最高裁が、令和2年7月20日付けで、参院選の買収事件の疑いで起訴された河井案里(かわい・あんり)議員の保釈について、特別抗告を棄却する決定をしました(7月22日・朝日新聞デジタル)。
通常は、議員が逃亡するようなおそれは少ないと思われますし、これまで保釈が認められていた事案のように思えます。
ひょっとしたら、カルロス・ゴーンの逃走事件が間接的に影響しているのかもしれませんね。
さて、このように裁判所の判決や決定が下されると、判決書・決定書という書面が作られます。
弁護士が自分の担当した事件でこれを受け取ると、隅から隅までしっかりと読みます。
「おお、そんなところ気づいていなかったよ」「さすが」とか、「えっ!それはないだろ!」とか独り言を言いながら読むのです(私だけ?)。
また、それとは別に、お引き受けした事件と関連する判決書を、専門のデータベースから読むこともあります。
やはり、裁判官によって個性があり、事実の認定の仕方や論理の運び方はそれぞれです。
例えば、業務上横領事件について、原告側になると、横領した事実の証明のために、すごく細かい書面(領収書やレシート数百枚とか)を提出します。
そして、その使用した日時、金額、使途などから横領の事実を証明するわけです。
これに対して、判決書では、原告代理人と議論するように、1枚1枚について認めたり、排斥したりしていきます。
主張する弁護士は、依頼者、多くは会社や税理士・公認会計士から詳しい事情を聞いて主張していきます。
これに対して、裁判官は提出された証拠だけから判断していくわけです。
私が、裁判官だったら、そのような主張について排斥したり認めたりする決断をするには相当の勇気がいると思います。
当然、担当弁護士が、会計の専門家に自分の判決書を見せることを想定しているからです。
そこに果敢に踏み込んで判断している判決書を読むと、裁判官の職務への矜持を感じます。
また、傷害事件で慰謝料請求をするときに、刑事記録、例えば警察官の調書が証拠として提出されることがあります。
通常、警察官の調書の内容を、裁判官が認めないことって考えられないですよね?
でも、以外と、刑事と民事とは別として、「供述の前後を見ると、供述者が警察官に迎合して供述した可能性も捨てきれない」として、事実を認めるだけの証明力を否定している判決書もあります。
これも、刑事事件の内容を直接知らないけれど、調書全体の流れや不自然さから警察の調書の信用性を否定するには、勇気が必要でしょう。
逆に、「常識に反するのでは・・・」と思う判決書もありますが、このような場合には、事件を担当した個々の弁護士が控訴や上告をして再度審理することを求めていくことになります。
難しくて読みにくく感じる判決書ですが、その裏には美学があったり、非常識があったりと色々なのですね。
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