無印良品と似た商品を売ってはダメ?

最近になって、朝夜が少し涼しくなってきましたね。

 

私事ですが、今週、静岡市内で開催された渡辺貞雄(サックス奏者)のライブに行ってきました。

 

ナベサダの愛称で1970年代からCMなどで活躍していたので、昭和生まれの人には有名人だと思います。

 

客席から見渡すと私なんか若造の部類で、J-POPはもちろん、普通のJAZZのライブよりも年齢層が高かったように感じました。

 

MCでは話が途切れたりして、聞いている私の方がハラハラしましたが、サックスを吹き始めると84才という年齢を感じさせず「やっぱりミュージシャンだな」と感心しました。

 

何かに熱中するということが、人の活力になっているのかもしれませんね。

 

さて、今週の木曜日31日に、東京地裁で、生活雑貨ブランド「無印良品」を展開する「良品計画」が原告となって、大手のホームセンターを訴えた裁判の判決が出ました。

 

訴訟の内容は、無印良品と類似する商品を大手ホームセンターが独自に売っていたため、これが不正競争にあたるとして、良品計画が販売差し止めなどを求めたものです。

 

不正競争防止法では、他人と類似する商品について、その商品が世間一般に知られている場合に、その商品や営業と混同するような行為を禁止しています。

 

今回は、無印良品として、棚の四隅を細い2本の金属製のポールで支える構造が特徴の「ユニットシェルフ」を販売していたところ、それに似た商品を大手ホームセンターが売り出したというものです。

 

無印良品というと、飾り気のないシンプルさが魅力の商品のイメージがありますよね。

 

そして、街中のちょっと洒落たところに店舗を持っていて、「ちょっと値段が高い」というイメージも(私だけ?)。

 

ホームセンターで、それと同じ構造の棚を売り出したため、無印良品がこれを差し止めるように訴えたものです。

 

形が全く一緒ではなくても、真っ白でシンプルな構造であれば、無印良品と勘違いすることもありますよね。

 

また、郊外店舗型のホームセンターで売っていたということは、当然、無印良品より相当安い価格だったのでしょう。

 

東京地裁では、構造が同じで、形もほぼ同じ形と言えるため、良品計画の利益を侵害するおそれがあるとして、差し止めを認めました

 

これを見ると、良品計画と大手ホームセンターだけの争いに見えます。

 

ただ、良品計画側からすると、自社のブランドを前提に少し高めで売却しても売れる商品について、量販店で売却されるとブランド力そのものが落ちてしまい大打撃になると思います。

 

おそらく、この大手ホームセンター以外にも無印良品に類似する商品を売っている量販店はあるでしょう。

 

良品計画としては、そのような量販店全体に対する威嚇と姿勢を見せるために今回の訴訟を起こしたのだと思います。

 

訴訟は表面的に現れる部分だけでなく、裏には様々な意図が隠されていることが多いんですね。

 

「経営についての法律の問題」の過去記事はこちら 

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相続人の1人だけが大学に行ったのは不公平?~特別受益

暑い日が続きますね。

 

静岡では、最高気温が34度を超える日が続いているので、てっきりどこも暑いのかと思っていました。

 

でも、東京からいらした方が「静岡は暑いですね~」と言っていたり、北海道に旅行に行った友人が「寒くて、上着がないと過ごせなかった」と言ったりするのを聞くと、静岡が特に暑いのかもしれません。

 

ただ、北海道といっても私が聞いたのは稚内の話だったので、比較はできないかも?

 

さて、相続でなかなかお互いに納得できないことの一つに特別受益があります。

 

特別受益というのは、相続人の一部の人が、他の相続人よりも被相続人(亡くなった方)から生前にお金をもらうなどの援助や利益を受けていることです。

 

この特別受益が認められると、その特別受益を受けた人の実際の相続分が減って、他の人の相続分が増えるような調整がなされます。

 

ただ、被相続人から援助を受けていれば何でも特別受益になるわけではなく、「特別」なものでなければなりません。

 

そこでどこまで利益を得れば「特別」の受益と言えるのかが問題になるのですね。

 

遺産分割調停で紛争になるケースとして、被相続人(例えば父親)が相続人3人のうち1人だけを大学に進学させて学費を払っていた場合です。

 

確かに、他の相続人から見れば、自分は高校までしか学費を払ってもらっていないのに、他の兄弟姉妹は大学の費用まで払ってもらったというのは不公平に感じるでしょう。

 

特に、大学は学費の他に、アパート代や仕送りがあると、私立大学では4年間で総額1,000万円を越えることも多いでしょう。

 

そうすると、他の相続人は
「自分は高校までしか援助を受けていないのだから、1,000万円の利益を受けた相続人は、相続の時に精算しないと不公平だ。」
と言いたくなるでしょう。

 

しかし、特別受益と認められることは少ないのが実務です。

 

というのは、親には子供に対する扶養義務があるからです。

 

ある程度の大学へ進学できる成績の子については進学させ、そうでない子は高校を卒業して働いてもらうというのは、親の扶養の方法として十分あり得ますよね。

 

