性犯罪、相手の意思はどこに?

静岡を含む東海地方も梅雨入りしたようです。

 

基本的に雨の日は苦手なのですが、梅雨と紫陽花は日本の四季の美しさの一つだと見ることもできます。

 

紫陽花で有名な北鎌倉の明月院なんて(すさまじい混雑を除けば)、この時期は風流ですよね。

 

最近は、昔より苦手なものとの折り合いの付け方にも慣れてきたように思えます。

 

さて、風流とはほど遠いお話ですが、今朝ニュースを見ていたら8日の木曜日に刑法改正の法案が衆議院を通過したとのことです。

 

現在の国会の勢力図で参議院で否決されることはないでしょうから、ほぼ決まったと言って良いでしょう。

 

さて、気になるその改正の内容ですが、メインテーマは性犯罪の厳罰化ということです。

 

まず、現在「強姦罪」として規定されている犯罪について、「強制性交等罪」と改めて、被害者に男性も含めるようにします。

 

現在の強姦罪の被害者は、「女子」と定められていますので、男性は入りません。

 

しかし、特に青少年が被害者となる性犯罪の場合、女性に限らず男性も性交類似行為によって被害を受けています。

 

これまでは男性が被害者の場合には強制わいせつ罪で処罰されてきましたが、それでは刑が軽すぎるということでしょう。

 

そして、その強制性交等罪について、従前の強姦罪が「3年以上の有期懲役」としていたのを、「5年以上の有期懲役」に引き上げます。

 

また、今までの強姦罪では被害者の女性が加害者の処罰よりも、ご自分のプライバシーを尊重するために、被害者の告訴がないと処罰できませんでした。

 

これをとりやめて、被害者の告訴がなくても処罰できるようにしています。

 

つまり、被害を警察が発見したら、被害者の意思に拘わらず、逮捕して検察官が起訴し、裁判所が有罪判決を下すことが出来ます。

 

性犯罪は卑劣ですし、被害者は体以上に心に大きな傷を負いますから本当の意味で被害者保護になるのであれば私も賛成です。

 

しかし、今回の改正についても違う見方もできます。

 

確かに、今までの強姦罪の被害者には男性が入ってはいません。

 

もっとも、仮に強姦罪と同様の性交類似行為で被害を受けた場合、通常のわいせつ行為とは異なり、その行為の性質上、被害男性が無傷ということはあり得ません。

 

そうすると、加害者に適用される条文は、常に「強制わいせつ致傷」になり、その法定刑は「無期又は3年以上の懲役」です。

 

つまり、「強姦罪」よりも重いわけです。

 

そして、強姦罪について変更するのは「短期」といって、最低〇年以上という部分です。

 

今の法律でも裁判所が悪質だと判断すれば懲役5年でも10年でも判決は出せます。

 

ですから、むしろ厳罰化の意味は、あらゆる性交等の強制行為に「画一的に軽い処罰を許さない」ということにあります。

 

また、一歩引いて国の制度として見た場合、裁判所の裁量を信用せずに、国会の多数決で画一的に刑の下限を定めるということです。

 

私の意見としては、男性、特に青少年を強姦罪の被害者に入れて強制性交等罪とすることは現代の問題から必要だと思うので賛成です。

 

しかし、強制性交等罪の下限を画一的に引き上げたり、被害者の意思を無視した親告罪の排除には反対です。

 

皆さんは強姦罪というとTVや映画でのレイプのイメージがあると思います。

 

しかし、実際に刑事事件を担当していると、悪質な強姦罪と少し違うケースとの区別が非常に難しいのです。

 

例えば、本当に悪質な強姦罪でも、被害女性は怖くて動けないことが多いので、怪我をしていないことは珍しくありません。

 

被害場所が、山中、河原、人通りが少ない街中などであれば、そこから悪質な強姦罪と推測できます。

 

ところが、珍しくないケースとして、被害場所が相手男性の部屋とかラブホテルがあります。

 

被害者からは、相手の部屋やラブホテルに行ったのは「怖くて逆らえなかったから」という主張が必ず出てきます。

 

実際、日頃から暴力を受けていれば、それも十分あり得るでしょう。

 

しかし、ラブホテルの動画映像で、男女が仲良く部屋を選ぶシーンがありながら、強姦罪として有罪にされているケースも実際にありました。

 

性交等強制罪」と「人の愛の確認」との境界が「相手の意思に反していたか否か」という極めて曖昧なものであることを忘れてはいけないと思います。

 

また、強姦罪(強制性交等罪)について被害者の告訴を不要とすることも大きな問題があります。

 

ご自分のプライバシーを守りたくて被害を隠していたとしましょう。

 

そんなときに犯行が発覚する最も多いケースは、加害者が他の犯罪で逮捕されて、強制性交等罪を自白する場合です。

 

警察は加害者の余罪を捜査しますので、いきなり事情聴取を被害者に求めていくことになります。

 

せっかく、犯罪被害を他人(場合によっては家族にさえ)に知られず、自分も忘れるように努力しているところに、突然、捜査の対象とされたらどうでしょうか。

 

特に、加害者が悪質なほど、法廷でいきなり強制性交等罪を否認することがありますので、その場合には被害者の方は公開の法廷に出頭して証言しなければなりません。

 

遮蔽措置などで傍聴人に見られない工夫はありますが、犯行被害の細かい事実を根掘り葉掘り聞かれることの苦痛は察するに余りあります。

 

強姦被害の後に二度目の被害にあうということにならないでしょうか?

 

今回、男性も被害者に入ったので私を含めて男性の方も被害者になった場合を想像できるでしょう。

 

強制性交等の被害にあったときに、警察に捜査して刑事裁判で処罰して欲しいか?

私の答えはNO!です。

 

自分だけの秘密にできればそうしたいと思いますし、必要があればそれなりの報復を(一応適法に)行うことを自分なりに検討するでしょう。

 

逆に、強制性交等罪になったことから、女性が加害者になり得ることにもなりました。

 

女性が会社の上司だったり先輩だったりするケースでは、女性も相手から「意思に反していた」と後から言われないように注意が必要でしょう。

 

改正は決まってしまったことなので、今後、どのように運用されるか、私自身が弁護人になった刑事事件を見ながら判断していきたいと思っています。

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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必要なものと好きなもの

最近、「まちの本屋」(著者:田口幹人・ポプラ社)という本を読みました。

 

全体的には

小規模な本屋がジュンク堂書店やTSUTAYAなど大規模な書店とどう差別化をするか?

