桜の花に緑の葉が混じりはじめ、春から夏へと季節が動いていることが伝わってきます。
日本の四季の美しさを感じさせる風景の一つですね。
ゴールデンウィークの予感もあって、少しだけ心が軽くなっているように感じます。
といっても、どこか特別に出かける予定は無いのですが・・・
さて、離婚するときに、夫婦に子供がいるときに大きく争われる親権。
日本では、結婚している間は、両親とも親権者として協力しあって子供を育てていきます。
これを「共同親権」と呼びます。
しかし、離婚すると両親が話し合って、子供のことを考えることが難しくなるため、両親のいずれか一方を親権者と定めなければなりません。
離婚後も両親両方に親権を認めている国もあるので、日本の風習が背後にあるのでしょう。
より個人主義の考えが強い国では、夫婦はもともと他人ですから、結婚している最中であってもそれぞれが子供に対しては別々の親権を持っていると考えると思います。
そのため、夫婦と親子は別ということで、離婚しても両親とも親権を持てることになるのだと思います。
しかし、日本人の感覚だと夫婦である間は「家族」という共同体の中に両親と子供がいるような感覚だと思います。
そのため、離婚によりその共同体が無くなると、親権も共同では持てないという結論になるのだと思います。
そこで、離婚するときには、両親で子供の親権の取り合いが起きることが多くなるのです。
多くの方がご存知のとおり、子供が小学校低学年くらいまでは裁判では原則として母親を親権者としています。
中学生くらいになると、子供の意思が尊重されるようになってきます。
私が仕事の中で一番悩むのは、小学校高学年くらいの子供の場合です。
小学生に「父親と母親のどちらを選ぶの?」と意思確認をすることは非常に可愛そうに思えてしまいます。
かといって、父親側の代理に人になって、父親がしっかりとした人で親権を希望しているときには、子供の意思確認を求めざるを得ないというのが弁護士実務の現状でしょう。
最近の裁判で話題になったのは、父親が母親に面会の回数を非常に多く与えるという「寛容な父親」だった場合に、それを重視して父親を親権者にしてよいか?という問題です。
この裁判では、
母親は「父親に月1回の面会を認める」
という主張をしたのに対して
父親は「母親に年100日(月約8.3回)の面会を認める」
と主張しました。
面会交流というのは子供の権利ですから、子供が肉体的にも精神的にも健康に育つ環境を重視します。
これを千葉家庭裁判所松戸支部では、
「子供が両親と会う機会をできるだけ多くした方が両方からの愛情をより受けられる」
と解釈して父親に親権を認めました。
これに対して、母親が納得できずに東京高裁に控訴しました。
この事案では、夫婦は別居しており、子供は母親と同居していたので、判決に従うとすると、父親に子供をひきわたさなければなりません。
母親としては控訴するしかなかったのだと思います。
東京高裁では、親権についての判決内容を変更し、母親に親権を認めました。
その主な理由は、次の二つです。
① 面会交流の回数の約束は、親権の判断の一要素とはなるが、それ以外にも子供の気持ち、現在の生活に大きな変化を生じないかなど様々な要素から判断していかなければならないこと。
② 実際に父親が提案する年間100回の面会を実施するために子供に時間をとらせると、移動時間がとられることなどで、子供の友人との交流関係や学校の行事にも支障を来す可能性があること。
確かに、離婚した親と年間100日も会っていたのでは、子供が自分の時間を持ちにくくなります。
また、離婚の裁判までした夫婦の間に信頼関係は無いでしょうから、
10数年も子供を毎年100日間も面会させる段取りを上手くとれるか?
精神的ストレスが子供に悪影響を及ぼさないか?
も心配です。
現状、子供が母親と一緒に住んでいて、母親が父親との面会を柔軟に月1回程度するのであれば、やはり母親を親権者とした東京高裁の判決の方が現実的なようには思えます。
親権の場合、父親か母親かの二択を迫られるという点で、夫婦の財産を分け合う場合のように、お互いに妥協して中間点を探すことができないのが難しいところなんでしょうね。
離婚の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。