これは親からの贈与的なものではなく、むしろ親の扶養義務だとみることが多いのです。

 

また、大学といっても、国立大学なら学費は安いですが、私立大学の医学部なんて言ったらとんでもない費用がかかりますよね。

 

これらの判断は、親が子を育てるときに、子供の成績や進学希望、将来のこと、その時点での親の経済状況などそれぞれの家庭の事情の中でしていきます。

 

これを他人(裁判所)から、親の判断が不公平だったと決めつけることは難しいのです。

 

もっとも、1人だけ大学へ進学させてもらった相続人が特別受益を認めるのであればそれは精算しても構いません。

 

もっとも、逆に相続人の中で1人だけ差別されていて、
「非常に成績が良かったのに大学に進学させてもらえなかった」
という主張はしてみる価値があるかもしれません。

 

何故なら、証明がしやすいからです。

 

その主張をするときには
① 自分が通っていた高校が進学高だったこと
② その中でも良い成績をとっていたこと
③ 自分の学歴が高卒であること
④ 他の相続人が全員大学に通学していたこと
などを証明すれば良いと思います。

 

そして、例えば①は偏差値が載っている本で証明できますし、②は成績証明書で証明できます。

 

③と④はさすがに相続人(兄弟姉妹)全員が「違う!」と嘘をつくことはないでしょう。

 

万が一そういうことがあっても、
③は自分が高卒後即勤務したというような就職証明書を会社に出してもらう
④は大学の卒業証明書の発行の請求を裁判所を通じてやってもらう(送付嘱託)
という方法で証明も可能でしょう。

 

大学でさえ特別受益とするのが難しいのですから、
「1人だけ私立高校へ進学した。」
という高校の学費の不公平を特別受益とする主張は認められないと考えて良いでしょう。

 

もともと、親が子供達に「不公平」と思わせないような育て方をしておけば良いとも言えます。

 

しかし、逆に親の立場から見ると、自分の可愛い子供達が、自分の遺産で争うということは想像できない(したくない)のも事実です。

 

その意味では、親から見た兄弟姉妹の姿と、兄弟姉妹の間でそれぞれが感じている姿との間には実は大きなギャップがあるのかもしれませんね。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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AI(人工知能)で9割が職を失う?

銀行の待ち時間に週刊文春を何気なく見ていたら、「女性が嫌う女性ランキング」という記事がありました。

 

堂々の1位は松居一代さんでした。

 

夫の船越英一郎さんに対する攻撃ですから、世の男性が引いてしまうのは分かりますが、女性にも評判が悪いようです。

 

これもブログや動画を使って本人が直接やっているという行動自体も影響しているかもしれません。

 

船越さんが取材には対応しつつも、比較的冷静な態度を保っていることも大きいかもしれません。

 

その意味では、船越さん側のリスクマネジメント担当者が優秀という見方もできますね。

 

通常の離婚事件であっても、本筋の離婚以外に攻撃を広げてしまって、かえって失敗する事案がありますが、「それと似ているな」と感じさせられました。

 

さて、話は変わって、今回は将来の雇用と労働について考えてみました。

 

最近
「人口知能と経済の未来~2030年雇用大崩壊」(文春新書・著者:井上智洋)
という本を読みました。

 

これによると、2030年頃から人工知能の機械(ロボット)が生産活動に組み入れられる

 

その後2045年くらいには、生産活動は人工知能による機械(ロボット)が殆ど行うようになるとのことです。

 

そして、その頃には生身の労働者は全人口の1割程度しか必要なくなるという予測をたてています。

 

また、消える可能性の高い職業のトップ5として次の職業があげられていました。

 

① スーパーなどのレジ係

② レストランのコック

③ 受付係

④ 弁護士助手

⑤ ホテルのフロント係

 

私の身近なところでは、弁護士助手(事務員)があります。

 

しかし、私の弁護士業務の中では、人口知能が発達したからといって事務員の仕事がなくなるとは思えません。

 

例えば、電話受付一つにしても、人口知能が熟練の事務員を超えるのは難しいでしょう。

 

弁護士が10通同じ通知を発送したとしましょう。

 

ところが、その通知を受けとった人の反応は十人十色です。

 

電話口で、口調が冷静でも心の中は怒りで煮えたぎっている人を感知して、適切な対応をするのは難しいでしょう。

 

また、そのような人工知能を作るときには、間違い無く、お金になる仕事だけを弁護士につなぐプログラムも作られるでしょう(これは基準が明確なので意外と簡単です)。

 

そうなったとき、人工知能で対応させている事務所を皆さんは選ぶでしょうか?

 

そして、事務員を不要とするレベルのプログラムは、弁護士を不要とするプログラムと技術レベルではそれほど難易度は変わりないと思います。

 

私も不要となりそうですね・・・

 

その理屈で言うと、検察官・裁判官も人工知能で良いのではないかということになります。

 

「人間のトラブルを機械に依頼して、機械がジャッジする」

 

そのような未来を人は選択するでしょうか?