という大筋の中で色々な話に触れています。

 

大規模書店との差別化といっても、ただ営業利益をあげるためだけでなく、小さな本屋としての矜持が感じられて楽しく読めました。

 

この本を開くと太字で書いてあるのが「本は嗜好品などではなかった。必需品だった」という一言です。

 

つい「本屋だからそう言うんだろう」と思いましたが、実体験からの感想だったようです。

 

東日本大震災の直後、津波で甚大な被害を受けた「さわや書店」釜石店が震災直後に店を開けると、お客様がなだれ込んできたとのことです。

 

とにかく何でもいいから本を、とみんなが奪うように買っていったということです。

 

当然、買っていく顧客は震災の被害者の方々です。

 

その理由は推測するしかありませんが、著者はこのように書いています。

 

「少しでも日常を取り戻すために、いつも身近にあった何かが手に入らないか。そう考えたとき、誰もが思い出したのが本だったのではないか」

 

確かに、震災の被害者ほど過酷な経験ではありませんが、本を読むことで「つらい現実から別の世界に入り込めることで救われる」という経験は、私もしたことがあります。

 

「衣食足りて礼節を知る」という諺からは、衣食住が満たされなければ嗜好品は要らないということになりそうです。

 

しかし、東日本大震災では、衣食住の全てを一瞬にして無くなった方々が礼節を失わなかったという事実もありますし、さきほどのように本屋に殺到したという事実もあります。

 

人間が衣食住だけを基礎にして生きているという考えは、現代では通用しないように感じます。

 

それぞれ、ご自分の大好きなものがあると思いますが、

「1日1食減らさないとその好きなもの(例えばスマホ)を手放さなければならない」

となった場合、1食減らす選択をする人の方が多いように思えます。

 

私が破産事件や個人再生事件をお引き受けすると家計表というものを作っていただきます。

 

裁判所が「家計がどの程度苦しいか?無駄遣いをしていないか?」などをチェックするために提出しなければならないからです。

 

そんなとき、「食費を減らして趣味のものを続けていくか?」については、人によって判断は異なると思います。

 

このとき、判断をせまられることの一つにスマホを続けるか?があります。

 

多くの方は無理してでもスマホを制限したくないという考えのようです。

 

例えば、食費は1人の生活で月3万円未満まで削っているのに、スマホ利用料が1万5,000円という家計表は珍しくありません。

 

一昔前だったら、この家計表をみた裁判所もスマホを無駄遣いととらえていたかもしれません。

 

でも、少なくともここ数年前からは、スマホを使って人間関係を維持しておくことが、破産・再生後の経済的な立ち直りを助ける面もあるので、余り厳しいことは言わないようになっています。

 

例えば、
「スマホがあるからこそ求人募集にすぐに申し込めたり、ハローワークの情報を手に入れられたりするので、ある意味生活必需品的な意味合いを持つ」と主張することもできます。

 

でも、それってタテマエですよね(笑)。

 

おそらくご本人にとっては、それ以上に、LINEやSNSを使って友人などとの連絡や情報交換を続けていくことに大きな意味をもたれていると思います。

 

時代とともに嗜好品と必需品のボーダーラインは変わっていきます。

 

自動車なんて、現在では必需品の中から外れる傾向にあるのかもしれません。

 

もっとも、「自動車の運転が苦手」という人が増えただけだと思うので、自動運転が2020年以降に実現されてくれば、道具としての自動車が必需品になっていくかもしれません。

 

嗜好品と必需品のボーダーが変わっていけば、法律や実務への影響も免れないでしょう。

 

法律も人が暮らしやすくするために決めたルールにすぎませんので、社会が変われば、それに対応していかなければなりません。

 

昨日公布された民法の改正法も、明治時代に成立してから判例や実務・学説で修正でつぎはぎになった部分を整理して大幅に変わっています。

 

実際に私たちの生活にに適用されるようになるには、約3年後くらいになります。

 

人の考え方も法律も変わっていき、世の中の変化するスピードがどんどん加速している印象を受けます。

 

きっと、今から10年後には、今からは想像できない価値観を、私たち自身が持っているのでしょうね。

 

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裁判員のいない裁判員制度

最近、静岡市では雨の日が増えています。

 

ちょっと気になって梅雨入り情報を調べてみました。

 

まだ、梅雨入りはしていないようです。

 

あちらこちらでツバメの巣と餌を運ぶ親ツバメの姿を見るようになっているので、あと10日くらいで梅雨入りなのでしょう。

 

梅雨は苦手ですが、その合間の晴れ上がる日は大好きなので、それを楽しみながら梅雨を乗り切りたいと思います。

 

さて、今月、5月で裁判員制度を導入して丸8年となります。

 

司法改革の目玉の一つとして導入された裁判員裁判ですが、8年の歴史を振り返ると余り良い結果は出ていないようです。

 

新聞報道をいくつか読んでみると、マイナス面の統計結果しか書かれていませんでした。

 

見出しを上げて考えてみます。

 

① 裁判官のみ審理急増 2016年の暴力団声かけ後

 

 「裁判官のみ審理」というのは、本来は裁判員が行うとされている事件でも、裁判員に身の危険が生じるような場合には裁判官3人だけで審理することが増えているということです。

 

これは、北九州市の小倉で暴力団の元組合員らが裁判所の外で待ってい て、裁判所に出入りする裁判員に「あんたらの顔は覚えとる」と声をかけて逮捕された事件が影響しているようです。

 

暴力団が関わるような事件については、審理される被告人はほぼ刑務所行きですから、本人からいきなり攻撃されることは余り考えられません。

 

もっとも、組織で動いていることから、被告人に厳しい質問をした裁判員を、組織が報復することは可能です。

 

私の感覚だと、そんなことをしたらむしろ組が潰れるほどの反撃を警察などから受けるため、実際にはやらないとは思いますが。

 

ただ、そのリスクもゼロとは言えないので、やはりある程度の覚悟を決めて自分の意思で法曹(裁判官・検察官・弁護人)になった人だけがやるべきだという判断なのでしょう。

 

次の見出しとして

 

② 増え続ける辞退 制度施行8年、長期審理敬遠か

 

 裁判員は最初は選挙人名簿から各市町村が選ぶので裁判所は関与していません。

 

その後、裁判所に呼び出されて、担当の裁判官・検察官・弁護士がいる部屋に入って質問を受けた上で、除外する人を何人か決めたあとにくじ引きで選びます。

 

では辞退というのはどういうことでしょうか?

 

これは、呼出をされる前に事前の質問票などで、自分の意見として「辞退したい」ということを書くことができ、実際に呼び出された時も頑なに固辞すれば辞退できるということです。

 

裁判所としても、「どうしても裁判には出られない」と言い続ける人は、裁判当日に来ない危険がありますし、実際に真剣に考えてくれるか疑問です。

 

ですから、辞退をみとめざるをえないのだと思います。

 

私が大学で裁判員制度について講義をしていると、学生から

「私は、こんな重大な事件について判断を下せる自信がありません。それを説明したら裁判員を辞退できるのでしょうか?」

という質問を良く受けます。

 

ただ、私たち法曹にとっては、むしろ、そういう発言をする人の方が事件を真剣に受け止めてくれているので「選びたい」という気持ちになってしまいます。

 

ですからむしろ自信満々に

「私は法律を独学でマスターして、社会経験も豊富なので、裁判官よりも良い判断を裁判員としてできる自信があります。」

と発言した方が選ばれ難い(というか絶対に除外される)と思います。

 

ただし、そんなことを言うと、

「素晴らしいですね。では、結果無価値論と行為無価値論のどちらの立場で学ばれましたか?」

「社会経験というと、お仕事以外に具体的にどのようなご経験をされましたか?」

などというコアな質問が、質問のプロから飛んでくる可能性があるので、「いいこと聞いた!」と実際にやらないようご注意を(笑)。

 

