お金に困った私の経験

「過払い金の返還請求」という誰でもできる簡単な仕事でお金になるものについては、一生懸命CMや広告を出しているのを見かけます。

 

しかし、本当に困っているのは、過払い金などなく、ただ借金だけが膨らんでしまった個人や事業主の方々でしょう。

 

このような場合、借金を整理する方法を知っているだけでも気楽になるものです。

 

そこで、YOU YUBEに借金問題の解決方法についてご説明する動画をアップしました。↓

 

よかったら、参考までにご覧ください。

 

さて、借金のお話しをしたので、私自身が過去にお金に困った時の体験を雑談としてお話ししたいと思います。

 

今の日本は昭和の時代と比べると、全体的には豊かになったので、食べ物に困る人は減っていると思います。

 

でも、破産債務整理に進まざるを得ない方の中には、「その日の食費を削るために1食しか食べない」という生活をしているお話も聞きます。

 

逆に、過払金が入って太ってしまった」というお話も(笑)

 

実は、私も大学時代に「明日のご飯にも困る」という経験をしたことがあります。

 

当時、父親は普通のサラリーマンで、母親も週に2~3日のパート仕事をしていただけだったので、世帯収入は多い方ではありませんでした。

 

もっとも、その頃の日本では、そのような世帯が多い「1億人、総中流家庭時代」だったので、特別なことではなかったと思います。

 

我が家では、妹が私立の高校に通っていたこともあって、私を東京の私立大学に進学させるのは経済的に相当大変でした。

 

それもあって、私が父から言われていたのは

「大学の学費、妹の学費などを考えると、お前への仕送りは、家賃を含めて7万5,000円が限界だ。」

ということでした。

 

そこで、私は、月額2万5,000円のアパートを捜し、残りの5万円で生活をすることにしました。

 

当時は、バス・トイレ付きの6畳だと、東京の多摩地方(当時は田舎でした)でも、4万円~5万円が相場でした。

 

しかし、それでは生活ができなくなってしまうので、家賃から節約することにしたんですね。

 

さて、家賃を引くと5万円となりますが、光熱水費合計の約1万円は、どうしても必要なので、実際には4万円で生活していく方法を考えなければなりません。

 

もちろん、当時は携帯電話などありませんし、固定電話を引く余裕は無く、NHKの代金がもったいないのでTVも置いてありませんでした。

 

なぜか新聞だけはとっていました。

 

別に、私が時事に関心があったとか、そういう教育的なお話しではありません。

 

当時の東京では、若者が引っ越してくると新聞勧誘の営業をする「いかにも怪しそうな男」の餌食になっていました。

 

私もそれに漏れずに、餌食になったんですね。

 

「脅されると、意地でも言うことを聞かない」という性分のおかげで、何人かの営業担当者を玄関先で追い返していたのですが、それを見抜いた営業担当者が今度は利益誘導に切り替えてきました。

 

最初の1ヶ月分は新聞代はタダ。しかも、洗剤・ティッシュ・トイレットペーパーを山ほど持ってきて、更には野球のチケットまで無料でくれると言うのです。

 

そして、とどめは「1ヶ月たって気に入らなければ解約しても良いよ。そうすれば全部タダ。」

 

「タダほど高いものは無い。」ことわざでは分かっていましたが、やはり若干18歳の若年者。

 

私は、「これはおとトクだ」とつい契約をしてしまったのです。

 

その後、大学生のルーズさや、変な律儀さも手伝って、何となく解約しにくくなって新聞を取り続けてしまったのは言うまでもありません・・・

 

新聞代金は月額2,500円くらいだったと思います。

 

ということで、私の1ヶ月の生活費はバイトをしないと、約3万7,500円ということになってしまいました。

 

まず、私が立てた計画は、時給の良いバイトが見つかるまでは、1日1,000円で生活し、残る7,500円を友人との付き合いに充てようというものでした。

 

さて、18歳の若者が東京(多摩ですが・・・)に出てきてワクワクしている所に、そんな歯止めがきくか?というと、結果は言うまでもありません。

 

次の仕送りの日まで1週間以上あるのに、私の財布の中には数百円しか無いという状態に陥ってしまったのですね。

 

私は両親の経済的な負担を心配するという美徳ではなく、

「絶対に、親に泣きついてたまるか」

という変な意地から、連絡は一切しませんでした。

 

「さて、今晩、コンビニ(携帯もない時代ですが、セブンイレブンはありました)で食パンを買ってくれば、今夜と明日の朝までは何とかなる。でも、昼飯から絶食になってしまう。しかも、そこから1週間以上絶食になる。」

 

当時のお気楽だった私も、真面目にその時の自分の置かれた状態を考えると、背筋が寒くなりました。

 

そこで、セブンイレブンに食パンを買いに行った時に、アルバイトニュースなる雑誌を立ち読みして、多摩地方のアルバイトを捜しました。

 

もちろん、翌日に働いて、その日にお金がもらえるバイトでなければ意味がありません。

 

さて、何のバイトを見つけたでしょうか?

 

皆さんも良くご存じの「交通量調査」のバイトです。

 

東京多摩地方では、当時は南北の電車が殆ど無かったため、交通量調査の現場に行くにはバイクが不可欠でした。

 

そのため、直前まで募集をしていることが多かったようです。

 

そして、私は、友人から1万円で買った50CCのオフロードバイクを持っていたのです。

 

実は、原付の免許を取って、そのバイクを無計画に買って、ツーリングに出かけてガソリン代を使ってしまったことが、絶食に至る最大の原因でした・・・

 

さっそく、セブンイレブンの公衆電話に10円玉を入れて、申し込みをしたところ、多摩市と町田市との間の交通不便な場所で、明日の交通量調査が空いていました。

 

翌日、昼食を抜きながら交通量調査をして、夕方もらった5,000円(当時の日給としては、結構良かった方です)の何とありがたかったことか!

