります)で得られた証拠なので、裁判所に証拠として出すことを認めないんですね。

 

同様に、日記のコピーであっても、自分自身がたまたま保管していたり、同居する配偶者や親族の日記をこっそりコピーするのであれば、そのコピーは証拠として使えるでしょう。

 

しかし、日記を相手から盗んできてコピーした場合には、その方法自体が犯罪ですから、違法収集証拠として、裁判では証拠として提出できません。

 

では、クイズです。

 

証拠として裁判所に提出できるか、ちょっと考えながら読んでください。

 

夫の不倫相手に対すして妻が慰謝料請求訴訟を起こしました。

 

妻はその証拠集めとして、別居している夫のマンションの郵便受けをチェックして、不倫相手から夫への手紙があったので、それを無断で持ち出しました。

 

この手紙証拠として使えるでしょうか?

 

このケースで、名古屋地裁は、証拠として使える(証拠能力がある)と判断しました。

 

以上のことをスマホで考えていくと、同居している夫婦のスマホについて、こっそりデータをPCへ転送したり、メール・LINEの画面を無断で撮影することはOKです。

 

それらのデータをプリントアウトした資料は、民事訴訟では証拠として使えると思われます。

 

逆に、別居後に、家に忍び込んで同じことをすると、証拠として使えなくなりそうです。

 

なお、録音・画像データを裁判所に提出する場合には、裁判所によって一定のファイル形式を指定している場合があります。

 

ちなみに、静岡地方裁判所は、分かりやすく言うと、Windows Media Playerで再生できる形式のものとしています。

 

また反訳書などの説明書面を一緒に提出することを必要とします。

 

もし、裁判まで考えている方は、証拠として使えるものを数多く集めておくと、勝率が上がりますので、頭に置いていただければと思います。

 

「裁判手続で知っておきたいこと」の過去記事はこちらへどうぞ。 

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カテゴリー: 裁判手続きで知っておきたいこと |

ネズミ講での被害者は誰?

メールマガジンの第8回を配信しました。

 

テーマは、「弁護士セカンド・オピニオン」。

 

弁護士に一旦依頼した後に、どんな場合にセカンドオピニオンを聞くべきか、そしてセカンドオピニオンを聞きに行く時には、どんなことに注意すべきかをご説明しました。

 

メールマガジンでは弁護士の方のご登録を、ご遠慮してもらっているので、今、私が感じていることをはっきりと書かせてもらいました。

 

メーリングリストへの登録は「ご挨拶とブログのご紹介」の記事の下の方のリンクからしていただければ幸いです。

 

さて、皆さん、「ネズミ講」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 

法律実務上は、「無限連鎖講(むげんれんさこう)」と呼ばれています。

 

その意味は、

「新規の会員から集めた出資金を、先に会員となった者の配当に充てることを内容とする金銭の配当組織」

ということです。

 

例えば、幹部となる人間がネズミ講を始めるために、法人(又はそれっぽい名称の組織)などを作って、1人目の会員を勧誘します。

 

最初に勧誘を受けたAさんが、100万円の出資をした場合、AさんがBさんとCさんの二人を勧誘して会員にさせます。

 

そして、Bさん、Cさん2人の出資した200万円のうち、例えば50万円をAさんへの配当に充てて、残りの150万円を組織の幹部たちがもらうことにする訳です。

 

Aさんにしてみれば、年間2人勧誘するだけで、元本に対して50%の配当が得られるのですから、勧誘する気持ちは強いです。

 

幹部は、最初に数十人のメンバーを集めるだけで、何もせずして、数千万円の利益があがるのですから当然組織の拡大を図ります。

 

そして、Bさん、Cさんも、それぞれ会員を集めれば、出資した以上の配当を得られるのですから、頑張って会員を集めるという寸法です。

 

しかし、そんなに多くの人が、このシステムを信用するわけがありません。

 

