前にもお話したと思いますが、私は大学時代、下手くそながらバンドをやっていました。
大学の音楽サークルに入って、自分たちで作詞作曲した曲をコンサートで演奏していました。
音楽のサークルですから、音楽好きが集まっています。
ですから、夜通し、お酒やコーヒーを飲みながら、音楽談義をしたものです。
今ふりかえると、「同じ曲を聴いていても聴き方が皆違っていたな~」と思います。
当時は、若かったですから、自分の音楽の聴き方が「普通」だと信じて疑わなかったのですが、それはどうも違うようです。
私は、J-POPや日本のロックを聴く時には、曲と詞との割合が4:6ぐらいで歌詞を重視して聴いていました。
ですから、話をするときにも、当然歌詞の話が多くなります。
でも、歌が私なんかよりずっと上手い友達は、メロディーを重視します。
また、海外の曲を主に聴いている友人は、リズムから入ったりします。
そこで、「ここのフレーズが良く書ける」とか
「いや、このメロディーラインが」
「そこじゃなくて、これはアレンジが良いだろう」
「いや、ドラムスとベースの刻むリズムにもっと注目すべきだ」
というような、音楽談義になっていきます。
熱くなると、お互いに
「おまえが音痴だから、メロディーの良さが分からないんだ」とか、
「リズムにしか乗れないリズム馬鹿」
「詞の意味を理解していないなら、そもそも歌詞のつかない音楽だけ聴けば良いだろ」
などお互いに言いたい放題でした。
もともと、誰にも頼まれないのに一生懸命音楽をやろうなんて人は、私を除いて変人ばかりですからしょうがありません(「異議」が出されそうです・・・)。
その友人たちは全国に散っていきましたが、今でも地域で音楽活動をしたり、音楽に関わる仕事をしたり、趣味でライブを開いたりしています。
時々、東京や各自の地元に旅行がてら集まって近況を聞いたりしています。
この音楽の聴き方のお話は、弁護士が問題を解決していく場合にも通じるものがあると思います。
たとえ話で、姉妹が1個しかない夏ミカンを取り合って譲らないという喧嘩が起きたとき、どう解決するかというものがあります。
半分づつ分けるというのも一つの方法でしょう。
お互いに、我慢し合う和解ですね。
でも、理由を良く聞いてみると、妹は夏ミカンを食べたかったのに対して、お姉さんの方は、マーマレードを作りたいので夏ミカンの皮が欲しかったりします。
そうすると、妹は中身を全部食べて満足、お姉さんは全部の皮をもらってマーマレードを作れて満足という解決方法だって考えられます。
いわゆる、「ウィン-ウィン」の解決ですね。
一個の同じ夏みかんを見ていても、欲しいものは違ったりします。
でも、意地になってしまうと、それが見えなくなって、奪い合いになってしまうんですね。
離婚の問題では、子供の親権も1個しか無いもので、奪い合いになりがちです。
先ほどのたとえ話のように、子の養育は母親に任せつつ、子の面会はできる限り自由にさせれば、母親にとっては、子供を手放さずに十分な経済的援助を受けられるというケースもあるかと思います。
離婚する場合には、夫婦に信頼関係が全く無くなってしまっているのが普通なので、中々理屈通りには行かないのですが・・・
そのような解決のできる視野の広い弁護士になるために、努力していきたいと思います。
「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。