 

その後、多摩地方を転々と交通量調査をして、仕送りが来る頃には私の家計は2万円程度のプラスとなっていました。

 

「働いてお金をもらえる」ということのありがたさを、人生で初めて感じた一瞬でした。

 

今でも鮮明に覚えているというのは、やはり当時の私に相当の危機感と5,000円を受け取った時の幸福感があったのだろうと思います。

 

もちろん、そんな無計画なお金の使い方をしないのが一番良いですし、私もそこから浪費の危険を肌で感じたような気がします。

 

そこから、私は「使う前に稼ぐ」をモットーに、バンド活動や友人との遊びを楽しむために、様々なアルバイトをしていくことになりました。

 

「大学の勉強は?」というツッコミは無しで(笑)

 

借金問題ご解決方法についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 債務整理、自己破産、個人再生など借金問題のお話 |

同姓婚、あなたは認める?

最近、「兎の眼」という本(著者:灰谷健次郎)を読みなおしました。

 

学校もののストーリーです。

 

高度成長期の日本を舞台に、「お嬢様育ち」の小学校教師を主人公として、自閉症の子、ADHDの子、その他の社会的弱者に教えたり、教えられたりすることで、「教育とは何か」を考えさせる物語です。

 

今回、改めて、「『お嬢様育ち』の教師が様々な問題に体当たりして初めて見えてくるものがあること」を考えさせられました。

 

最初から世間ずれしたり、達観したりしているような人(耳が痛いですが・・・)には、決してできないことだと思います。

 

「人間教育」という点で見れば、私たち日本人が歴史の中で育んできた倫理観というものを、しっかりと教えることは非常に大切だと考えさせられました。

 

弁護士の仕事も、決して綺麗な仕事でもカッコいい仕事でもありません。

 

何かの拍子に倫理観から外れたことをしやすい仕事と言えます。

 

だからこそ、原理原則から踏み外している時(例えば、加害者側の代理人・刑事弁護人になる時)には、少なくともその自覚が必要なのだと思わされました。

 

やはり良い本というのは、何度でも読んでみるものですね。

 

さて、小説、映画、ドラマなどでポピュラーになってきている性同一性障害同性愛

 

とはいえ、日本では、それを「権利」と把握する傾向は薄いように思えます。

 

自分が自分らしく生きたいという権利(憲法13条)、異性間の恋愛や結婚と同じように平等に扱ってほしいという権利(憲法14条)に含まれるか否かを正面から扱った最高裁の判決は出ていません(2016年4月現在)。

 

実は、この問題についての先進国?アメリカでは、2015年6月に連邦最高裁判所で判決が出ています。

 

この最高裁の判決では、正面から同性の結婚を権利として認めています。

 

つまり、結婚する権利は、アメリカにおける基本的な権利だと位置づけて、同性間の結婚も例外ではないとしています。

 

従って、各州の法律の規定を根拠として

① 同性カップルに対する婚姻許可証を発給しない州

② 他州で合法的に発給された婚姻証明証を認めない州は

憲法違反だとしています。

 

具体的には「法の適正手続条項及び法の下の平等保護条項」(合衆国憲法第14条修正)に違反するとしました。

 

この判決によって、アメリカのどの州でも同性のカップルに婚姻許可証を発行しなければならないことになります。

 

そして、一旦、ある州で合法にその婚姻許可証が発行された場合には、他の州でもこれを認めなければいけないことになります。

 

結論としては、アメリカのどの州でも同性カップルの婚姻許可証の発行が出されるようになったということです。

 

日本で同じことが行われるとすると、どの市区町村でも婚姻届の受理がされて、戸籍に婚姻の記載がされるということですね。

 

この判決は、夫婦の概念も変えるものでしょうね。

 

husband(夫)やwife(妻)と言った言葉も使わないようになるのかもしれません。

 

皆さんは、日本でも同じ判決が出されたら賛成でしょうか?反対でしょうか?

 

現時点では、意見は分かれるかもしれませんね。

 

「憲法のお話」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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子供が死亡しても親の輸血拒否は許される?

先日、静岡市内の草薙球場で、日本ハムVSソフトバンクのプロ野球の試合がありました。

 

静岡市といえばサッカーという印象がありますが、プロ野球でも2万1,000人も観客が入ったそうです。

 

プロ野球に興味がある人が思ったより多いのか、時々だから集まるのか、好カードで先発ピッチャーが有名な大谷選手だったからなのか分かりません。

 

ただ、試合展開も面白い試合で、観に行かれた方は十分に楽しめたのではないでしょうか。

 

さて、今回は、

子供の手術に対して、親が医師による輸血をすべて拒否して、子供の命が危ない場合に、児童相談所が助けることができるのか?