 

今週の新聞でも人工知能がプロ棋士よりも能力が高いといっても、人が打つからこそドラマがあり、感動があるという記事がありました。

 

ドラマとまでいかなくても、人間だからこそ安心できるという場面は数多くあり、労働者が必要な範囲は1割よりはずっと多いでしょう。

 

もっとも、人工知能の発展によって人の需要が減る職業はあるでしょう。

 

電車で言うと、駅の自動改札化に伴って、改札係という職業は窓口1つですむようになっていますよね。

 

自動車の自動運転化で、ドライバーの仕事が激減することは予測できます。

 

しかし、これだけ自動券売機が発展しているのに、レジでの人の対応をやめて、機械化している外食店は一定の業種やチェーン店に限られていますよね。

 

人の行動は、単純に迅速性・正確性・合理性を求めているわけでもなさそうです。

 

仮に9割の人が職を失うような人工知能を使い方が行われてきた場合、その9割に入った人はその機械化に猛反対すると思います。

 

日本国憲法では日本の最高機関は国会であり、その構成員である国会議員を選ぶのは多数派の国民です。

 

9割もの人が仕事を奪われて黙っているわけがなく、1割の人だけが仕事を持って裕福に暮らす社会を変えようとするでしょう。

 

逆に、もし1割の富裕層に重い課税をしすぎたら、多くの才能が海外に逃げていってしまい、結果的に日本の国際的な競争力・経済力が落ちてしまいます。

 

私の個人的な意見としては、消える職だけでなく、新たな職(正社員)の需要も意識的に生み出すこと

 

少子高齢化による人口減少からむしろ労働力不足の傾向が現在化しているので、その不足部分をAIで埋める努力をすること

 

が大切ではないかと思っています。

 

長い目で見て、国(という単位が残ることを前提として)全体が、経済的にも精神的にも豊かになり、治安も良い国になる方法をみんなで考えていく必要がありそうですね。

 

労働問題のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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遺産分割の前にやらなければならないこと

お盆玉という言葉はもう一般用語なんでしょうか?

 

私は、最近初めて知りました。

 

お正月の「お年玉」だけでなく、お盆に帰省する孫などにお金をあげる「お盆玉」の習慣が根付き始めているとのことです。

 

お年玉と同じような袋も種類が増えてきているとのこと。

 

少子高齢化で、高齢者の預貯金が消費に動かないことが問題視されていることを考えると、孫にお盆玉をあげることは、景気回復の助けになる良いことなのかもしれませんね。

 

さて、高齢化となると当然、相続の心配をすることも増えてきているでしょう。

 

相続する人たちが全て顔も性格も把握できる範囲であれば、すぐに処理できるのでしょう。

 

もっとも、最近では、親族間の距離が心理的に遠いケースが多く成ってきているようです。

 

遺産を分けようとする時に、その前提として決めておかなければならないことが幾つかあるのですが、その一つが「誰が相続人か?」ということです。

 

詳しい方なら、法律で決まってるからそんなに問題にならないのでは?

 

と疑問に思われたかもしれません。

 

しかし、実務では時折問題となります。

 

つまり、

 

「この人は相続人ではない!」

 

と異議が出ることがあるのです。

 

その最も大きな原因は、昔の戸籍の作成がいいかげんだったことです。

 

兄弟姉妹や甥姪が相続する場合、他に誰が相続人が調査することがあります。

 

すると、驚きの真実を聞かされることがあります。

 

「この子は、兄弟姉妹として戸籍に書かれているけど、実の子ではなくて赤の他人だった」

 

というものです。

 

第二次大戦の前後に親が他人の子を実の子として届け出ていたというのです。

 

ところが、他人の子といえども戸籍に書かれている以上、実務では実子として扱われます。

 

究極的には、伯父や伯母と甥姪とのDNA型の鑑定までしないとある程度の証拠が出ないのですね。

 

それ以外にも、民法は養子縁組をするときに、「自分(養親)より年上の人を養子にできない」と定めています。

 

ところが、今と違って昔の戸籍は手書きで、個別に戸籍担当者が判断していたので、間違って年長者が養子となっているケースもあったりします。

 

そうすると、その人の養子縁組を裁判で取り消すことができます。

 

このように、他人が実子として戸籍に書かれていたり、年長者が養子として戸籍に書かれていたりするなど、昔の戸籍にはミスが多いです。

 

そのため、相続紛争を扱うことが多い弁護士は、古い戸籍は疑って見ていきます。

 

その結果、「この人は相続人ではない」との紛争が起きる場合には、そもそも遺産を分ける人が誰かがまだ決まっていないということになります。

 

そのため、相続人かどうかについて争いがある間は、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てても認められません。

 

まずは、相続人が誰かを裁判で結論を出してから遺産分割をしなければいけないのです。

 

古い戸籍を弁護士が調べたら、依頼者の方が一番ビックリすることもあったりするのですね。

 

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防衛大臣の辞任と憲法

暑い日が続きますね。

 

日中、体温が上がりすぎたり、汗をかきすぎたりすると、水分をとっていても、それが適切に体に回らずに熱中症になってしまうそうです。

 

例えば、水分が適切に腎臓に回らないと腎不全を起こしてしまい、人口透析をしなければならくなった人もいるそうです。

 

皆さんも、野外では涼しい場所にいる時間を適度にとって、体を大切にしてください。

 

さて、最近話題になっている稲田防衛相の発言や辞任の問題。

 

最終的に引き金になったのは、アフリカの南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を隠してしまったことのようです。

 

「部隊が毎日の活動を記録した日記(日報)」のような書類を隠すことがどうして大臣の辞任にまでつながる重大な問題なのでしょうか?