また、数学的・統計的に計算しても、各親会員(Aさん)が子会員(Bさん・Cさん)を二人集めるとした場合、28番目の会員が加入する時点で日本の全人口では会員が足りなくなる計算になるということです。

 

ここに、「消費者投資被害」と言われる違法な面が現れるんですね。

 

最初から破綻が目に見えている出資方式で、幹部最初の頃に出資した人しか儲からないことが明確なのに、それを隠して出資を募るのは詐欺的手法です。

 

このため、ネズミ講は日本では禁止され、「公序良俗公の秩序・善良な風俗)に反する」として無効とされているんですね。

 

従って、出資した人は、その出資自体無効ですから、何時でも出資金の返還請求ができます

 

ところが、ここで一つ問題が生じてきます。

 

ネズミ講は必ず破綻するため、破産管財人がネズミ講の代表者(幹部)に代わって清算をすることが良くあります。

 

その時、破産管財人は代表者(幹部)に代わって、先に出資した人に対して、配当として利益を受けた分を返還請求できるかという問題です。

 

民法は、不法原因給付ふほうげんいんきゅうふ)と言って、自ら違法な行為を行った者は、その違法を理由に自分の権利を主張して金銭等の返還請求ができないことを定めています。

 

例えば、妻子を持つ男性が、愛人関係を続けることを条件に愛人にマンションを買ってあげたとしましょう。

 

その後、愛人が心変わりして愛人関係を拒否したとしても、その男性は、マンションの返還請求をすることができないというものです。

 

愛人関係自体が、一夫一婦制をとる日本においては公序良俗に反して無効です。

 

ですから、愛人関係継続を条件とする契約は無効であり、本来男性は愛人にマンションの返還を請求できても良さそうです。

 

しかし、みずから愛人関係の継続を条件とする違法契約をしておきながら、愛人に振られたら、その違法性を主張してマンションの返還請求をするのは、どこかおかしな気がします。

 

そこで、民法ではこのような男性の愛人へのマンションを買い与えることを、不法原因給付として、男性は愛人にマンションの返還を請求できないと定めたんですね。

 

これは、クリーンハンズ(きれいな手)の原則と言って、法律上の権利を主張する者は、自らの手がきれいな者に限られるという考え方がベースにあります。

 

そうすると、ネズミ講でも破産管財人は代表者(幹部)の代わりですから、同じことが言えそうです。

 

つまり、自ら「利益が出る」と言ってネズミ講の勧誘を行った代表者=破産管財人が、破産した途端、利益を得ていた会員から、その利益を不当な利得だとして返還請求するのは、クリーンハンズの原則反するのではないかということです。

 

実際、平成23年2月に破産が決定したネズミ講の事件では、東京地方裁判所・東京高等裁判所の判決では、その考え方を支持しました。

 

つまり、ネズミ講破産管財人が、早期会員で配当を受けて利益を受けていた人に、その利益の返還請求をしたところ、これを認めなかったんですね。

 

そこで、破産管財人が、最高裁判所まで争ったところ、最高裁は平成26年の判決で結論をひっくり返したという訳です。

 

最高裁の考えは、次のとおりです。

 

破産管財人は、早期に会員になって勝ち逃げした少数の会員の利益を回収して、大きな損失を被った大多数の会員に配当をしようとする目的で、早期会員に利益の返還を求めるものです。

 

それにも関わらず、勝ち逃げした早期会員だけが、大多数の損をした会員の犠牲の下に不当な利益を保持し続けることは信義則許されないとしたんですね。

 

非常に常識的な見解であり、私も破産管財人になったら、同じような行動をとるでしょうから、この最高裁の判例には賛成です。

 

もっとも、皆さんにおかれては、ネズミ講は早期に破綻するシステムであることを事前にご理解いただき、友人からの勧誘であっても出資しないことをお勧めします。

 

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本を読むと所得が増える?