という問題についての平成27年4月の東京家庭裁判所の判断についてご紹介します。

 

このケースでの子供は0歳児です。

 

自分では意思表明できない年齢の子供が、良く吐くようになり、おかしいと思って検査したところ病気であることが判明しました。

 

この病気は手術以外に完全に治す方法は無く、手術を行うことで完全に治すことができます。

 

これに対して、この子供は手術をしないと成長しないまま死亡する可能性があったのです。

 

そして、手術の死亡リスクは4%未満という診断でした。

 

この手術は相当の出血を伴いますし、0歳児という血液の絶対量が少ない患者ですから、輸血がどうしても必要です。

 

ところが、この子供の父母が宗教上の理由から手術に伴う輸血を拒否しました。

 

0歳児の手術には親権者の同意が必要であり、親権者は両親だけですから、他の人が口を出すことは原則としてできません。

 

また、両親自体の信教の自由は憲法に保障された権利として尊重しなければなりません。

 

しかし、自分の意思を表明できない子供自身にも、生きる権利(憲法13条で保障されています。)があります。

 

両方の権利を比較して、はかりにかけた場合、生きる権利の方が緊急性があり、もし死亡してしまうと永遠に取り戻せないという特殊性があります。

 

このような場合にも、両親が親権を自分の思想信条や裁量で何でも自由にしてしまうことには、問題があります。

 

そこで、平成23年の民法改正で「親権の行使が」「不適当であることにより子の利益を害するとは、家庭裁判所は2年の範囲を超えない範囲で」親権の停止を決定できると定めました。

 

そこで、子供を保護する役割をもつ都道府県又は市の児童相談所は、この制度を使って子供を保護しようと考えました。

 

そこで、児童相談所長名で、東京家庭裁判所に「輸血を拒否する父母の親権を一時的に停止して、それと同時に親権の仕事を行う代行者として児童相談所長を選任して欲しい」との申立を行ったのです。

 

東京家庭裁判所はこの申立を認めました。

 

そこで、児童相談所長が親権の職務代行者として、輸血に同意して手術が行われたということになります。

 

これは、平成23年の民法改正前は、親権については「親権を喪失させる」という制度しかなく、そのハードルは極めて高いものでした。

 

そこで、「一時的な親権の停止」というより緩やかな要件で認められる制度を設けて子供を親の育児放棄や不適当な親権行使から守ろうとしたものです。

 

ここでは、児童相談所としても信教の自由と衝突する問題ですから、相当悩んだのだろうと思います。

 

ただ、私を含めて多くの国民は、この児童相談所の判断と行動に賛成するのではないでしょうか?

 

その意味では、民主主義的に見れば、この児童相談所の判断と行動は適切だったといえるでしょう。

 

命が助かった子供自身が、将来、「良かった」と思ってもらえることを祈ります。

 

「親族間のトラブル」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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遺留分の請求はいつ届いたと言えるの?

暖かくなりましたね。

 

静岡市内のお堀の周囲の桜も花を開き始めています。

 

明日から始まる静岡祭りにちょうど間に合いそうな雰囲気です。

 

静岡祭りでは「ご当地ゆるキャラ大集合」ということで、静岡県内の「ゆるキャラ」が集合するようです。

 

浜松市の家康くんに対抗して、「すんぷ竹千代くん」なるゆるキャラが今回初登場だそうです。

 

可愛いゆるキャラであることを願います・・・

 

さて、今回は、遺留分の意思表示が届いたと言えるのはどの時点か?」という問題です。

 

まず、遺留分というのは遺言によっても奪うことのできない相続分を指しましたよね。

 

そして、この遺留分を主張するためには「遺留分減殺請求(いりゅうぶんげんさいせいきゅう)」の意思表示を、相続が開始したこと及び遺言等の内容が遺留分を害することを知ってから1年以内にしなければいけません。

 

この意思表示は、法律的には、書面で行わなくても良いのですが、後で「言った、言わない」の争いになる可能性があるので、実務上は内容証明郵便(配達証明付き)で行うことが多いです。

 

この「〇年〇月〇日に配達しました。」という配達証明をもらうためには、相手が在宅してその受取りを書かなければなりません。

 

では、皆さんが遺留分減殺請求の通知を出しているのに、相手がそれを予測して受け取ろうとしないうちに1年間が過ぎてしまった場合には、遺留分減殺に意思表示は到達したといえるのでしょうか?

 

最高裁の判決は「社会通念上、相手方の了知可能な状態に置かれ、遅くとも留置期間が満了した時点で到達を認めるのが相当」と言っています。

 

つまり、相手方において、相続の紛争に関する通知であると予測できるような場合には、相手方が敢えて通知を受け取ろうとしないこともあります。

 

このような場合に、遺留分減殺の通知が配達証明付きでは届かないのでは実務上も支障をきたすでしょう。

 

そのため、たとえ配達証明がもらえずに手紙が戻ってきたとしても、郵便局での留置期間の満了をもって到達したものとみなすことになるのです。

 

このようなケースでは、本来は、弁護士としては、配達証明が戻ってきたら、再度、内容証明を送付するとともに、速達で配達記録郵便(ポスト投函のみを記録するもの)を送付すべきでしょう。

 

依頼者が最高裁まで争わずにすむように、事前に段取りをしっかりとすることが実務上は大切なのでしょう。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。 

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認知症の高齢者を監督する責任は誰に?

少し前に「頭に来てもアホとは戦うな!」という本(著者:田村耕太郎氏、出版社:朝日新聞出版)を読みました。

 

タイトルから見ると、「アホな人とは戦うだけ損だからスルーした方が良い」と書いてあるように見えますよね。

 

しかし、著者が言いたいのは、むしろ「戦っている自分が『アホ』なのでは?」という趣旨に読めました。

 

武道で言うと、成功者は空手ではなく合気道。

 

相手の力をうまく利用して、結果オーライで勝ちを手にするという趣旨です。

 

「相手の攻撃やいじめにやられているフリをすればいい。」

 

「本当に自分のやりたいことにフォーカスすれば、アホにでも頭は下げられる。」

 

ということです。

 

理屈では分かりますが、なかなか難しいですよね(笑)

 

弁護士の仕事も計算して頭を下げたり、逆に計算して攻撃的に出たりするのは皆あるのでしょうが、常に紛争の中に身を置いているだけに、感情をコントロールするのは難しいとは思います。

 

また、計算してばかりだと、空々しい態度が身についてしまって、周囲に信用されなくなるという点もあります。

 

感情をコントロールする必要は当然ながらありますが、目的達成の計算だけでなく「人としてどうか」という面は捨てたくないと、つい思ってしまいます。

 

そういう意味では、私も「アホ」なのだろうなと思いました。

 

さて、今年の3月1日に出た最高裁判所の判決で話題になったものを覚えていますか?