 

それは、この「日報」が、部隊の海外での活動が憲法9条に違反していたかどうかを、私たち国民が知るため(知る権利)の非常に重要な書類になるからです。

 

憲法は、法律・条例その他の法令のどれよりも強い効力を持つ「法の王様」です。

 

ですから、憲法に違反する法律や国の活動は全て無効・違法ということとになります。

 

この憲法で私たちの人権や平和主義が保障されているから、仮に(ヒトラーのときのナチスのように)圧倒的与党が国会を支配しても、憲法を改正しないかぎり私たちの自由や平穏な生活が一方的に抑圧されることがないのです。

 

日本の憲法で有名な9条では、①戦争を放棄すること②戦力を持たないこと③交戦権を国が持たないことが定められています。

 

そして、自衛隊が②の「戦力」にあたることについては、政府も学説のほとんども認めています

 

それでは、どうして自衛隊の設置が憲法9条に違反しないのでしょうか?

 

確かに、憲法には自衛隊についての記述は一言もありません。

 

しかし、憲法が日本の「国」という存在を前提として定められている以上、「国」が危機に陥ったときに、自衛することは当然認めていると考えられるからです。

 

この点については、学説には様々な意見がありますが、ひとまず政府の見解を前提にして考えていきましょう。

 

憲法がこれだけ厳しく戦争について否定している以上、自衛隊の「戦力」についても、本当に日本という国、私たち国民に危険が迫った時にしか使うことは許されません。

 

つまり、憲法が想定しているのは、日本の国土や国民が危機に陥ったときに反撃する「戦力」だけなのです。

 

ところが、国連平和維持活動ということになると自衛隊が活動する場所は外国(今回は南スーダン)になります。

 

憲法は、自衛隊が外国で「戦力」を使うことは一切認めていないということについては、憲法を学んだ人なら理解しているはずです。

 

ですから、自衛隊がPKOで協力するのは「戦力」にひっかからない範囲、つまり南スーダンの内戦で危険に陥っている人を助けたり、医療活動の援助だったりすることなどに限定されるわけです。

 

自衛隊員が自分の身を守るために武器を携行することですら大きな議論になったくらいです。

 

つまり、私たち国民が、自衛隊が海外で活動するときに、「戦力」を使っていないか?=憲法9条に違反していないか?をチェックきるような情報を国は開示しなければならないのです。

 

そこで、その私たちがチェックできる情報として大切なのが「日報」というわけです。

 

南スーダンで平和維持活動をしていた自衛隊の毎日の日記である「日報」には、その日の部隊の行動が詳しく書かれています。

 

これを見れば、例えば

・どのような銃器を使ったのか?

・銃器使用は自衛隊員の身を守るために必要なものだったか?

・南スーダンで、内戦を鎮圧するのに関わっていなかったか?

ということが非常に良く分かるわけです。

 

もちろん、国際問題に関わる政治的なことやプライバシーに関することは非開示にできるのでしょうが、銃器の使用などについては開示しなければなりません。

 

これを隠してしまうと、私たち国民が自衛隊が外国で「戦力」を使っていないか?がチェックできないのです。

 

そのため、「日報」を隠したことに関与した防衛大臣は憲法違反か否かの判断に重要な資料を隠して、私たちの知る権利(憲法21条)に違反する行動をしたということで、重大な責任を追及されているわけです。

 

私個人としては、世界の平和に日本も貢献すべきと思うので、PKOへの自衛隊参加は賛成です。

 

ただ、それは「自分や大切な人の命や身体を守りたい」という人類の普遍的な理念のために参加すべきで、その国の内戦には一切関与すべきではないと思います。

 

内戦の場合、他の国が「どちらが正しくて、どちらが誤りか」を判断することは不可能で、結局は経済原理で動くことになると思うからです。

 

もっとも、このような防衛大臣の責任問題が起きるのも現在の憲法だからで、今予定されている改正がされてしまったら問題すら生じなくなってしまいそうですね。

 

「憲法のお話」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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野外ライブの法的責任はどこに

梅雨も明けて、セミの声が聞こえてくるようになりました。

 

暑い季節の到来ですね。

 

夏になると、お祭り、花火、野外ライブ、スポーツ観戦など野外でのイベントが増えますね。

 

さて、野外は楽しいですが、建物がないが故に起きてしまう事故もあります。

 