結局、辞退者が多い理由としては、裁判員裁判に対する関心が低いこと、非正規雇用が多くなり、裁判に出てくる余裕がない人が多くなったことなどがあるようです。

 

確かに、平均して平日を6日もつぶされてしまうのは、普通に働いている人にとっては嫌でしょうね。

 

それだったら、残業代が出る仕事をするか、お休みをとってノンビリしたいというのが普通だと私も思います。

 

人生経験的に見ると、裁判員として実際の刑事事件を体験しながら、事件の報道や世の中の人の考えとの大きなギャップを経験することは視野が広がる点はあるとも言えるのですが。

 

どちらを取るのかは悩ましいところですね。

 

最後の見出しとして

③ 裁判員判決、破棄率が年々高く 制度開始8年

 

 裁判員裁判は日本各地の主要な「地方裁判所」で行われています。

 

 そして、日本は一つの事件について3回審理を求めることが出来る三審制をとっており、裁判員裁判は三審の中の第1審にあたります。

 

 そのため、裁判員裁判に不服があれば、「控訴(こうそ)」と言って、上級の裁判所に再審理を求めることができます。

 

 例えば、静岡地方裁判所で行われた裁判員裁判に不服がある被告人は、東京高等裁判所に控訴ができるということです。

 

 そして、高等裁判所からは裁判員制度はなく、裁判官だけの裁判が行われます。

 

 その高等裁判所で、裁判員裁判の判決が取り消される割合が増えているということです。

 

 せっかく市民が頑張って休みをとって判決に参加したのに、高等裁判所の裁判官だけでそれを取り消してしまっては何のための裁判員制度か?という疑問も出るでしょう。

 

取り消される割合は、制度が始まったころは6%程度だったのが、昨年度では11%程度まで上がっているとのことです。

 

つまり、裁判員裁判の1割以上が取り消されているということになります。

 

もっとも、3回の審理でより慎重に判断していくという三審制の制度趣旨を考えれば、人間の判断が100%正しいとする方が違和感がありますので、1割程度の取消はむしろあって当然とも言えるでしょう。

 

施行8年で色々な問題が噴出してきています。

 

ご自分が、いつ裁判員に選ばれるか分からないので、最終的にはそれぞれが選挙を通じて、
制度に賛成する国会議員に投票するか?
反対する国会議員に投票するか?
で決めていくことになりますね。

 

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弁護士の育て方とは

今年のG.W.は良い天気が続いたということで、行楽に出かけられた方にとっては良いお休みだったと思います。

 

私は、例年より遅いタケノコが残っているということで、バーベキューがてらタケノコ掘りをしてきました。

 

食べるためのタケノコはこれくらいの大きさなので

急斜面でなければ掘るのにそれほど苦労しません。

 

ところがタケノコをそのまま放っておくとこれくらいの大きさになります。

 

 

そして、更に放っておくとこのような大きさになっていき、

 

最後は竹になっていってしまうということです。

 

タケノコと竹は子どもの頃良く注意して見ていたのですが、その中間のものを注意して見るのは初めてでした。

 

さて、弁護士1人、事務員1人で始めた私の事務所ですが、すこしずつ弁護士の数と事務員の数が増えました。

 

そうすると、私が何となく上司的な立場になります。

 

本当は、弁護士は1人で仕事をする方が効率も質も良い(事件への責任感がより強くなるのいう意味で)ので、適切な件数の仕事を独立して担当するのが理想的です。

 

もっとも、一人前に独立して仕事をできるようになるまでは、私が育てていかなければならないことは当然です。

 

そこで、上司としての心構えを学ぼうと、いくつか上司としての心得本を読んでみました。

 

そのうち「自分の頭で考えて動く部下の育て方」(著者:篠原信・文響社)という本に書いてあったことが参考になりました。

 

上司として指示待ち部下を作ってしまう典型的なパターンとして

① 一気に教えすぎる

② 自分でやってしまい過ぎる

③ 教えなさすぎ

の3つがあげられていました。

 

だと部下は指示を忘れてしまって、考える資料自体がないため、再度1個ずつ指示を聞いて仕事をすることになります。

 

結局、指示通りのことしかしないというわけです。

 

は、上司が部下の前で全てやっているのを見せて、「じゃあ、同じようにやってね。」と指示するパターンです。

 

弁護士の仕事で言えば、作った訴訟の書面を見せて、裁判所に連れて行って横でみせて、「じゃあ、同じように」ということになります。

 

しかし、そのような体験は既に「司法修習生」という立場で勉強してきていますし、見ているだけで出来るような仕事は弁護士に限らず余りありませんよね。

 

結局、指示を1個ずつ確認しながら仕事をせざるを得なくなるということです。

 

は、上司としては簡単な仕事だと思って、「自分なりに考えてやってみて。」といってやらせることです。

 

「これくらい出来るだろう。」と思って新人に考えてやらせてみたら、そのやり方を確認して仰天した経験を持つ上司は私だけではないと思います。

 

そのような場合、上司は結局「一から指示をしなければダメだ」と文句ばかりつけることになってしまい、結局指示待ちの部下を作るということです。

 

では、どのような方法をとれば自分の頭で考えてくれる部下を育てられるのでしょうか?

 

その本によると「質問」がポイントのようです。

 

仕事のやり方やアイデアについて、質問攻めにして、上司が良いと思った方法にたどり着いたときに、「おっ、その方法良いね」といってやらせてみる。

 

ヒントは出しても答えは絶対に教えないで、自分で見つけ出す形で指導すると部下は自主的に仕事をしたという意識になりますから、気分も良いし、仕事の習得も早いとのことです。

 

そして、自分で答えを出していますから、その過程で頭を使っているということで、応用も利くのでしょう。

 

これは弁護士の仕事にも応用はききそうです。

 

例えば、裁判であれば、相談を一緒に聞いた新人弁護士に、「今の事件であれば、訴状でどのような法的構成をする?」などと質問をします。

 

その答えに問題があると思えば、「他に方法はないかな?」とか「〇〇という事例に似ているよね?」などというヒントを出してみます。

 

大筋で間違いの無い方向で考えられるようになったら、訴状を作らせるということになります。

 

今お話したのは①訴訟事件に分類されますが、弁護士の仕事には、他にも交渉事件や財産管理事件などがあります。

 

例えば、破産管財事件だとすると、会社の社長に代わって会社の清算をしていって、最後に債権者に配当をしていかなければなりません。

 

その中では、様々な法律問題やアクシデントが起きます。

 

給料の未払があれば、未払賃金立替払い制度をどのように利用するか?

 

不動産を売却しなければならないとき、土地に有害物質があったらどのように処理したら良いか?

 

不動産に担保がついていたときに、債権者と担保を外す交渉をどのような切り口で行うべきか?

 

取引先が勝手に工場の機械を引き上げていかないかどのように監視すれば良いか?