 

「認知症の高齢者の監督責任は誰が、どこまで負うのか?」という問題についての判断です。

 

この事案では、愛知県内の鉄道の駅構内の踏切事故で、認知症の高齢者の男性(仮に「Aさん」とします)が列車に衝突して死亡したという事案です。

 

この事故で列車に遅れが生ずるなどとして、鉄道会社が、Aさんの妻Bさんと、Aさんの長男Cさんに損害賠償請求訴訟を起こしたものです。

 

この問題でのポイントは次の3つです。

 

① 認知症の高齢者の子供に監督責任があるか?

② 認知症の高齢者と同居する配偶者に監督責任があるか?

③ どのような場合に監督者としての責任を負うのか?その基準は?

 

まず、前提として認知症のAさんは、自分の法的な責任を常識的にも判断できないような認知症だったので、法的な責任を一切負いません。

 

そのため、相続人である配偶者や子供もAさんの損害賠償債務を相続するという関係にはなりません。

 

そのような場合に、被害者の救済のために民法では、責任無能力者(本件では認知症のAさん)を監督する法定の義務を負う者に損害賠償責任を負わせています。

 

今回は、その「監督する法定の義務を負う者」とは誰なのかが争われました。

 

まず、Aさんの子であるCさんは、親を扶養する義務はあるものの成年後見人という特別の地位にはありませんでした。

 

そして、最高裁はたとえ成年後見人であっても生活の手助けや配慮をする身上配慮義務はあるものの、監督をする責任までは無いのだから、Cさんがただ子供というだけでは「監督する法定の義務を負う者」にはあたらないとしました。

 

さらには、同居する妻であっても、夫婦間の義務は、相互に配偶者に対して同居したり助け合ったりする義務であって、Bさんは第三者(本件ではJR東海)に対してまで配偶者を「監督する法定の義務を負う者」ではないとしました。

 

もっとも、「監督する法定の義務を負う者」でなくても、それに準ずべき者として責任を負う場合はあるとしています。

 

では、BさんやCさんは、これにあたるのでしょうか?

 

最高裁は、判断基準として、実情を総合考慮して、その者に責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かにより判断すべきと示しています。

 

そして、本件では、被告となった長男のCさんではなく、妹の

「父を特別養護老人ホームへ入れると頭の中での混乱がよりひどくなる。」

「父は家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に持っている。」

という言葉で、Aさんの自宅での見守りを選択したものです。

 

しかも、被告となった長男Cさんは、事故当時父母の住む愛知県ではなく、横浜市に居住しています。

 

そして、Cさんは仕事の関係上愛知県で介護できないので、妻に父Aの近くに住んでもらって介護を援助してもらっています。

 

Cさん自身は事故当時は、愛知県には1か月に3回程度通っていました。

 

これ以上の事をCさんに求めるのは酷でしょう。

 

また、妻のBさんも高齢だったため、両足に麻痺があって要介護1の認定を受けていました。

 

そんなBさんが、少しまどろんでしまった隙に、Aさんが家を出て行って事故にあったという事情もあります。

 

これらを考慮しつつ、Bさんも、Cさんも「法定監督義務者に準ずる者」にもあたらないとしました。

 

これらの一連の事情を見ると、そもそも長男のCさんや妻のBさんを被告にして訴訟を起こすJR東海のスタンスにも違和感を感じます。

 

鉄道会社からみれば、今後、高齢化に伴い似たような鉄道事故が起きる可能性があるので、親族に監督をしっかりとさせたいという意図があったのでしょう。

 

しかし、公共交通機関として国民全体から乗車利用料の支払いや独占的な事業経営の国からの認可という恩恵を被っている鉄道会社が、日本全体で起きる高齢化と親族の重い介護負担を、個々人に追及すべきでしょうか?

 

そのリスクは、保険に入ることや細分化して利用料に上乗せするなどして、国民全体で負担すべきものなのではないでしょうか?

 

最高裁が「監督義務違反かどうか」という内容に踏み込まないで、「そもそも『監督する法定の義務を負う者』ではない」と一刀両断したのも、そのような考え方が背景にあったように思えます。

 

やはり、「アホ」と言われても「人としてどうか?」という観点は捨てたくないものですね。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。 

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カテゴリー: 相続のお話 |

交通事故で被害にあった歩行者・自転車・バイクの方へ

交通事故では、被害者が

① 歩行者

② 自転車の運転者

③ バイクの運転者

の場合に、死亡や後遺症など大きな被害につながることになります。

 

そこで、その被害を少しでも予防したり、事故後にお金で回収する方法をYou Tubeでご説明することにしました。

 

 

お話しの筋書きは以下のとおりです。

 

この流れをざっと見たり、プリントアウトしてお聞きいただくと分かりやすいと思います。

 

==================================

歩行者・自転車・バイクの被害対応

 

1 歩行者・自転車・バイク運転手が被害者になったとき

→ 日頃から、自分の住所や連絡先が分かるものを身につけておく。

→ 例えば、健康保険証の「備考欄」に家族などの携帯電話番号を書いて おく。

 