過去に野外ライブで不幸な事故が起きて、裁判となっています。

 

野外ライブに向かう女性が落雷で死亡してしまったという事故です。

 

この事件で遺族が主催者する会社に対して損害賠償請求の訴訟をしたことに対して、19日に最高裁判決が出ました。

 

結論としては、「請求棄却」つまり遺族の請求を認めませんでした

 

この遺族の損害賠償責任の法的な根拠は、ライブに訪れるお客さんの保護義務違反です。

 

つまり、天候によっては雷が落ちる可能性があるので、ライブの主催者は会場内のお客さん、会場に向かうお客さんに対して、避難誘導する義務があり、これを怠ったというものです。

 

確かに、ライブが始まってから雨が降り始め、雷が相当鳴り響いたのにライブを継続していれば、主催者の責任が生じる場合もあると思います。

 

この事案でも、雷が鳴り始め落雷の危険が迫っていると予測をすることが出来る天候でした。

 

もっとも、その予測ができるときから死亡事故が起きるまでの間は十数分しかありませんでした。

 

会場には多数の人がいますから、整理しながら避難させなければ大事故になるおそれがあります。

 

ですから、落雷の危険を感じたとしても、即座に「避難して下さい」とアナウンスするわけにはいきませんよね。

 

また、野外でライブをする場合には、成人であれば落雷の危険はある程度自分で判断できますから、自己責任で避難する行動も求められるでしょう。

 

そのため、落雷の危険を予測できるときから例えば15分程度で全員を避難させる行動を起こさないというだけで、主催者に保護義務違反はないと判断されたのです。

 

亡くなった方は気の毒ですが、野外でのイベントにおいて、自然による危険については個々人もある程度責任を持つというのが最高裁の考えということになります。

 

夏の事故には皆さんも十分気をつけつつ、イベントを楽しんでください。

 

「時事とトピック」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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ペットは替えがきく?

私が小学生の頃は日本中どこでも野良犬・野良猫があふれていました。

 

犬・猫・鳥などフワフワした毛がある動物が大好きだった私は、小学校への登下校の途中で人なつっこそうな犬や猫をみつけるといつも触っていました。

 

授業中に校庭に野良犬が入ってくるとベランダに飛び出してしまい、先生に怒られた回数は数えきれません。

 

そのため、大学を卒業して自分で世話ができる年齢になると、犬や猫が必ず家にいます。

 

夜中の散歩で目が合って拾ってきた猫、ペットショップで目があった犬、引き取り手がなかった保護猫などなどです。

 

ペットショップでの売買情報を見ていると、よく「購入後3ヶ月以内に死亡した場合には別の子犬(子猫)と交換します。」という保証付きのものをみかけます。

 

この保証に違和感を感じる人と、安心感を感じる人の両方がいると思います。

 

これを法律的な観点から分析すると、違和感を感じる人は、ペットを「特定物」とみていて、安心する人は「不特定物」とみているということになります。

 

「特定物」というのは、当事者がその物の個性に着目している物を言います。

 

これに対して、「不特定物」とは個性には着目せず、同種・同型のものであれば良いとするものです。

 

例えば、中古のトヨタ・プリウスを買うときには、その走行距離やシートの汚れ具合、塗装の色褪せなど色々な観点から決めますから、世界に1台しかない「このプリウス」という特定物です。

 

これに対して、新車で買うときには、どこの工場で作った物でも、同じグレードのプリウスであれば良いので不特定物となります。

 

そして、ペットが不特定物であれば、購入した時に病気を持っていて早期に死亡したときには替わりに同種類のペットを引き渡すよう請求できます。

 

これに対して、特定物であった場合には、替わりのペットは請求できず、売買契約を解除したり、損害賠償請求をしたりできます(2017年7月現在)。

 

ところが、ペットが特殊なのは、保証契約に違和感を感じる人はもちろん、代わりがタダでもらえるなら安心だと思われる人にとっても、買って一緒に生活するうちに不特定物ではなくなることが多いことです。

 

果たして、ペットを購入して3ヶ月近く暮らした後に死亡したとき、代わりの同じ種類のペットがもらえるとしても「新しいペットが来てよかった」と単純に安心する人は少数派なのではないでしょうか。

 

そういう意味では、動物について全く物と同じように取り扱うのは私たちの感覚に合わないように思えます。

 

刑法でも器物損壊罪と動物殺傷罪とが同じ条文に記載されていることに抵抗がある人も多いでしょう。

 

動物の肉を食べながら動物愛護を語るというのも自己矛盾のように感じるかもしれません。

 

しかし、人間同士の間に限って見ても、哺乳類を虐待する人は人間に対しても重大な危害を加える傾向があるように思えます。

 

また、少年院で犬の世話をさせる指導をしたところ、再犯率が大幅に下がったという統計もあります。

 

人類の繁栄のためにも、法律も少なくとも哺乳類については、動物愛護の観点からできる限り単なる「物」で終わらせない方向で制定・改正が必要かもしれません。

 