 

などなど、事件によって様々な問題が生じてきます。

 

そのため、このような対処の方法が全く決まっていない事件については、教えることの難しさを感じます。

 

新人を育てるときにも、訴訟や調停などは、ある程度の段階で一人だちさせられますが、交渉事件や破産管財事件については、1~2年では適切な対応は難しいように感じます。

 

しかし、誰でも新人の時期はありますので、私も上司としての覚悟を持って新人弁護士を自分の頭で考えられるように育てて、事務所内で刺激しあえる関係を作っていきたいと思います。

 

それが、相談者、依頼者のお役に立つ最も良い方法だと思います。

 

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時効期間が過ぎても債権は消えない?

最近は、外を歩いてもクシャミが出なくなってきました。

 

花粉症の人にとっては、一番厳しい季節が終わりにさしかかっています。

 

あと少し、一緒に切り抜けましょう!

 

さて、お金を貸したときにいつまでも放っておくと時効にかかるというお話は聞くことがあると思います。

 

それは本当です。

 

友人同士の貸し借りであれば10年間、銀行や消費者金融会社のように仕事でお金を貸している所からの債務は原則として5年間で消滅時効期間が経過します。

 

では、例えば消費者金融会社は5年経過したら、もう回収をあきらめるのでしょうか?

 

最近では、アコム、プロミスなどの有名な消費者金融会社は銀行とのグループ関係を表に出すようになっています。

 

テレビの宣伝でも、グレーゾーン金利が無くなってから、アコムは三菱UFJファイナンシャルグループ、プロミスやモビットは三井住友グループであることをはっきりと使うようになりました。

 

そうなると、さすがに時効期間が過ぎた債権を請求するという倫理的に批判されそうなことはできませんよね。

 

でも、実は債権時効期間が過ぎても、債務者などが時効の主張(これを「援用(えんよう)」といいます)しないと債権は消滅しないのです。

 

時効期間が過ぎれば自動的に消えるという性質のものではないのですね。

 

そこで、消費者金融会社はどうするかというと、債権回収会社、いわゆるサービサーに時効期間が過ぎた債権を非常に安く売ります。

 

譲り受けた債権回収会社の一部は、時効期間が経過していることを承知で、債務者に請求するというわけです。

 

そこで、債務者が消滅時効の主張ができることに気がつけば良いのですが、気づかすに支払えばそれは有効な支払となってしまいます。

 

そして、一部でも支払えば、場合によっては、もう消滅時効を主張できないとされてしまう可能性もあります。

 

ひどい債権回収会社(固有名詞はメールマガジンに譲りますが)の場合には、時効期間が経過した債権で支払督促という裁判所を使った請求をしてきます。

 

もっとも、それ自体は違法ではなく、債務者が何もしないで2週間経過してしまうと強制執行できるようになってしまいます。

 

さすがに、時効期間が経過した債権で強制執行をしてはこないと思いますが、手続上は可能ということになってしまうのです。

 

忘れたころに突然請求された場合には、架空請求の場合だけでなく、時効期間が過ぎた債権ということもあるので、十分御注意ください。

 

 

借金問題ご解決方法についてはこちらをご参照ください。

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子供との面会回数を多く提案すると親権者になれる?

桜の花に緑の葉が混じりはじめ、春から夏へと季節が動いていることが伝わってきます。

 

日本の四季の美しさを感じさせる風景の一つですね。

 

ゴールデンウィークの予感もあって、少しだけ心が軽くなっているように感じます。

 

といっても、どこか特別に出かける予定は無いのですが・・・

 

さて、離婚するときに、夫婦に子供がいるときに大きく争われる親権

 

日本では、結婚している間は、両親とも親権者として協力しあって子供を育てていきます。

 

これを「共同親権」と呼びます。

 

しかし、離婚すると両親が話し合って、子供のことを考えることが難しくなるため、両親のいずれか一方を親権者と定めなければなりません。

 

離婚後も両親両方に親権を認めている国もあるので、日本の風習が背後にあるのでしょう。

 

より個人主義の考えが強い国では、夫婦はもともと他人ですから、結婚している最中であってもそれぞれが子供に対しては別々の親権を持っていると考えると思います。

 

そのため、夫婦と親子は別ということで、離婚しても両親とも親権を持てることになるのだと思います。

 

しかし、日本人の感覚だと夫婦である間は「家族」という共同体の中に両親と子供がいるような感覚だと思います。

 

そのため、離婚によりその共同体が無くなると、親権も共同では持てないという結論になるのだと思います。

 

そこで、離婚するときには、両親で子供の親権の取り合いが起きることが多くなるのです。

 

多くの方がご存知のとおり、子供が小学校低学年くらいまでは裁判では原則として母親を親権者としています。

 

中学生くらいになると、子供の意思が尊重されるようになってきます。

 

私が仕事の中で一番悩むのは、小学校高学年くらいの子供の場合です。

 

小学生に「父親と母親のどちらを選ぶの?」と意思確認をすることは非常に可愛そうに思えてしまいます。

 

かといって、父親側の代理に人になって、父親がしっかりとした人で親権を希望しているときには、子供の意思確認を求めざるを得ないというのが弁護士実務の現状でしょう。

 

最近の裁判で話題になったのは、父親が母親に面会の回数を非常に多く与えるという「寛容な父親」だった場合に、それを重視して父親を親権者にしてよいか?という問題です。

 

この裁判では、

母親は「父親に月1回の面会を認める」

という主張をしたのに対して

父親は「母親に年100日(月約8.3回)の面会を認める」

と主張しました。

 

面会交流というのは子供の権利ですから、子供が肉体的にも精神的にも健康に育つ環境を重視します。

 

これを千葉家庭裁判所松戸支部では、
「子供が両親と会う機会をできるだけ多くした方が両方からの愛情をより受けられる」
と解釈して父親に親権を認めました。

 

これに対して、母親が納得できずに東京高裁に控訴しました。

 

この事案では、夫婦は別居しており、子供は母親と同居していたので、判決に従うとすると、父親に子供をひきわたさなければなりません。

 

母親としては控訴するしかなかったのだと思います。

 

東京高裁では、親権についての判決内容を変更し、母親に親権を認めました

 

その主な理由は、次の二つです。

 

① 面会交流の回数の約束は、親権の判断の一要素とはなるが、それ以外にも子供の気持ち、現在の生活に大きな変化を生じないかなど様々な要素から判断していかなければならないこと。

 

② 実際に父親が提案する年間100回の面会を実施するために子供に時間をとらせると、移動時間がとられることなどで、子供の友人との交流関係や学校の行事にも支障を来す可能性があること。

 

確かに、離婚した親と年間100日も会っていたのでは、子供が自分の時間を持ちにくくなります。

 

また、離婚の裁判までした夫婦の間に信頼関係は無いでしょうから、
10数年も子供を毎年100日間も面会させる段取りを上手くとれるか?
精神的ストレスが子供に悪影響を及ぼさないか?
も心配です。

 

現状、子供が母親と一緒に住んでいて、母親が父親との面会を柔軟に月1回程度するのであれば、やはり母親を親権者とした東京高裁の判決の方が現実的なようには思えます。

 

親権の場合、父親か母親かの二択を迫られるという点で、夫婦の財産を分け合う場合のように、お互いに妥協して中間点を探すことができないのが難しいところなんでしょうね。

 