最近の軽いビジネス本や自己啓発本を読んでいると、「本を読む冊数と所得とが比例する」というようなことが書いてあります。

 

そのような著者は、たいてい1か月に読む本の冊数とか、本にかける経費の額で、驚くような数字を出してきます。

 

その後に「全く本を読まない低所得者層」なるものを持ち出して、読者のハードルを下げて一時的にやる気にさせます。

 

月に1冊でもビジネス本を読めば、所得が上がる(はっきりと、そうは書いていませんが)という錯覚を抱かせる意図があると思われます。

 

確かに、幅広い分野で読書して、考えの違う人たちと忌憚の無い議論をした上で、自ら深く考えて、それを適切な場面で行動に生かせるのであれば、所得どころか、人生すべてにおいて良い結果が出るでしょう(私にはできませんが・・・)。

 

しかし、ただ「〇冊の本を読んだ」とか、「本に毎月〇万円つかっている」ということから、何の成功も導けないのではないでしょうか。

 

私が小学生の時に、次のような経験がありました。

 

私は、友達と外で草野球、「仮面ライダーゴッコ」、基地づくりとかで遊ぶ時間を除く時間の殆どは、本を読んでいる小学生でした。

 

つまり、多くの小学校の友達がテレビを見ている時間や勉強をしている時間の殆どを、読書に使っていたんですね。

 

そのためか、テストの点数も余り良くありませんでした。

 

国語のテストですら、出題文を夢中になって読んで考えているうちに解答を書くのを忘れたり、×をつけられても「解釈が違うのでは?」と復習もしなかったので良い点などとれるはずもありません。

 

私が小学校3~4年生の頃だと記憶していますが、読書がもてはやされた年がありました。

 

つまり「読書を沢山する子供は成績が良い」というわけです。

 

このインチキ論法は、何も最近始まったものでは無いようです(笑)

 

テストで良い点をとるためには、国語ですら(日頃の趣味的読書が、多少役立つことがあるとしても)出題者の意図を上手く把握するトレーニングをした方がよっぽど効率が良いに決まってるのに・・・

 

このブームに学校も乗せられて、学校の図書館の本を誰が一番たくさん読んでいるか発表・表彰するというイベントがありました。

 

当時の多くの家庭と同様、私の家庭でも1か月に何十冊も本を子供に買ってあげる経済的余裕などなかったので、私の読書の多くは学校の図書館と市立図書館で借りた本、年上の従兄弟が読み終わった本でした。

 

そして、私の周囲を見ても、休み時間や授業中に夢中になって本を読む子は、見かけなかったことや、図書館へ本を借りに行けばいつもガラガラだったので、「自分もベスト3くらいには入るかも」と勝手に思っていました。

 

ところが、そのイベントで表彰された子たちは、いずれも成績の良い子たちばかりで、私は名前すら上がりませんでした。

 

当時は小学生だったので、自分よりも数多く本を読む人が同じ学校の同じ学年にこんなにいたのかと驚いたものです。

 

また、いずれも成績の良い子たちだったので、「勉強も頑張れて本も楽しめた」のか、「本を楽しむだけで勉強ができた」のかのいずれかだろうと、何となく劣等感も感じました。

 

ところが、しばらくたってから、嫌な噂を聞きました。

 

ご想像通り、そのイベントが決まってから、毎日、最高限度までの冊数の本を借りて、次の日には返すということを学校の図書館で繰り返していた生徒が何人もいたというのです。

 

この噂は、友達の間で流れただけだったので、未だに真相はわかりません。

 

ただ、この経験が私に影響を及ぼしたと思われるのは、

読んだ本の数を数えること

無意識的に拒否するようになったことです。

 

本を読んだ冊数や投資金額で比較したり、されたりすることを無意識的に避けているのだと自己分析しています。

 

これは現在も続いていて、いまだに先月何冊の本を読んだかと聞かれても、言えませんし、また思い返すこともしないというクセがついています。

 

そのため、最初に書いたビジネス本の著者たちが言っていることには、個人的には「インチキではないか?」と反感を感じます。

 