2 現場での対応

 (1)示談をしない

  (2)救急対応を周囲の人に依頼する

  → 救急車で自分の命を救い、警察に事故証明を作ってもらう。

  (3)事故の目撃者がいたら氏名・連絡先の情報収集を

  → 名刺をもらっておくのも一つの方法。

 

3 病院での対応

(1)健康保険をできるだけ使うこと。

  → 「健康保険は使えない」という病院があったら、それはウソ

2)お金が無いときは仮渡金を請求

  → 傷害の程度に関わらず11日以上の入院で5万円

  → 傷害の治療費は程度にもよるが最大で40万円

 

4 その後の示談交渉

1)自分が被害者ということを忘れない

  → 加害者が加入している保険会社の担当者から連絡が来る。

  → この場合、担当者はプロ。簡単に示談するのは損する危険も。

  → 「被害者にも過失がある!」(過失相殺)と主張された時に、対応

   が難しい。

  → 歩行者・自転車・バイクは自動車と比べて交通弱者。被害者の方が

   悪くなるのは赤信号無視のケースでもないとなかなか無い。

(2)保険会社の提示金額は裁判の相場より安い

   → 例えば、私(谷川)が最近昨年解決した傷害交通事故は、依頼者の

   方に保険会社から提示されていた金額は715万円。

  → 訴訟を起こして判決を前提とした和解をしたら2,700万円を支

   払うことで合意できた。

 

5 死亡事故の場合には相続人が請求

→ 相続人が分割して相続することになるので、全員の合意が必要。

→ 相続人同士で意見が違ったり、もめ事がある時には、弁護士に依頼して

親族間の調整もしてもらうと良い。

 

6 加害者が完全無保険の場合

→ ひき逃げで加害者不明、車検すら取っていない加害者、泥棒が他人の自

動車を勝手に運転していたようなケースでは自賠責保険すら出ない。

→ このようなケースのためにある「政府保障事業」を利用すると良い。

→ 自賠責保険で定められた金額を限度に給付がされる。

 

交通事故の民事事件の基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 交通事故のお話 |

弁護のゴールデンルール

私は今年の1月から新静岡セノバ(静岡市葵区鷹匠1丁目1番1号 )の5階にある「朝日テレビカルチャー 静岡スクール」で講義をしています。

 

月に1回、第4土曜日の午前10時~12時までの2時間、講義とも雑談ともいえるお話しをしています。

 

講義のタイトルは

知っていてよかった!「大人のための楽しい法律」

です。

現在は人数が少ないため、私から役立ちそうなお話しをしながら、好きな時にご質問を挟んでいただいて、それに答える形で話を広げていっています。

 

今だったら、大阪の交通事故のお話しとか、時事的なご質問が多いようです。

 

日常用語で法律のお話しをするトレーニングができるという点で、私にとっても非常に勉強になっています。

 

さて、司法試験を受かった人は、全国から司法研修所という所に全員入って研修を受けます。

 

私も十数年前になりますが、司法研修所に入りました。

 

その時にまず勧められた本の一つが「弁護のゴールデンルール」という本です。

 

イギリスとアメリカ(カリフォルニア)の弁護士資格を持つ著者が2000年に書いた名著です。

 

149ページという薄い本なのですが、内容は示唆に富んでいます。

 

今回は、そのゴールデンルールの中で分かりやすいものをご紹介しようと思います。

 

ルール① ちゃんとした服装をしなさい。

 

一般市民が裁判に参加する陪審員制度をとっているイギリスやアメリカでは当然だとしても、これは日本にも当てはまります。

 

別におしゃれをしていくとか、高価な服装をするという意味ではありません。

 

弁護士であれ、証人であれ、その人の社会的立場や収入に応じたきちんとした服装をした方が良いということです。

 

「人間、服装ではなく、中身だ」というご意見もあるでしょう。

 

確かにそうなのですが、法廷で1度しか会わない人に、自分がだらしない服装をしていて「仕事には誠実な人間」ということを分かってもらうには、尋問時間の1~2時間では不可能でしょう。

 

もともと、法廷という厳粛な場に、社会人としての大人が敢えて崩れた服装で行く必要はないと思います。

 

ルール② 弁護士らしく振舞ってはいけない。

 

法律相談などでは法律用語を説明抜きで使ってはいけないことはもちろんですが、それは法廷でも同じようです。

 

例えば、法廷で敵にあたる被告に反対尋問をするときですら、法律用語を使うことは避けるべきです。

 

私が反対尋問で、鋭く「それは債務不履行ではないですか?」と攻撃したとしましょう。

 

被告は「債務不履行って何ですか?」と答えるに決まっています。

 

そうすると、通常与えられている30分~40分の中から数分使って「債務不履行」の講義をする必要が出てきてしまいます。

 

最初から、「あなたは、この契約書で約束した期日までにお金をはらっていませんね」と言えば1回の質問と回答で次に進めます。

 

ルール③ あくまで真実にこだわれ

 

私が修習生の時にこれを読んだ時は、「何を当然なことを言っているんだ」と思いました。

 

しかし、弁護士には大きな誘惑が2つあります。

 

① 訴訟で勝ちたい

② 相手に証拠がなければ、真実を無視しても裁判官は真実を認定できない

そして、依頼者の方の中にはウソを法廷で言っても良いから勝ちたいという方もいます。

 

弁護士がこの誘惑から逃れるためには、かなりの自制が必要です。

 

しかし、この本ではこう言っています。

 

「陪審(裁判官)というものが作り上げる複合的な精神は、不誠実さに対して信じがたいほどの嗅覚を持っている」

 

つまり真実に反する主張や証拠を出していると、必ずどこかでばれますし、ばれた時の依頼者や弁護士に対するダメージは計り知れないというのです。

 

どんなジャンルの本でも名著は、読み返す度に新しい発見があると言いますが、この本もその中の一つでしょう。

 

改めて読み返して、反省と自制を感じさせられました。

 

「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 弁護士の視点from静岡 |

相続で実印を押す前に注意!