離婚の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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弁護士業のマニュアル化

静岡でもだいぶ桜が咲き始めています。

 

例年よりも大分開花が遅いようですが、裁判所の周りの桜が満開になるのを楽しみにしています。

 

さて、最近では、弁護士業界でもマニュアル本が出ています。

 

「〇〇マニュアル」というタイトルの本が多いので、結構売れているのでしょうね。

 

マニュアルの意味は広くとらえると、何かの問題がおきたときの「対処方法」という意味でしょう。

 

弁護士自体がトラブルに対処する業務なのに、その業務の対処方法(マニュアル)というのも、ちょっとおかしな気がします。

 

ただ、私も「全く役に立たない」とまでは言い切ることはできず、自分のやり方と比較する形で多少は参考にすることもあります。

 

例えて言うと、異性と初めてデートするときにマニュアル本を1冊確認しておけば、致命的なマナー違反を犯すリスクが減るのと同じ感じです。

 

ですから、当然マニュアル本で恋人や配偶者が出来ないことと同様、マニュアル本では弁護士業務を行うことはできません。

 

弁護士業務のマニュアル本には、典型的な事案とその処理方法が書いてあったり、便利そうな書式があったりします。

 

身近な例として離婚で考えてみましょう。

 

離婚を相談される方は感情が先に立っていて、聞き取りが大変だということが本に書いてありました。

 

私にとっては、弁護士に相談される方で、怒り、悲しみ、不安などの感情が弱い人はいない(過払い事件だけは例外かもしれませんが)と感じているので、別に離婚が特別に大変だとは思いません。

 

ただ、表面的に見ると、離婚事件では相談者の相手への感情が、言葉からも見えやすいので、そう感じるのでしょう。

 

その対処方法(マニュアル)として、「相談者に事前に一定の事項を書いてもらうことで相談時間を短縮する」ということが書いてありました。

 

例えば、

①離婚したい理由について、離婚の原因となる事項(暴力・浮気・暴言など)を列挙してチェックマークを入れさせたり、

②夫婦それぞれの収入や所有不動産などの資産を書かせて

それを見てから弁護士が相談に入るという方法です。

 

確かに、相談時間が一定程度短縮されるという意味では弁護士営業上のメリットがあるとは思います。

 

しかし、私は3つの理由で、このようなマニュアル化には賛成できません

 

まず、1つ目の理由です。

 

それは相談者の立場に立った場合、まだ依頼するかどうかも分からない弁護士に自分や配偶者の収入、資産を全て教えることをためらう方も多いのではないかということです。

 

少なくとも、私が相談者の立場だったら、(弁護士の守秘義務を前提として)自分の氏名・住所・連絡先くらいまでは良いですが、弁護士の顔も見ないうちから収入や資産まで書かされることには抵抗があります。

 

ただ、対立する配偶者の氏名や住所は、弁護士が夫婦の両方から相談を受けてアドバイスをしないためにどうしても必要な情報です。

 

それを聞かない弁護士がいたら、対立相手にもアドバイスをする可能性があるので気をつけた方が良いと思います。

 

例えば、収入については、弁護士と面談して、
「養育費の予想額の算定に必要です」
と説明を受ければ、収入を話して良いかの判断を相談者ができます。

 

その段取りを弁護士の営業だけのために省略するのもどうなのかな?と思います。

 

次に2つめの理由です。

 

聞き取るべきことを先に書いてあると、弁護士はそれを見ながら、法的な問題点を説明するという相談方式になります。

 

つまり、依頼者の感情を伴う発言をできるだけ削って相談を受けるということです。

 

それによって、(弁護士営業上は)無駄な相談時間を削ろうというわけです。

 

このような相談方法で、相談した方がホッっとした気持ち、少しでもスッキリした気持ちを持つことが出来るでしょうか?

 

余りに営業上の効率性を重視すると、相談のカウンセリング機能が大きく損なわれるように思えます。

 

高性能ロボットのような対応をする弁護士に依頼して、自分がマニュアルの中で扱われてもOKというのであれば構わないのでしょうが・・・

 

そして、3つ目の理由です。

 

それは、マニュアルに頼りすぎると弁護士の事情聴取能力が落ちるということです。

 

例えば、事務所での事情聴取票に頼っていると、市町村の法律相談など外部での法律相談の時に対応できなくなります。

 

また、感情を伴うやりとりは、最初の相談のときだけではなく、依頼後に調停や訴訟で相手からの納得できない主張を見れば、打ち合わせのときに出てきます。

 

相談される方は、「依頼した後に弁護士が自分の話をどのように聞いてくれるのか」を依頼する前に見たいのではないでしょうか?

 

どうも弁護士業務とマニュアルというのは本質的に相容れないものだと感じてしまいます。

 

ひょっとしたら、昔から私がマニュアル嫌いであることも関係しているのかもしれませんが・・・

 

 

「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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騎士道事件~最高裁決定から

早いもので、もう4月ですね。

今回は正当防衛などについて分かりやすくご理解いただこうと最高裁の事案を物語風にしました。

 

【騎士道事件】

日本にはUK(英国)と比べてヘンなところがたくさんある。

ただの流行風邪で病院の窓口に並んでいるところ

選挙カーという和製英語の自動車が大音量で走るところ

どう見てもグリーンとしか見えない信号機をブルーと言い張るところ

日本語も、難しすぎていつまでたっても習得できない。

だけど、日本は良い国だ。日本語ができなくても皆親切にしてくれるし、気候も暖かい。住み始めて2年目になるが、UKに帰りたいとは思わない。

特に、カラテとジュードーは最高だ。今日の稽古も楽しかった。

日本人がルールを守るのはブシドー精神の現れだと思う。

古来からのストイックな精神はボクに向いているし、カラテの攻撃とジュードーの防御を覚えれば危険な場面でも対応できる。

「There is no dangerous place in Japan(日本ではそんな危険な場所すらないけれど)」

エドワルド・コベットは独りごちる。

夏の夜風が心地よい。市川市内の自宅まであと1km。自宅では日本で生まれ育った妻が待っている。エドは自転車のペダルを強く踏んだ。

両側に倉庫が増えて明かりもまばらになってきた。江戸川区の隣とはいえ、千葉県に入ると店の灯りが急に減ってきて寂しい雰囲気になってくる。

どこかで、人の声が聞こえてきた。言い争いをしているようだ。ふざけるんじゃないと聞こえた。

Do not be silly?日本語の意味は分からないが、とにかくトラブルに違いない。

Let sleeping dogs lie.(触らぬ神に祟りなし)

諺には従うものだ。エドは通り過ぎようとした。

「ヘルプ・ミー!」

突然、英語で呼びかけられたので驚いて声のする方向を見た。

レンガが欠けて錆びたシャッターが降りている。シャッターにもたれかかるようにして見知らぬ女性が倒れていた。緑のワンピースが街頭の光を受けて鮮やかに映える。

このドレスも日本では青というのだろうか、と考えながらエドは声をかけた。

「ダイジョウブデスカ」

女性はエドに向かって手を伸ばしてきた。

「ヘルプミー、ヘルプミー」

女性に近寄るエドの視界に突然、男が割り込んできた。

 