動物愛護法が何度も改正されて動物虐待が行われないように配慮されてきているのもその傾向でしょう。

 

人も動物もできる限り共存できる世界を目指したいものです。

 

「日常生活の法律問題」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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インターネットとリベンジポルノ

 雨が降ったり、晴れたり、湿度も高かったり、心地よかったりで、日々の気候の変動が激しいように感じます。

 

自動車で仕事に出るときにはそれほど気にしないのですが、電車やバスで出張するときには油断せずに折りたたみ傘を持っていくようにしています。

 

さて、このホームページやブログの原稿は全て私(谷川)が書いているのですが、やはり書くときには世界中に公開されると思って書きます。

 

「世界中?」ってオーバーに感じるかもしれませんが、それがインターネットの世界ですよね。

 

しかも、全文が日本語で書かれている私のホームページですら、アメリカだけで毎月50件以上のアクセスがあります。

 

更に、その他の国も入れると毎月少なくとも100件以上の海外からのアクセスがあります。

 

ソフトで翻訳して読まれているのか、海外に赴任した日本の方が読まれていると推測していますが、今後ともよろしくお願いいたします。

 

ということで、ホームページやブログ・SNSについては公開設定していればもちろん、非公開設定でもコピー&ペーストやリツイートなどの機能で世界中に広がる可能性はあります。

 

そのようなインターネットの性質との関係で問題となるのが、法律で「不特定又は多数人」という定めがある場合です。

 

このうち、皆さんにとって一番なじみ深い違法行為で言えば「名誉毀損」でしょう。

 

名誉毀損罪を定めた条文に「公然と」という言葉があります。

 

この意味は、「不特定又は多数人が認識しうる状態」をいいます。

 

ここで大切なのは、「認識したこと」ではなく、「認識しうる状態」ということです。

 

つまり、実際に多くの人や不特定の誰かが見ていなくても、見られる可能性があれば足りるということです。

 

インターネットが使われる前の時代の最高裁の判例では、公開する相手が特定・少数の場合でも秘匿性が高い状態でなければ噂で伝わってしまうので、「公然と」と言えるとしてきました(伝播性の理論)。

 

つまり、会社の同僚2~3人に話しただけでも、噂話として会社内に広がる可能性があれば、「公然と」といえるということになります。

 

この理論をそのままインターネットにあてはめると、ネット上にアップしただけで、不特定又は多数人がアクセスは可能なのですから、「公然と」になりそうです。

 

実際、名誉毀損に基づく損害賠償請求(民事)の訴訟の場合には、ネット上にアップすれば「公然と」とされることが多いように感じます。

 

ところが、昨日(平成29年6月30日)に出された大阪高裁の判決は、この幅を制限しました。

 

これはいわゆる「リベンジポルノ」という犯罪についてです。

 

リベンジボルノとは、別れた恋人や配偶者に対する報復として、交際していた時に撮影した相手方の裸や性交渉の写真などをインターネット上で公開する行為をいいます。

 

このような行為が多かったことから、特別に平成26年に「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律」(リベンジポルノ被害防止法)を制定して処罰することになりました。

 

このリベンジポルノ被害防止法の条文は、相手の裸の写真などを「不特定又は多数の者に提供した」という限定で処罰する旨定めてあります。

 

今回の男性加害者は、元交際相手の女性の裸の写真をインターネット上にアップしました。

 

その上で、そのURL(ネット上の住所)を元交際相手(被害者)に知らせましたが、それ以外の人には知らせませんでした。

 

大阪地裁では、おそらく従来の最高裁の考え方から、URLをネット上にアップした以上、不特定又は多数人が認識できる状態に置いたといえると判断したのでしょう。

 

男性には懲役2年、執行猶予4年の判決が下されました。

 

執行猶予判決ですから、刑務所に行くわけではありませんが、公務員であれば失職してしまいますし、私たちのような士業も資格を失ってしまいます。

 

色々と検討したと推測されますが、その被告人男性と弁護人は大阪高裁に控訴しました。

 

その大阪高裁では、先ほどの大阪地裁の判決をひっくり返して無罪判決を言い渡しました。

 

その理由は、男性被告が閲覧先のURLを送ったのは元交際相手の女性だけのため、「不特定多数が閲覧できる状態にしたとはいえない」というものです。

 

確かに、URLが分からなくて、かつ検索エンジンに登録されていなければ、インターネットの世界ではアクセスすることは事実上不可能です。

 

更に、そのネット上にアップしたこと自体も交際相手の女性にしか知らせていないということになると、画像を探す人すらいないわけです。

 

そう考えると、ネットにアップしただけでは不特定又は多数人が閲覧できる状態にしたとは言えないでしょう。

 

この無罪判決は、弁護人か裁判官が、ある程度インターネットの仕組みについて理解していないと出てこないだろうと思います。

 

進化(変化)が早い現代においては、弁護士も裁判官も「通常の知識」(経験則)として知っていなければならないことは日々増えているように思えます。

 

私自身も、インターネットに限らず、様々な分野の知識を吸収していかなければならないと改めて思わされました。

 

インターネットと法律の過去記事はこちらをご参照ください。

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証人になるのはお嫌ですか?