読書は楽しいものですし、正解など無いものです。

 

同じ本を読んでも、それぞれの感想は違いますし、逆に違うからこそ読後感を話し合うことで(決して実用的という意味でなく)自分の世界が広がるのだと思います。

 

これに対して、ビジネスで成功するには、目的達成に向けて、多大な努力と準備をした上で、更にいくつものトライアンドエラーの連続をくぐり抜けていかなければなりません。

 

ですから、ビジネスでの成功に必須な要素は、むしろ、適切な分析の上での目的の設定と、その目的達成のための努力を惜しまない根気と、苦難やリスクにひるまない勇気だと思っています。

 

ただ、そう書いてしまうと、当たり前のことですし、「それができれば苦労なない」と言われて本が売れません。

 

そこで、ビジネス本の著者は、自分の本を売るために、数字を真理や経験則のように読者に錯覚させていると、私は評価しています。

 

他にも、似た手法で「〇日間で結果を出す」、「〇日で儲かる」、「〇%の人が知らない」など、数字をタイトルに使っている本も同じ目的のように感じます。

 

私だけの感覚かもしれませんが、統計など客観的な根拠と証拠なしに「あたかも確実性を示す根拠のように数字をタイトルに入れている本」は基本的にはインチキだと評価して、最近では買わないようにしています。

 

過去には、私もその類のビジネス本を、それなりの冊数読んだ経験があり、それを思い返して「感銘も受けなかったし、全く役にも立たなかったな」という感想です。

 

これもあくまで私の考えですが、「読書は人生を豊かにする」けれど、何かの特効薬になるようなものではないし、もし特効薬になるとしたら、それは「読書」ではないと思っています。

 

どこかでは役に立っているのでしょうが、それが人生のどこで生かされているのか分からないというのが、読書の奥の深さで、私を未だに虜にしている所以なのでしょう。

 

「経営についての法律の問題」の過去記事はこちら 

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どうしてお墓をほしがるの?~「祭祀の承継者」の争い

最近、江戸時代を舞台とした「あかんべえ」という宮部みゆきの物語を読みました。

 

人の心の光と闇を「お化け」という存在を使って上手く表現していました。

 

「お寺の住職が乱心して、仏の存在を確認するために多くの人を殺めて自分が仏に罰せられないか試す」というストーリーが軸となっています。

 

ただ、それを読者に途中まで気付かせず、一つの謎として興味を引っ張るというストーリー構成はさすがだと感じました。

 

物語の最後では、「仏は人の心の中にいる」と(私は)感じられ、軽い読み物でありながら、考えさせる所もしっかりと盛り込む。

 

彼女の本が売れる理由の一つだと思います。

 

さて、江戸時代なら当たり前の信仰や先祖の供養。

 

これを、法律の世界では「祭祀の承継」といいます。

 

これは、宗教の種類は問わず、亡くなった人(被相続人)やその家庭が代々信仰していた宗教に従って行っていきますよね。

 

相続に争いがなければ、たぶん「祭祀の承継者を誰にするのかも争いにはならないのでしょう。

 

ところが、相続について問題が起きると、「祭祀の承継者」についてもセットで争いになってしまいます。

 

遺産分割調停で問題になることも多いですが、祭祀の承継者遺産分割とは全く異なる基準で決められるので注意が必要です。

 

静岡県内の遺産分割調停だと、祭祀の承継者の争いは、「どの相続人も祭祀を承継したくない」という形での争いになることが多いです。

 

結局、宗教的な儀式が重視されなくなってきている現代では、宗教に従った供養の手間や費用を嫌う相続人が多くなっているんですね。

 

ところが、東京あたりになると様子が変わってきます。

 

なぜなら、墓地永代使用料(期限なく使い続けられる権利)が非常に高からです。

 