明石安雄は夕方から気が重かった。せっかくの土曜日だというのに。

妻の孝美に向かって声をかける。

「なあ、俺も行かなきゃいけないの。」

「あたり前でしょ。あなたの友達じゃない。」

今晩は友人の赤井敏(さとし)夫婦との飲み会がセッティングされている。

敏は良いヤツだ。酒癖さえよければ。あいつは、高校時代から酒癖が悪かった。安雄は記憶を遡った。

高校に入学したときの初めてのクラスで、あいうえお順に席をわりふられた。安雄の前の席に座っていた髪を赤茶色に染めた生徒が振り向いて話しかけてきた。敏とのつきあいはそこから始まった。

「家に遊びにこない?」と誘われて敏の自宅に行った。

古い木造建築のアパートで、安雄がいつ遊びに行っても両親の顔をみたことがなかった。安雄は何となく事情を聞いたら悪いような気がして、何もきかなかった。

敏の両親がなぜいつも不在だったのかは未だに分からない。

敏の部屋には、ブルース・スプリングスティーンのポスターが貼ってあった。

安雄は洋楽ロックにくわしくなかったので、その名前もアメリカ民衆の代弁者と言われるロッカーだということも敏から聞いて初めて知った。

そして、煙草と酒の味も。

安雄は煙草も酒も1回味わっただけで、もうこりごりだった。それでも敏との付き合いを続けたのは自分にないものを持っているような気がしたからだ。

「ベトナム戦争に振り回された男が、地面に這いつくばってアメリカを睨み上げているシーンが目に浮かぶ。」

ボーン・イン・ザ・USAという曲を聴きながら敏が安雄に投げかける言葉の意味は良く分からなかったが、熱を帯びた目つきは今でも覚えている。

その頃から敏は酒を飲むといつも安雄にからんできた。

「安雄は恵まれてるよ。本当の貧乏を分かっていないお坊ちゃんだ。」

敏の生活と比べると、安雄は家に帰れば母親が夕飯を用意してくれている。生活は確かに敏より恵まれていたかもしれない。

安雄は、何となく一人前の男になっていないような劣等感を敏に感じて何も言えずに黙って聞いていることが多かった。

敏とのつきあいは、そのまま社会人になった今でも続いている。敏とゆかりが結婚するときに夫婦で披露宴に呼ばれたこともあって、今では付き合いは夫婦ぐるみとなっている。

安雄はマンションの部屋から窓の外を見た。品川のオフィスビルと東京湾、その先には東京ディズニーランドがあるはずだ。その先に敏が住む市川市がある。

ああ、嫌な予感がする。安雄はもう一度大きなため息をついた。

 

安雄が孝美と一緒に夕飯を軽く食べた後、敏に指定された市川市内のスナック「サワ」という店に向かった。

店に入ると、敏と妻のゆかりがサワのママと話をしながら飲んでいた。土曜日の夜ということもあってか、店内は満席の大盛況だ。

「ママはいいな。大もうけだ。でも客層が悪いよ。品の無い客ばかりだ。」

すでに、敏はからみモードに入っていた。最近になって生やしはじめた無精髭からよけいに怪しげな男に見えてしまう。

あいかわらずだな、と安雄は思った。声をかけるのをためらっていると、敏の隣の柄の悪そうな男が敏とゆかりに向かって声を荒げた。

「さっきから黙って聞いていれば、ふざけやがって。俺を馬鹿にしているのか!」

「俺は何も言ってないぜ」

敏は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

男が立ち上がった。190cmを超えるような巨漢だ。

安雄は心配になって、急いで仲裁に入った。

「すみません。こいつには悪気はないので許してやってください。」

巨漢の男は虚を突かれたような顔をした。

「ふん。こいつはそうかもしれないが・・・言葉に気をつけろ。」

男はそう言って座りなおした。

安雄がほっとしていると、その脇をゆかりが小走りで抜けていき、店を飛び出していってしまった。

ああ、またこのパターンかと安雄はうんざりした。

「おい、追いかけなくていいのか。」

敏に声をかけてとりあえず孝美と座ることにした。

「悪い。少し待っててくれ。」

敏は言って、店から急いで出て行った。

 

エドは、驚いて男を見た。白い半袖のTシャツの男が女性の手をつかんでいた。女性はすがるような目をエドに向けた。

また投げ飛ばされたら女性が大怪我をしてしまう。エドは男に日本語で声をかけた。

「ヤメナサイ。レディデスヨ」

男はエドの方を振り向いた。

エドは、女性に暴力をふるうのは止めるように伝えようと、両手を胸の前に上げて手のひらを開いて男に向けた。

すると、男は胸の前で両拳を握って左手を前に右手をやや後に構えた。いわゆる、ボクシングのファイティングポーズだ。

ボクシングのフットワークは怖い。一瞬で間合いを詰められる。

スウェーバックという上半身を素早くそらして避ける技術があることも知っていた。男にスウェーバックでかわされたら、その直後にパンチを受けるのはエドだ。蹴りを外してはいけない。

エドは、自分の身を守るために、男の右顔面付近を左足で回し蹴りした。エドの強烈なキックを受けて、男は転倒した。

エドは女性に近寄った。

「ダイジョウブデスカ?」

たまたま通りかかった人に、エドは警察と救急車を呼んでくれるように頼んだ。女性は惚けたように倒れている男を見つめている。

 

「主文。被告人を懲役1年6月に処する。この裁判の確定した日から・・・」

エドは法廷にいた。目の前の裁判長が言っていることが理解できない。チョウエキ?プリズン行きということか。

裁判長は続ける。

赤井ゆかりを追いかけてスナックから出てきた夫の赤井敏が、再度店内に戻ったため、同女は「てめえ出てこい」などといって店舗の前で自分の夫をののしりながら暴れ出した。

そのため、被害者が「やめなさい」などいってなだめながら同女の腕を押さえると「ふざけんじゃない」などと毒づいて暴れた・・・

エドは自分の弁護人の方を振り向いた。難しそうな顔をしている。1回は無罪判決をもらったのに、それがひっくりかえってしまったということだろうか。エドの心に黒い不安の雲がムクムクとわきあげてきた。

 

安雄が赤井夫婦と酒を飲むことに気が進まない最大の理由は、敏の妻のゆかりが敏に輪を掛けて酒癖が悪いからだ。敏は知人にしかからまないが、ゆかりは飲み過ぎると、誰彼かまわずからむ。