先ほど、長野県の南部を震源とする地震がありましたね。

 

静岡市内ではそれほど揺れなかったようですが、日曜の朝ということで朝風呂にゆったりとつかっていた私は結構な揺れを感じました。

 

裸のときに地震が起きると飛び出しても行けないので、何となく自分が頼りく感じてしまいます・・・

 

その後、特に大きな被害は報道されていないようなので良かったですね。

 

さて、「裁判」といわれると多くの方が身構えてしまうことが多いですよね。

 

当事者として裁判に出て行くというのは、一生に一度あるかないかですからやむを得ないと思います。

 

現に、私自身も代理人としては週に何回も裁判所に行っていますが、自分が当事者として裁判所に行ったことは一度しかありません。

 

これは、代理人として違法行為を行っていた相手を訴えたところ、相手から逆切れされて、依頼者だけでなく私も一緒に訴えられたケースでした。

 

この相手は裁判官まで訴えていましたから、どうしようもないケースだったのですが、それでも「被告 谷川樹史」として裁判所に行くのは楽しくはありませんでした(もちろん全面勝訴しましたが)。

 

ですから、裁判には行きたくないというのが当たり前の心理であることは十分理解できます。

 

ただ、訴えたり、訴えられたりして裁判の当事者となってしまえば、出て行かなければ負けてしまいますから、やむを得ず裁判所に出頭するでしょう。

 

問題は、証人として裁判所に出てきていただく場合です。

 

例えば、夫が不倫して、妻が不倫の相手女性に損害賠償請求したいと考えたとしましょう。

 

このとき、夫が認めていればそれ自体が証拠になるのですが、離婚を伴う慰謝料請求の場合には、夫は妻と敵対するので不倫を否定することが多いです。

 

夫側の弁護士も依頼者から「やっていない」と言われれば、よほど決定的な証拠が出てこない限り説得できませんので、裁判で否定してきます。

 

そんなとき証人が証言してくれると裁判の大切な証拠となります。

 

では、証人は当事者(妻・夫・不倫相手)以外なら誰でも良いのでしょうか?

 

実はそうではありません。

 

良くあるケースとして
妻の父母や兄弟姉妹が、夫が不倫を認めて謝っていた場面を見ていた」
と言われることがあります。

 

確かに、妻の親族が証人になることはできますが、離婚するときにはたいてい妻の親族と夫との関係は最悪になっています。

 

そのため妻の親族は、裁判所から「妻に有利な証言をする可能性が高い証人」と見られてしまいます。

 

仮に証人が嘘をついていなくても実の受け止め方自体が妻に有利な方向に偏っている可能性があることから、証言としての価値は大分下がるということです。

 

では、どんな人が証人として適切なのでしょうか?

 

最も適切なのは「当事者と利害関係がない人」又は「証人にとって不利益な事実を話してくれる人」です。

 

「利害関係がない人」の例としては、夫と不倫相手がいつも行くラブホテルの前のガソリンスタンドで働いている人などが考えられます。

 

ガソリンを入れるときに、運転手と助手席の人の顔を見ていて、ラブホテルにその自動車が入っていくのを見ていたというようなケースです。

 

「証人にとって不利益な事実を話してくれる人」とは、例えば夫や不倫相手の会社の同僚でしょう。

 

社内不倫というのは良くあるケースなので、社内では不倫の噂を多くの同僚が知っているということも珍しくありません。

 

その証人が、
「不倫相手の女性の部屋から朝夫が出てくるのを見た」
「社内旅行で二人が抱き合っているのを見た」
という証言をしてくれて、それが今までの夫や不倫相手の主張と矛盾すれば、これも大きな証言と言えるでしょう。

 

この証人は夫や不倫相手の同僚ですから、裁判で2人の前で真実を証言すると、恨みを買ってしまうので会社での仕事が極めてやりにくくなります。

 

それでも証言をしてくれるというのであれば、通常は信用できるということでしょう。

 

もっとも、その証人が夫と出世のライバル関係にあったり、派閥で対立していたりすると、いきなり証言の価値が下がってしまいますので呼ぶ場合には注意が必要です。

 

このような信用性が高い証人を呼べれば良いのですが、これには大きな問題があります。

 

自分のことではないのに、裁判所に出て行って証言をして、場合によっては一方の当事者から恨みを買うようなことは誰もしたくないのです。

 

つまり、弁護士が頼んでも来てくれないことがほとんどなのですね。

 

そのため、法廷で真実を証明したいときに、弁護士としては非常に歯がゆい思いをすることになります。

 

最後の手段としては、断られた証人に対して、裁判所から「呼出」という形で出頭を求める方法があります。

 

出頭しないと罰則はあるのですが、それでも出てこない人も珍しくありません。

 

なかなか、法廷で有効な証言を得ることにはハードルが高く、そのため代理人である弁護士も裁判所もまずは書面や画像などの資料で、出来るだけ事実を確認しようとします。

 