1回払えば良いとは言うものの、首都圏の大都市部や近郊では平均300万円程度はすると言われ、東京の区内になると1,000万円程度の永代使用料も珍しくないようです。

 

ですから、首都圏では、将来、自分のお墓さえ用意するのも大変です。

 

そのため、親が良い場所に高額の永代使用料を払った墓地を持っている場合には、相続人同士で遺産とは別に「お墓祭祀の承継者の地位」を奪い合うという現象が起きるのです。

 

亡くなってから、便利で環境の良い場所に祀られて、お墓参りにも親族が来やすい場所は限定されているので、人によってはプレミアムを感じるのでしょうね。

 

そして、争いになった場合、祭祀の承継者を決める基準は民法では、次の優先順位となります。

① 亡くなった人が遺言指定していれば、まずはその意思に従います。

② 指定がなければ慣習によります。

③ 慣習も無い場合には家庭裁判所定めます

 

もちろん、相続人同士で争いがなければ、それがその親族間の一つの慣習と考えて、決めても構いません。

 

では、家庭裁判所まで紛争が持ち込まれた場合、家庭裁判所は何を基準に祭祀の承継者を定めるのでしょうか?

 

審判例では一般的な基準として次のようなことが言われています。

 

 被相続人との間の身分関係事実上の生活関係

② 被相続人意思

③ 祭祀承継意思および能力

など、「一切の事情」を考慮して決定する。

 

①の身分関係とは、亡くなった人(被相続人)と親子関係なのか、兄弟関係なのか、祖父母と孫の関係なのかなどを指します。

 

通常は実の親子関係があれば、それが優先されることになるでしょう。

 

もっとも、審判ではさらに、「事実上の生活関係」もあげています。

 

これは、被相続人が亡くなるまでの間、一生に生活したり、世話をしたり、していたかということを指すんですね。

 

ですから、かならずしも親子であることが絶対という訳ではありません。

 

②は、亡くなった被相続人が最後の頃に、誰を最も頼りにして、信頼していたかということです。

 

そして、③は、実際に祭祀を受け継ぐ人が、本当に供養をやっていく意思があるのか、その費用を負担するだけの金銭があるのかということです。

 

実際に、家庭裁判所で争った場合には、

亡くなった人(被相続人)と一緒に祭祀を行っていたか

亡くなった人と一緒の生活をしていたか

亡くなった人からどれだけ親しく信頼されていたか

最も大きな基準です。

 

例えば、長男と長女とが祭祀の承継者の地位を争った場合、家督相続的な考えをすれば長男が承継者となりそうです。

 

ところが、審判では、他家へ嫁いで名字も変わっている長女が、その夫とともに被相続人と同居し、親しくしていた場合に、長女を祭祀の承継者に指定しています。

 

ですから、被相続人の意思や実際の生活関係が最も大切なんですね。

 

高額の永代使用料を支払ったお墓を受け継ぎたければ、「親も一人の先祖として、生前から大切にしましょう」ということなんですね。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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無職の人も、交通事故で仕事を休んだ損害(休業損害)を請求できる?

先週の土曜日は、長野県松本市まで、旅行がてら清水エスパルスと松本山雅FCの試合を観戦に行ってきました。

エスパルスVS松本山雅

松本山雅FCのホームスタジアム(アルウィン・スタジアム)は、松本空港のすぐ横の平らな広い敷地内にあって、非常に開放感がありました。

 

スタジアムの席から遠くに見える山々がまた、長野県を感じさせてくれました。

 

と同時に、こんな遠くまで来ている多くのエスパルスのサポーターも、頼もしかったです。

アルウィン・スタジアム

 

 

 

 

 

 

松本のサポーターは、相手チームに罵声やブーイングを浴びせることはほとんどなく、自分のチームを一体となって応援しているのも素晴らしいと思いました。

 

これに対して、「12番目の選手」又は「2番目の監督」として、1手、2手先のプレーを大声で指示したり、ベンチの選手との交代を求める(やかましい(笑))観客は、アイスタ(日本平スタジアム)と比べて少ないように思えました。