一緒に飲んでいて、他の客とトラブルになったことも何度もあった。

サワで巨漢の男が怒っていた理由は、安雄が来る前にゆかりが男の髪が薄いことを聞こえよがしに馬鹿にしていたことにあったようだ。

店の外で敏とゆかりが言い争う声が聞こえる。

しばらくすると、敏だけが戻ってきた。

「おい。いいのか。」

安雄は、敏に声をかけたが、敏は無言で席に座って酒をあおり始めた。

しょうがない、と安雄は席をたってゆかりを連れ戻しに言った。

ゆかりは店の前で敏に向かって「てめえ出てこい」と大声を上げている。
「近所に迷惑だから、やめなさい」

安雄はゆかりの手をとって店に連れ戻そうとした。

「お前、明石、うるさい」「放せ」

ゆかりは毒づいて暴れて、安雄の手を振り払おうとしたため、安雄はゆかりが倒れないようにと腕を強くつかんだ。

ゆかりは安雄を突き飛ばして後に転倒した。倉庫のシャッターにぶつかって大きな音をたてる。

安雄がどうしようかと思案していると、外国人らしい体格の良い男が近づいてきた。

何かゆかりと話をしているようだ。

安雄は間に割って入った。

「私が仲裁に入っているから、放っておいてください。」

安雄は外国人の男に声をかけたが、どうも日本語が分からないらしい。

男は、両手を胸の前に挙げて攻撃的なポーズをとっている。

安雄は怖くなった。自分の体だけは護らなければならない。とっさに両手を上げて体をかばおうとした。

不意に男が左足を高く上げた。頭の右側に衝撃を受けた瞬間、目まいがした。安雄の世界が不意に暗くなった。

 

エドの前で裁判長の言葉は続く。

「被告人が、被害者が両手を上げたことから「ボクシング経験者が殴りかかってくる」という急迫不正の侵害が自身に対してあると誤信したことは認められる。」

「しかし、空手の有段者である被告人が、被害者に左回し蹴りをして死に至らしめたことは看過できない。」

「被告人の行為は明らかに防衛行為としての必要かつ相当の限度を超えたものと言うべく、たとえ誤想過剰防衛といえども-」

エドは思った。

被害者の人には悪いことをしてしまった。でも、ボクだけが悪いのか?

路上で女性が倒れていた時に放っておくのが正しいの?

見知らぬ男がこっちに向かって両手を挙げた人に「ボクシングをやってますか?」と聞けばいいってこと?

ゴソウカジョウボウエイって?

エドには通訳されてもさっぱり意味が分からない。

判決が終わると弁護人がエドの側に来た。エドに向かって「刑務所には行かなくて良いんだけれども・・・有罪判決だから不当な判決だと思う。」と説明してくれた。

エドが傍聴席を振り返ると、助けたはずの女性が可愛らしいグリーンのバッグからハンカチを取り出して涙を拭いている。

離れた所に被害者の妻が座っている。隣に座っている無精髭の男が申し訳なさそうな顔をして何か話しかけている。

加害者は誰で、被害者は誰?エドの頭の中でグルグルと疑問がうずまき続けて止まらなかった。

 

 

~最高裁判所昭和62年3月26日の決定を素材にストーリー構成

 

【コメント】~正当防衛になるときとならないとき

 このストーリーを読むと加害者も被害者も気の毒な感じがしますよね。加害者となってしまった英国人の男性(エド)は傷害致死罪で起訴されました。

 正当防衛というのは、相手が実際に攻撃してきたときに、その攻撃に対して防衛するために相当な範囲でしか認められません。

 しかし、この事案では安雄はそもそも攻撃をしようとしていませんので、それがエドの誤解です。これを「誤想」と考えます。

 そして、安雄が実際に殴りかかってきたわけでは無く両手を上げただけなので、エドの左回し蹴りはやりすぎという意味で「過剰」な防衛行為です。

 そのため、このような事案を「誤想過剰防衛」と呼びます。

 実は、この「誤想過剰」防衛、法律の条文には定められていません。法律で刑の減軽が定められているのは防衛行為が過剰な「過剰」防衛だけです。

 しかし、今回のようなケースで、本来の傷害致死と同じように処罰するのは被告人に気の毒です。

 そこで、過剰防衛の条文の趣旨を考慮して刑を軽くするのが実務の運用となっています。

 この裁判でも、執行猶予3年として刑を軽くしています。

 なお、「執行猶予3年」とは、判決が確定した後3年間犯罪を犯さずにいれば、刑の言い渡しが効力を失うというものです。

 つまり、刑務所に行かなくて済むという点で、軽い刑にしたということなのですね。

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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ツィッターでの名誉毀損にはご注意を

いつも使っているインターネット上のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の中でも、ツイッターは気軽に使える方法だと思います。

 

だから、社会人だけでなく学生も多く使っていますよね。

 

今回ご紹介する大阪地裁での判決ツイッターによる名誉毀損でした。

 

これは大阪の大学で、講義で教授のスライドの写真を大学生がスマホで撮影してツイッターに次のような投稿をしました。

 

「阪神が優勝したら無条件で単位くれるらしい」

 

さすが大阪という感じですが、この投稿(ツイート)の内容が事実と異なったので大変なことになりました。

 

ツイッターの内容には、嘘や思い込みなど信用できない情報があふれているのは確かですが、面白い内容であれば、すぐにリツイートされますよね。

 

リツイートとは、投稿された内容を、投稿者とは別の人が、他のユーザーが見られるように再投稿することです。

 

この機能があることで、面白い情報であれば世界中に情報が拡散していくことになります。

 

そして、先ほどの学生が受けた講義で、教授が本当に言ったのは

 

「かつては、阪神タイガースが優勝した場合、全員合格とするという教授もいたが、現在はそんなことはない。」

 

ということでした。

 

ただ、スライドには

「阪神タイガースがリーグ優勝した場合には、恩赦を発令する。また日本シリーズを制覇した場合、特別恩赦を発令し、全員合格とする。」

と書かれていました。

 

おそらく学生に講義に興味を持ってもらうためにジョークを入れたのでしょう。

 

このスライドを示しながら、教授は「今では、こんなことはない」と説明をしたのです。

 

しかし、画像というのは恐ろしいもので、大学生が言葉で書いただけでは全く信用されないで終わったであろうことが、大きな話題となってしまいました。

 

そうすると、そのツイートの内容が本当かウソかは別として、話題になったこと自体がBILOBニュース、JCASTニュース、産経WESTや、まとめサイトで紹介されました。

 

ニュース記事の方は通常は1年以内には記事が入れ替わって消えますが、まとめサイトはいつまでも残ってしまいます。

 

そこで、この大学の教授はツイートした学生に、誤った投稿が書かれている各方面への削除要請を誠実にするように求めて話し合いました。

 

ところが、この学生は誠実な削除手続を行わず連絡もとれなくなったため、教授はやむを得ず慰謝料請求という形で裁判を起こしたというわけです。

 

名目は慰謝料請求ですが、この訴訟手続でも教授の目的はお金ではなかったことは推測できます。

 

裁判でしっかりと和解して、学生の削除に対する誠実な対応を求めたかったようです。

 

ところが、当の学生が裁判所に出頭しなかったため和解ができませんでした。

 

その結果、教授の慰謝料が認められる判決が下されることになりました

 

さて、皆さん、この教授の慰謝料額っていくらになると思いますか?