清原元選手の覚せい剤騒動が報道されていますね。

 

彼は売人の名前を明らかにしていないと報道されています。

 

実際に覚せい剤自己使用罪の弁護人になると、確かに売人を明らかにしないケースも珍しくありません。

 

その理由で良くあるのが、売人の本当の名前も住所も知らないので、明らかにしたくでもできないケースです。

 

ただ、清原元選手のような有名人が長期的に使用を継続している場合、つなぎの人間を把握していることが多いでしょう。

 

そうすると、「釈放後の報復が怖いために言わない」ということが、まず考えられます。

 

このことについて、過去に覚せい剤で有罪判決を受けた田代まさし氏が話していました。

 

「売人を警察に話してしまうと、釈放後に絶対に覚せい剤が手に入らなくなる。それが怖くて、言わない場合もある。」

 

自身が覚せい剤の常習性から立ち直ろうとしている田代氏の言葉だけに重みを感じました。

 

覚せい剤依存の心の闇の深さを実感した一言でした。

 

さて、今回は相続で「遺産分割協議書」という書面に実印を押す場面で注意すべきことをYou Tubeにアップしました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=UEoWpXK94jU

 

ご説明の内容の大筋は以下のとおりとなっています。

 

これをご覧いただいたり、プリントアウトしたりして聞いていただくとより良く分かるのではないかと思います。

 

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  【相続で実印を押す前に注意!】

1 実印を押す書類は「遺産分割協議書」

 

2 後戻りが出来ない道であることに注意

 

3 要チェック!

□ 自分の相続する分が確保されているか?
    

       配偶者 ①1/2       ①子        1/2
                 ②2/3       ②直系尊属  1/3
                 ③3/4       ③兄弟姉妹 1/4   
 

 

□ 遺産に漏れがないか?

  → 名寄帳(なよせちょう)の確認

  → 通帳を一通り見て、次のことは最低確認する。
      ① 他の金融機関への入出金が無いか?
      ② 投資信託・株式・国債などの配当金の入金が無いか?
      ③ 保険料の引き落としがされていないか?
 

 

□ 土地・建物の価格は適正か?
  → 固定資産評価額・路線価

 

 □ 「10ヵ月以内に!」と急がされていないか?

    → 死亡後10ヵ月以内にしなければならないのは相続税の申告。

 → 遺産の分け方の話し合いには期限は無いことに注意。

 

 □ 「寄与分」を主張することを忘れていないか?

 → 相続人の中に、遺産の増加や維持に特に貢献した人や、老後の親の生活費や療養費を負担したり、看病や介護をした人がいる場合に、それを金銭に換算してその人の相続分として加算する分。
□ 「特別受益」を戻していない相続人がいないか?

 → 生前に被相続人から受けた贈与などの財産的利益を特別受益と呼び、これを得た人を特別受益者という。

 

□ 将来の法要(四十九日・一周忌など)の費用まで差し引かれていないか?
→ 四十九日や一周忌の費用は当然に祭祀の承継者である喪主が自分のお金から支払う。

 

□ 相続開始の直前直後に多額の現金の引き出しが無いか?

    → 被相続人の死亡直前に同居していた親族からの無断引き出しが多い。

 

□ 税理士や司法書士がついていないか?

    → 全員のために公平に動く税理士や司法書士は通常はいないことに注意!

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。 

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法律相談のキモ

最近、弁護士業界で良く議論されているのが、弁護士の激増による問題です。

 

私が自分の事だけを考えれば、増えようが、減ろうが、私自身の仕事に対するスタンスもやり方も変わらないので、「どっちでも構わない。」です。

 

社会は変わっていくものですから、弁護士の数だけで仕事が変わるのではなく、様々な要素で変わっていきます。

 

それを常に把握して、分析して、「選ばれる弁護士になろう」と努力しなければならないのは、他の仕事と同じでしょう。

 

もっとも、大局的に考えた場合には、弁護士、裁判官、検察官になるためのハードルを無意味に高くしている今の制度には大きな問題があると思います。

 

今の司法試験は、私の時代と違って、誰でも受けられる試験ではなくなってしまっています。

 

① 法科大学院という「大学院」を卒業した人

又は

② 「予備試験」という択一・論文・口述の3つの法律試験に合格した人

のどちらしか、司法試験を受けられません。

 

そのため、①法科大学院では莫大な授業料などが必要で、②予備試験では「司法試験を受けるために試験を受ける」という大変さがあり、法曹への道が非常に限られた人だけにしか開かれていません。

 

正直、私のようなサラリーマンからの転向派は、今の試験制度であれば弁護士を目指せなかったでしょう(私と同じ年に弁護士になった人には高卒の人もいました)

 

この制度のせいで、誰でも受けられる司法試験であれば弁護士を目指していた人が、それを諦めているのが現状です。

 

誰でも何回でも受けられる「司法試験」に戻した方が良いのではないかとは思っています。

 

さて、今回は、法律相談について、最近、考えたことを書いてみたいと思います。

 

法律相談一番大切なことって何でしょう?