 

スタジアムによって、雰囲気って違うものですね。

 

結果は、崖っぷちのエスパルスが0-1で負けてしまって、一つ下のリーグへの降格がほぼ決まってしまったので、ガッカリでした。

 

さて、交通事故では、「休業損害」という言葉が良く出てきます。

 

休業損害とは、「交通事故あわなければ得られたはずの収入失ったこと」による損害を言います。

 

典型的なのは、会社に勤めている人が、交通事故で休まざるを得ず、特別休暇や有給休暇をとったり、欠勤扱いになってしまった場合です。

 

有給休暇であっても、本来、自由にとれるはずの休暇日数が減ってしまうのですから、やはり休業損害の対象になります。

 

では、無職の人はどうでしょう?

 

「休業」損害というくらいですから、何か業務を行っていることが前提です。

 

ですから、無職の人には原則として、休業損害認められません。

 

もっとも、過去の裁判例を見てみると、全て否定している訳ではありません。

 

つまり、一言で「無職」と言っても色々な状況があり、例外的休業損害認められることも多いということです。

 

たとえば、定年退職して、年金生活をしていた人が事故にあったとしても、年金は入ってきますから、事故による収入への影響は全くありません。

 

ですから、休業損害は認められません。

 

しかし、たとえば26才の女性がアルバイトを退職して、新しい仕事を探していたら、退職の翌日に事故に遭ってしまった場合にはどうでしょう?

 

前日までアルバイトをしていて、仕事もすぐに探していた若い女性ですから、交通事故がなければ、就職して働いていた可能性は極めて高いです。

 

こういう場合まで、休業損害を否定するのは常識に反します。

 

そこで、大阪地裁の判決では、退職前のアルバイトの収入を基準に計算した休業損害を認めました。

 

また、若い人でなくとも、仕事をする意思があり、その能力もあると客観的に認められる場合には、休業損害が認められます。

 

札幌地裁の判決では、大工として働いていた62才の無職男性が、大工の仕事や現場の管理などの仕事先を探していて、その男性の能力から言って十分に働く先がみつかる可能性があるとして、休業損害を認めました。

 

ただ、こういう時には収入が分かりませんから、何を基準にするのか難しいところがあります。

 

こういう時に頼りになるのが「賃金センサス」です。

 

賃金センサスとは、日本で働いている人たちの賃金について、その実態を働いている人の職種,性別,年齢,学歴,勤続年数などにより分けて、国が統計をとったものです。

 

今回もこの賃金センサスの同程度の年齢の男性の収入平均を基準にして休業損害を計算したのですね。

 

ですから、皆さんが無色の時に交通事故にあった場合、保険会社の担当者は休業損害を除外して見積書を出してくることが珍しくありません。

 

このような見積書を鵜呑みにしないことが大切です(他にも、法律上請求できる金額を大幅に値切っています。)

 

保険会社からの提示金額が出たら、その見積もり表を持って、お近くの無料相談に対応している法律事務所に相談に行くのが賢いやり方だと思います。

 

交通事故の民事事件の基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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裁判での「争点整理」とは?~弁護士・裁判官の思考

某NPO法人での保護ネコのカレンダーに、ウチのネコたちが使われることになりました。

 

二匹でウィンクのベストショット。

2匹でウィンク

 

食欲も旺盛で、毛並みも大分良くなってきました。

 

ガリガリにやせ細って、ノミ・ダニだらけで保護された時からはウソのようです。

 

ただ、先住ネコの餌や私の食事まで狙いに来る野生の本能だけは健在です。

 

「今食べなければ死んでしまう」というギリギリの極限状態に1カ月もいたからなんでしょうね。

 

さて、「争点整理そうてんせいり)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 

たぶん弁護士や裁判官などの法律実務家でないと、あまりイメージがわかない言葉だと思います。

 