裁判手続を初めて経験する方は、おそらく
「どうして、こんなに書面のことや印鑑のことを一生懸命争うのだろう?」と思われるかもしれません。

 

裁判での証言でこちらに有利な判決を得ることは簡単ではないので、それ以外の証拠でまずは固めようとしているのですね。

 

「裁判手続で知っておきたいこと」の過去記事はこちらへどうぞ。

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ものは言いよう

運動不足を解消しようと、先週の休日に思い立ってウォーキングに行きました。

 

以前から興味があった、東海道由比宿→興津宿の間を歩いてみようとおもいました。

 

場所としては静岡市内で最も東方に位置する所で、ウォーキングの間に薩埵峠(さったとうげ)という急勾配の通があるのが特色です。

 

この峠の上からの富士山の眺めが素晴らしく、観測カメラを設置して静岡県のホームページで公開しています。

 

桜エビで有名な由比駅で降りてウォーキングを開始。

 

上り坂に入ると、情緒豊かな由比宿の建物が続きます。

 

 

実はここら辺、熱海以上に海と山の距離が近く、崖崩れと海の波で通行止めの危険があります。

 

そのギリギリのところを、東名高速道路と国道1号線バイパスという大動脈が海の上を走っています。

 

東名高速道路を西から東に向かうとパッと景色が開けて海と富士山が見える箇所です。

 

 

名物は「びわ」らしくて、色々なところで採取や集出荷の準備をしている姿が見られました。

 

細い道では江戸時代の峠を感じさせるような箇所も。

 

ただウォーキングをすると疲れてしまいますが、景色や情緒がある所だと楽しんで歩けました。

 

さて、今回の話題は弁護士書面の書き方についてです。

 

今週、兵庫県弁護士会が所属する弁護士を戒告(注意)しました。

 

その理由は準備書面に書いた内容が不適切で相手を中傷し、弁護士倫理違反にあたるというものです。

 

準備書面というのは、訴訟で代理人となった弁護士が、依頼者の主張を法的に整理して裁判所に提出する書面です。

 

依頼者の方々の気持ちを入れつつ、法的に必要・不要の判断もしなければなりませんので、作成するときには相当悩んで作ります。

 

民事訴訟や遺産分割調停を経験したことのある方なら分かると思いますが、敵となる相手には強い不信感や憎しみを持っているのが普通です。

 

そうじゃなければ、話し合いで解決したり、我慢したりして、わざわざ弁護士になんか依頼しませんよね。

 

さて、その準備書面に書かれていた内容ですが報道されている範囲では以下のような記載です。

 

「馬鹿馬鹿しい」

「インチキな連中」

「証拠があるなら、出してみろ」

「でっち上げの大嘘である」

 

さて、皆さん、どう思われますか?

 

眉をひそめたかたもいらっしゃると思います。

 

では、視点を変えてみましょう。

 

皆さんが今までの人生の中で最も嫌いな相手を思い出して下さい。

 

その相手と例えば土地の境界をめぐって争いになったとしましょう。

 

皆さんからみると、相手は嘘としか思えない理不尽な主張を繰り返してきます。

 

そんなときに、ご自分が依頼した弁護士が、相手に向かって戒告の対象となった上のような書面を作って出してくれたとしましょう。

 

どういうお気持ちになったでしょう?

 

「スッキリした!」と思われた方も多いのではないでしょうか?

 

弁護士の世界は常にそのような戦いの中にあります。

 

代理人とはいえ、依頼者から重大な紛争の解決をまかされた以上、相手を攻撃しないというのは無理です。

 

では、どうすれば良いのでしょうか?

 

さきほどと同じ趣旨のことを、別の表現に変えて準備書面に書くわけです。

 

「馬鹿馬鹿しい」→「信用性が極めて低い」

「インチキな連中」→「虚偽としか思えない理不尽な主張を繰り返している」

「証拠があるなら、出してみろ」→「証明に足りる証拠の提出が全くなされていない」

「でっち上げの大嘘である」→「事実と異なることは明らかである」

 

内容は一緒ですが、ちょっと上品になりましたよね(笑)。

 

言いかえた方の表現は、私を含めて多くの弁護士が似たようなことを書いていると思います(感情を伴う勝負事ですので)。

 

戒告された弁護士の表現は品を欠くことは確かですが、弁護士の仕事をしている以上、私としてはこの程度の書面が出てきても驚きも、怒りもしないと思います。

 

「ああ、これじゃ和解はとても無理だな。」

 

と判断して、どのようにしたら効果的な反撃になるかを冷静にじっくりと検討するでしょう。

 

当然、兵庫県弁護士会もこれは分かっていることです。

 

おそらくですが、戒告された弁護士に対する判断は、その準備書面だけでなく、日頃の行動など他の要素も合わせて戒告に至ったようにも思えます。

 

報道だと準備書面の表現だけで戒告できるように思えますが、決してそうではないことは分かっていただきたいと個人的には感じました。

 

「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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