 

やはり、相談者の方が相談を受けた後に「この弁護士に相談して良かった」と思って帰れることだと思います。

 

おそらく、

① 自分の問題の解決の道が見えたとき

② 親切に相談に乗ってくれたこと自体で、ホッとしたとき

ではないかと思います。

 

とすると、弁護士側も、相談者の方にとって

① 分かりやすい説明端的な解決方法を示すこと

② 安心できる雰囲気で相談を受けること

が必要でしょう。

 

①の「分かりやすさ」というのは、弁護士によって色々と工夫していると思います。

 

私は、ホワイトボードに図を書いてご説明したり、相談者用のPCの画面のモニターを置いて、ネットの検索結果や作る文章を見ていただくなどの工夫をしています。

 

「端的な解決方法」は、やはり結論の明確さでしょう。

 

弁護士が相当程度の確信を持って最良の選択肢だと思えれば、それを示す必要があります。

 

現段階では一つの結論を出しにくいケースでは、複数の選択肢を示してメリット・デメリットをご説明したり、直面した問題へのとりあえずの対応を示す必要があると思います。

 

私が良く思うのは、相談者の方から「では、私はどうしたら良いのですか?」という質問が出るような弁護士の相談の受け方は典型的な失敗だということです。

 

皆さんも法律相談に行った時に、

「なるほど、そのように行動すれば良いんだ。」

と結論とその理由も含めて納得できたら、その弁護士の説明は的確だということです。

 

このような弁護士に依頼すれば、依頼した後にも「自分の事件が、今どうなっているか」を分かりやすく説明してくれるため、弁護士を選ぶ大きな基準となるでしょう。

 

これに対して、

「結局、何をしたら良いのか今一つ分からない」

という印象を受けたら、その弁護士の法律相談の技術か、又は法的知識に問題があると思って良いでしょう。

 

そして、弁護士が端的な解決方法を示すためには、当たり前のことですが、弁護士自身が相談者の方と直接話をしなければいけません

 

法律相談では、弁護士が相談者の方から収集しなければならない情報は、多種多様に及びます。

 

例えば、

相談者の方が何を解決して欲しいと考えているか?

相談者の方の周囲の人間関係

裁判手続になった時の証拠となりそうなものの確認

弁護士が関与した後の周囲の関係者の反応や相手弁護士の行動の予測

など様々な情報を分析して、法律と過去の経験を参考にして、弁護士は判断を示すことになります。

 

そして、このような思考は、当然ながら法律を知らないとできません。

 

例えば、印鑑と署名のある書面を証拠とする場合、その書面の筆跡が本人のものか確認する他にも、

印鑑は本当に署名した人だけのものか?

印鑑はどこに保管してあったか?

印鑑の持ち主以外に、それを持ち出せる人はいたのか?

などを聞きとる必要があります。

 

専門用語で言うと「二段の推定」と言いますが、この推定により書面が証拠とできることになるので、推定されるのかどうかを確認する必要があるのです。

 

ですから、私は事務員(呼び方は色々ありますが、弁護士以外の人)が、弁護士の相談前に事実関係を聞きとるというやり方は良くないと思っています。

 

最初から、弁護士が情報収集をしっかりと行った方が、総合的な情報収集と的確なアドバイスをできることに間違いありません。

 

もともと、定型化して、大量処理することができない性質のものなのです(一時期流行った過払金ですら、しっかり対応しようとすれば、実は同じ性質があります。)。

 

そして、込み入った事案や説明が苦手な相談者の方の話を弁護士が聞いていくことで、弁護士自身も相談者や依頼者から法的に必要な情報を上手く引き出す技術を磨くことができます。

 

現場で動かないで技術を得られる訳がなく、物の販売のように効率的に人を処しようとするやり方は、私は好きではありません。

 

次に、②相談しやすい雰囲気かどうかは、個々の相談者の方に感じてもらうしかないのですが、多くの方が共通すると思う点がいくつかあります。

 

まず、早口はダメですね。

 

ただけさえ分かりにくい内容なのに余計分からなくなってしまいます。

 

次に、専門用語を説明抜きでするのもいただけません

 

相談者の方には、知らない外国語で話されているように感じられてしまいます。

 

そして、相談者の方に十分に話す時間と余裕を持ってもらう必要があります。

 

例えば、相談者の話を途中で遮って弁護士が話し始めるとか、相談時間の中で弁護士の方が一方的に話し続けるというのは、相談者からの情報を得ようとしない点で問題があるでしょう。

 

更に、雰囲気としては表情や話し方も大切だと思います。

 

怖い顔や無表情で低い声で話されたら、相談者の方も圧迫感を感じてしまいます。

 

そういう意味では、相談しやすい雰囲気も、弁護士の人柄だけでなく、それを作る技術という面もあるのでしょうね。

 

私が新人弁護士の頃、一番苦労したのは「端的な解決方法を示すことが出来なかったこと」です。

 

裁判や交渉の経験が少なく、実務の知識も少ない上、修羅場も余り体験していないので、事件の先が読めないんですね。

 

もっとも、「若い弁護士だな」と思っても、法律相談での回答が慎重で、色々と誠実に調べてくれるような弁護士だったら、若い分フットワークが軽いので、肩書きにあぐらをかいているベテラン弁護士よりずっと良い面もあります。

 

弁護士が一番悩むのは、事件の入り口の法律相談や依頼を受けた直後に、どのような手段(交渉・訴訟で請求する法律構成・調停の種類・訴訟や調停前にやっておくことはないかなど)を選択をするのかです。

 

これを失敗すると、その後に有利に進められなくて取り返しがつかないことがあるからなんですね。

 

そのような意味で、法律相談というのは、弁護士の力量や誠実さが大きく現れる場面と言えるのです。

 

「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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捜査機関がGPSを勝手につけるのは違法?