でも、訴訟になると非常に大事な思考方法であるとともに、大切な手続きなんですね。

 

判例タイムズ」という法律実務家が良く読む法律雑誌で、「争点整理7割決まる!?」という特集が組まれてした。

 

つまり、裁判の手続で行われる「争点整理」という争点の整理手続を行えば、判決結果7割は見えてくるという意味です。

 

具体例でお話していきますね。

 

例えば、父親の相続人である子供3人のうち、長男が遺産全額の3,000万円を勝手に使い込んでしまったとしましょう。

 

そうすると、弟と妹がいたとすると、その2人は、相続人として自分の取り分である1,000万円をそれぞれ返還するように請求していくことになります。

 

これに対して、長男としては、

 そもそも、父親のお金を受け取っていない

 父親に貸していた3,000万円を、生前に返してもらった記憶はあるが、勝手に使ったりしていない

 妹も親から結婚の時に3,000万円以上を借りていて返していないから、その債務と相殺(妹への請求と行ってこいでゼロに)する

などと反論してくることが考えられます。

 

こののように、当事者の言い分が食い違っている部分を「争点」と呼びます。

 

ですから、ここでの「争点」は最初は3つあることになります。

 

しかし、弟や妹の弁護士が、

 

「父親の死亡後に3,000万円が、父親名義の口座から長男名義の口座に振り返られている銀行の作成した書面の原本」

 

を証拠として提出したとします。

 

そうすると、その時点で長男の代理人弁護士としては、の争点について争っても余り意味が無いことが分かります。

 

何故なら、銀行から見れば大したことの無い3,000万円のお金の動きについて、ウソの記載をすることは考えられません。

 

ですから、その書面が弟や妹の偽造でもない限り、長男が父親の遺産3,000万円を1人で受領してしまったことは明らかなんですね。

 

裁判所も、事件解決のためには、段階的に事件を整理していかなければなりません。

 

そこで、裁判官から長男の代理人弁護士に質問がなされます。

 

「銀行の作成した書面を否定できるだけの、信用性の高い証拠の提出は予定していますか?」

 

そこで、長男の代理人弁護士の手元にこれを否定する証拠(例えば、銀行が作成した書面が弟や妹の偽造だとすることを証明できる証拠)が全く無い場合には、ここに拘るより、で争った方が有意義だと判断せざるを得ません。

 

そこで、

「特にありません。」

と答えると、裁判官から

「それでは、についての主張や証明の作業は一旦終わらせて、今後はの点について主張をして、証拠もそれに限定していきましょう。」

との確認があります。

 

そこで、原告である弟・妹の弁護士と、被告である長男の弁護士が同意をすると、今後はの争点に絞って訴訟を進めていくことになります。

 

すると、弟の方は争点が無いことになり、ほぼ訴訟での勝利が見えてくるという訳です。

 

争点も、整理後は1つになりますので、同じ時間を使うのであれば、より内容の濃い主張やしっかりと証拠を集める時間をとることができます。

 

そして、の争点について十分に主張・立証を尽くした後で、和解できるかどうか確認をして、無理そうだったら、法廷で裁判官が話しを聞くという尋問手続に入ることになります。

 

このように、当事者の争点を一つずつ、これ以上の立証ができるかどうかを確認しながら、潰していく手続を「争点整理」と言うんですね。

 

だから、長男と妹が和解するにしてもの争点について、長男と妹のどちらが有利な証拠を出せるかで、裁判官が提案する和解案も異なってくるということになります。

 

これに対して、弟は「来月中に一括払いで900万円払ってくれるのなら、100万円は免除する」というような和解案を提案することで、確実に現金を確保するという方法もとれることになります。

 

「争点整理」によって、このような和解の内容判決の結果まで予測できるようになってきます。

 

だから、「争点整理で7割決まる!?」というタイトルも、確かにそう言えそうなんですね。

 

「裁判手続で知っておきたいこと」の過去記事はこちらへどうぞ。 

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