 

答えは、

慰謝料20万円弁護士費用10万円合計30万円

の支払を認めるという結論です。

 

名誉毀損というのは、人の社会的評価を下げてしまったことに対して責任を追及するものです。

 

民事事件ではそれをお金に換算することになります。

 

しかし、この事案では、

①どの程度教授の社会的評価が低下したか?、金銭に換算するといくらか?を証明するのは難しいこと

②日本では慰謝料は低額に抑えられる傾向があること

から、20万円という慰謝料になったのでしょう。

 

とはいえ、日本中の話題にもなったので、学生はその後は就職にも苦労したかもしれません。

 

気軽にできるツイートですが、他の人の気分を害する内容の投稿はしない方が良さそうですね。

 

インターネットと法律の過去記事はこちらをご参照ください。

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カテゴリー: インターネットと法律 |

犯人でも無罪?

どうでもいい悩みなのですが、私が自動車で神奈川や東京など関東方面に行くときに、従来の東名高速道路を使うか?新東名を使うか?で悩みます。

 

静岡市から上り線に乗ると、清水JCT(ジャンクション)で新東名に乗り換えられます。

 

これを使うと御殿場までは新東名で行けるのです。

 

新東名の方が道がまっすぐで、道路の舗装もきれいで幅も広いので、早くて快適ではあります。

 

もっとも、海の方にある旧東名高速道路の清水JCTから、山梨県に近い山の方にある新東名の新清水JCTまで、7~8kmあります。

 

この時間と手間をかけてまで新東名を使うか?旧東名でそのまま行くのかで悩みます。

 

両方の方法を何回もとっていますが、未だに結論が出ません・・・

 

さて、本論です。

 

以前、裁判所の令状なく被告の車にGPS端末を取り付けて捜査する方法違法かどうかが争われた事件をご紹介しました。

 

GPSとは「全地球測位システム」、つまり、カーナビやスマートフォンのマップで自分がどこにいるか一発で分かるシステムのことです。

 

これを、警察が「あやしい」と思った被疑者の自動車に取り付けて、行動確認をする捜査方法には、裁判所の令状が必要でしょうか?

 

前回はこの事件が名古屋地方裁判所で争われている段階でご紹介しましたが、この事件について最高裁の判断が今月に出ました。

 

最高裁結論としては、裁判官が捜査を許可する令状を発行しないGPS捜査方法は違法というものでした。

 

もちろん、強制捜査といえども裁判官が令状を発行すれば適法です。

 

しかし、最高裁は、実際にGPSについては、裁判官の判断で令状を発布できるとしても極めて例外的場合に限定されるとしています。

 

今回の事件では、2013〜14年に愛知県などで住宅や店舗に侵入し、現金などを盗んだとして窃盗罪などに問われた男性に対する捜査でした。

 

愛知県警は、その男性の車にGPS端末を取り付け、3カ月後に被告が気づいて取り外すまでに、1600回以上にわたって位置検索をしていました。

 

さて、捜査に加われず情報がほとんどない中で、GPS捜査の令状を請求された裁判官が、果たして許可の判断ができるでしょうか?

 

許可をする場合、裁判官は、警察がその男性の自動車での行動をどの程度の期間、どの程度の回数を検索するかを予測したり、一定の範囲に限定していかなければなりません。

 

令状は裁判所で裁判官たちが相談して発行するのではなく、個々の裁判官短時間で判断して許可をするという制度になっています。

 

緊急性が高く、土日祝日、年末年始関係なく請求が来るため、裁判所で相談していたら時間が間に合わないからです(この詳しい内容は、今後の新しいメールマガジンでご紹介します)。

 

裁判官によって大幅に判断にブレが出る可能性もあり、現在の法制度では令状発布はほぼ不可能でしょう。

 

最高裁が傍論で緊急的で例外的な場合しか令状発布は認められないだろうとしているのも、それが理由だと思います。

 

例えば、歴史に残るような大量殺戮を、GPS捜査でなければ防げないとほとんどの人が思うようなケースでなければ令状発布はされないと思います。

 

例えば、オウム真理教の東京での大量殺戮を未然に防ぐためにGPSの捜査方法を限定的に利用する場合で、実際にある程度防ぐことができる可能性が認められれば令状は出されるのでしょう。

 

もっとも、個人的には、現実的にはそのような事前予測できるケースは生じないだろうと思っています。

 

では、どうして弁護人や検察官が令状なしでのGPS捜査方法が「違法」かどうか、こんなに激しく争うのでしょうか?

 

それは、「違法収集証拠排除の原則」という憲法、刑事訴訟法上の制度があるからです。

 

この原則は、捜査方法に重大な違法が認められた場合には、その捜査で警察や検察が手に入れた証拠の一切が裁判で証拠として認められないというものです。

 

そして、裁判官の令状(許可)が必要な事案で、それを受けないでした捜査は、全て「重大な違法」となるのです。

 

この事件で言うと、3ヶ月間、1600回に及ぶ検索結果の全ての捜査に重大な違法があったとして、全て裁判の証拠から除外されてしまうということになります。

 

この原則は何のためにあるのでしょうか?

 

警察や検察が必死に努力して捜査した結果を、重大な違法があれば全て裁判に使えないとすることで、私たち国民の権利が警察や検察という行政機関から侵害されることを防ぐためです。

 

しかし、これが極端な場合には、本当に犯人なのに無罪判決が出るという面もあります。

 

例えば、覚せい剤自己使用を裁判で審理する場合、最も有効な証拠として尿鑑定の結果があります。

 

被疑者の尿を鑑定すると、覚せい剤を使用している場合には、アンフェタミンなどいくつかの特徴的な成分が検出されます。

 

そのため、警察では覚せい剤を所持している被疑者を逮捕した場合のほとんどの場合尿検査を行います。

 

普通は被疑者にバケツなどを渡して、任意での尿の提出を求めます。

 

これは任意なので、令状は不要です。

 

しかし、被疑者が拒んだ場合には、強制的に採尿する必要があります。

 

この強制採尿という手続には、裁判官の令状が必要で、その要件は最高裁の判例で示されています。

 

もっとも、裁判官の令状を受けて強制採尿を行ったという事案は周囲で聞いたことがないので、極めて珍しいケースでしょう。

 

そこで、警察が、被疑者に鑑定の資料に使わないようなフリをして、被疑者が出した尿をこっそり鑑定の資料として使うことがあり得ます。

 

この場合、鑑定結果で覚せい剤の成分が検出されれば、被疑者が覚せい剤を使用したことは科学的には明らかです。

 

しかし、本当は令状が必要なのに、令状なしで尿をとると鑑定結果を裁判の証拠として使えないのですね(違法収集証拠排除の原則)。

 

そうると、裁判で被告人が覚せい剤の使用を否認したり、「覚えていない」と言ったりした場合、検察側には被告人を有罪とするだけの十分な証拠がないことになります。

 

この場合の裁判所の判断はどうでしょう?

 

疑わしきは被告人の利益に」の憲法、刑事訴訟法上の原則にのっとって、無罪判決を下すことになるのです。

 

覚せい剤自己使用については、芸能人やミュージシャンが世間を騒がすこともありますよね。

 

そんなとき、外から見ていると、覚せい剤を使用しているとしか思えないような事案で、検察官が起訴しなかったりして釈放されることもあります。

 

これは、令状なしでとった証拠について、検察官が「裁判で使えないかもしれない」と判断した場合も多いと思います。

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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