以前もお話したかもしれませんが、私の趣味の一つにギターがあります。
小学校6年生の時に、ビートルズを聴いて衝撃を受けて、物置に放置されていた古いガットギターを、下手くそながら真似て弾き始めたのがきっかけです。
時は、アリスをはじめとした、フォークソング全盛期だったこともあって、色々なミュージシャンの曲を聴きました。
その当時から大好きなミュージシャンの一人にさだまさしがいます。
メロディーの美しさもさることながら、歌詞の一言一言の使い方や日本語の美しさは、自分が作詞する時にも大きな影響を受けました。
彼の作品の中に、「償い」という曲があります。
弁護士になってから改めて聞き直すと、本当に身につまされます。
月末になると、薄い給料袋の封も切らずに、走って郵便局へ行く「ゆうちゃん」が主人公です。
仕事仲間の多くは「貯金だけが趣味のしみったれた奴」と飲んだ勢いで言っています。
でも「ゆうちゃん」が郵便局へ行く理由は貯金ではなく、過去に起こしてしまった交通事故で亡くなった男性の妻への送金だったんです。
「ゆうちゃん」は、事故直後に、被害者の妻から「人殺し、あんたを許さない!」と言われています。
それでも、「ゆうちゃん」は愚直に、事故後、毎月欠かさず送金をしてきました。
その「ゆうちゃん」に、事故後7年たった時、突然、被害者の妻から手紙が届きます。
それには、こう書かれていました。
「ありがとう。あなたの優しい気持ちはとても良く分かりました。」
「でも、送金は止めて下さい。あなたの字を見るたびに、主人を思い出してつらいのです。」
「それよりも、あなたご自身の人生を元に戻して欲しい」
ゆうちゃんは、手紙の内容よりも、許されるはずのない人からの手紙をもらえたことで号泣します。
自動車運転過失致死事件の弁護は何度も経験していますが、本当に、つらいものです。
悪質な事案でない限り、普通の自動車事故で人を死なせてしまった場合には、一時的に逮捕されることはあっても、加害者(被疑者・被告人)はすぐに釈放されます。
いわゆる、「在宅事件」と言って、身体拘束を受けない状態で、取り調べや裁判を受けるんですね。
人を死なせているのに、身体を拘束されないのは意外に思われるかもしれません。
でも、「故意」に起こした訳では無く「過失」の結果起きた事件であることや、普通に仕事をしている人が加害者になることも多いので、逃亡や証拠隠滅の恐れが少ないとして、拘束されないことが多いんです。
そうすると、弁護人は、当然、被害者の人生で最も大切な人を死なせた張本人を連れて、一緒に、謝罪に行く段取りをとらなければならないのです。
例えば、窃盗などで被害が弁償できる場合で、被疑者・被告人が身体拘束されていれば、弁護士が代わりに被害の弁償と謝罪に行くこともあります。
もっとも、そのような場合には、被害者の方から厳しい言葉を言われることがあっても、加害者張本人ではないし、お金の問題ですから、最後は「まあ、あんたに言ってもしょうがないんだけど」ということで止まります。
ところが、被害が深刻な上に、なまじ、在宅事件だけに、被害者の方にとっては、最も神経を逆なでするかもしれないことを弁護人がしなければならないんです。
もちろん、被害者の方に、連絡することや、実際に会っていただいて、加害者と一緒に厳しい事を言われるのはつらいです。
でも、会っていただけない時にも、とてもつらい気持ちになることもあります。
お電話をした時に、疲れた声で「会っても何も変わらないから・・・」と言われてしまうと、遺族の方が本来的に優しい方なんだと推測できます。
そして、その優しい方の一番大切な人を死なせてしまうという交通事故の恐ろしさを、ひしひしと感じます。
本当に「償い」きれないことが起きてしまったんだと思い知らされます。
中には、実際に会っていただいて、謝罪した後に、「その人(被疑者・被告人)にも仕事があるんでしょうから・・・」と言っていただいたことがあります。
その時には、本当に涙が出てきそうで、慌てて「失礼します」と言って帰ってきてしまいました。
自動車死亡事故の恐ろしい所は、被害者にも、加害者にも、そして遺族にも何時なるか分からず、その確率が相当に高いことです。
民事賠償という意味でのお金での「償い」は、任意保険でカバーできるでしょう。
しかし、遺族に刻みつけられた傷への「償い」は、いったいどうしたら良いのか分かりません。
「ゆうちゃん」みたいに、愚直にお金を送り続けるのが良いのか、黙って月命日に事故現場に花束を置きに行くのが良いのか。
そして、加害者自身に刻みつけられた傷への償いは・・・
正解はないんでしょうね。
ただ、交通死亡・傷害事故が1件でも減ることを祈るのみです。
刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。