最近売れているらしい、医師の近藤誠氏の本。

 

「医者に殺されない47の心得」「余命3カ月のウソ」など、衝撃的なタイトルで本を多数出しています。

 

医師の世界の醜い部分を強烈に指摘するとともに、がんの放置、抗がん剤の未使用を強く勧めています。

 

弁護士業界と比較して考えてみると、おそらく患者に隠されてる真実を描いている面と、ご自分のビジネスのために極論を書いている部分があるのでしょう。

 

近藤氏が臨床から離れてセカンドオピニオン外来しかやっておらず、30分で3万2,000円という診断費用をとっていることを見ると、???と思うところもあります。

 

医師のことは分かりませんが、「セカンドオピニオン法律事務所」という名前で、日々刻々と変わっていく現場の実務をやらないで、法律相談だけ受けて稼いでいる弁護士がいたら、確実にインチキですね。

 

そこまでいかなくても、弁護士業界にも、追い詰められた方の心理を利用して高額の弁護士費用を請求している弁護士もいます。

 

その種の弁護士に近い面が近藤氏側にあるのか、それとも批判する多数派にあるのか、簡単に2分はできなさそうです。

 

最近では、ネット上でも、書籍でも、近藤氏の理論の誤りを客観的に指摘しているものが多くみられます。

 

例えば、長尾和宏医師の本

「『近藤理論』のどこが間違っているのですか?」「医療否定本に殺されないための48の真実」

などに書かれている、患者や症状ごとに、治療の選択は個別に考えるしかないという意見には同感です。

 

近藤氏は、業界の闇を患者にオープンにしたという歴史的意義はあるのでしょうが、臨床も経験していない近藤氏の話を現在もそのまま信じてしまうのは正直怖いという印象です。

 

これからは、がん治療についても、色々な情報を収集し、医師の意見を理解して、自ら決断する力が患者の方にも必要になりそうです。

 

さて、出かけるときに便利なスマホやカーナビにつけられているGPS。

 

自分のいる位置が、瞬時に計測されます。

 

スマホでアプリを使う時、GPSを使う時には許可の画面が出ることが多いですよね。

 

これは、「何月何日何時に自分がどこにいたか?」という情報は、個人のプライバシーとして非常に重要な情報だからです。

 

その情報を集められて、地図と照合されてしまえば、仕事場に何時間、自宅に何時間、どこのお店に何時間、というように自分の趣味や行動がほとんど把握されてしまいます。

 

最近ではマグネット式やシール式で簡単に自動車につけられる小型のGPS装置が開発されています。

 

そのため、自動車の外側から簡単につけることができるんですね。

 

これを利用して探偵会社などは不貞行為の調査に使用することもあるようです。

 

では、警察がこれを利用して捜査をする場合に、裁判所の令状をとる必要があるでしょうか。

 

警察官や検察官は、国会から法律という形で民主的(多数派からの)コントロールを受ける立場です。

 

これに対して、裁判所は少数派の権利も保護する別個独立の司法機関なので、それぞれ性格が違います。

 

そして、行政機関である警察が個人の権利を侵害する形で捜査(強制捜査)する場合には、少数派=私たち一市民の権利侵害が生じやすいのです。

 

そこで、憲法は、強制捜査をするには、司法機関である裁判所の裁判官が発する令状が必要として、私たち個人の権利を保護しているのです(令状主義)。

 

では、捜査対象者の車にGPS端末をこっそり取り付ける捜査手法は強制捜査でしょうか?任意捜査でしょうか?

 

任意捜査なら裁判所の令状が不要ですし、強制捜査なら令状が必要です。

 

名古屋地裁の判決の事例は以下の通りでした。

 

愛知県警は、平成25年6月、住宅や店舗を狙った窃盗事件の犯人と疑われる男性が乗る乗用車の底部に裁判所の令状なしにGPS端末を装着しました。

 

被告人の位置検索をしながら行動を追いましたが、3カ月後に被告が端末に気づいて取り外しました。

 

その間、検索は1653回、多い時は1日109回に達しています。

 

名古屋地裁の判決は、位置情報を正確に把握できるGPS捜査を県警はいつまで続けるかも決めておらず、長期にわたるプライバシー侵害の恐れがあったと指摘しました。

 

そして、「任意の捜査として許される尾行とは質的に異なる」としてGPSの取り付けを強制捜査として、令状のないGPS捜査は違法としたのです。

 

もっとも、事件当時はこうした司法判断がなかった点を考慮し、弁護側が求めた捜査資料の証拠排除は認めなかったので、被告人は有罪とされました。

 

このため、弁護側は控訴しています。

 

昨年は、大阪地裁でも令状のないGPS捜査が重大な違法とされました。

 

いずれも控訴審で争われているとはいえ、2つの地裁で違法との判決が出ている以上、警察のGPS捜査はしばらく控えられるかもしれません。

 

そもそも、「被疑者」かどうかは、警察が一方的に決めてしまうので、私たちの自動車にいつGPS端末が取り付けられるかわからないと思うと気持ち悪いですよね。

 

やはり、プライバシーを考えると、令状なしでのGPSの取り付けを任意捜査として広く認めるのは怖いと思います。

 

今後、GPS端末取り付け令状の要件が最高裁で示されるかもしれません。

 

なお、民事裁判では、GPSの無断取り付けで得た資料は、権利行使の範囲内と言えれば証拠として使えるでしょう。

 

例えば、夫や妻が浮気している疑いがある場合に、それほど長期にわたってではなく、配偶者の自動車にGPSをつけていたケースなどでは、証拠として使えるでしょう。

 

刑事裁判ほど証拠について厳しい判断はされないからです。

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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