先日、友人と2人で居酒屋に入って気持ちよく飲んでお会計にいきました。
レジの女の子がにっこりと笑って
「1万5,000円となります。」
一瞬、ボッタクリ居酒屋か!と身構えましたが、他のお客さんやオーナーの雰囲気からはとてもそう見えません。
クレーマーだと思われないように、私も笑顔で全額を支払った後に確認しました。
「レシートをいただけますか?」
渡された紙片を見ると、ドリンク400円×2杯のはずが、何故か8,000円との表示が!
400円を一桁間違いで入力したことでビックリする金額を生んでいたというワケです。
お店の方が丁寧に謝って返金してくれたので、誤解は解けました。
この計算も数学(算数)の初歩ですよね。
数学は論理で組み立てられています。
400円のドリンクを2つ飲めば、それは800円であり、8,000円ではあり得ないわけです。
法律の世界も「論理的」であることが尊重されます。
法律家も何だか理屈っぽい人が多いですもんね(人のことを言えるかどうかは別として)。
ところが、数学が得意な理系の人が法律を学ぶと「論理」に馴染むのに時間が必要です。
例えば、「無効」という言葉から考えてみましょう。
来年4月からの民法改正で規定に追加された条文に、意思能力を有しない人の法律行為(契約など)は無効とする、というものがあります。
幼稚園の子供や認知症の高齢者が契約をしても法律上は効力がないというものです。
もともと解釈上当然のこととされていましたが、条文がなかったので正式に定めたものです。
他に無効を定めた条文には、公序良俗に反する行為は無効だ、という規定があります。
例えば、人身売買など社会的に決して許されない契約は無効だ、という意味です。
さて、「無効」というのは法律上の効力を有しないということですから、契約は無いものと一緒ということになります。
確かに、後の人身売買の方はそのとおりです。
ところが、意思能力の方はそうではありません。
例えば、幼稚園の子供が書店に1冊しかない高額の絵本をどうしても欲しくて、親に黙ってお小遣いを使い果たして買ってしまったとしましょう。
この場合、親が子供の代理人として契約の無効を主張して、絵本を返す代わりに代金を返還してもらうことはできます。
これに対して、親が「とても良い絵本だから読ませてあげよう」と思って無効を主張しないこともあるでしょう。
そんなとき、例えば本に希少価値があると分かったなどの理由で、書店の方から意思能力がないから無効だとして、返金の代わりに本を返すような請求はできません。
つまり、「無効」の主張は子供側からしか言えないということです。
ここで数学が得意な人ほど混乱します。
それはそうでしょうね。
「無効」とは契約の効力が生じないこと、と定義しておいて、人身売買など誰が何と主張しようと法律的な効力はない、と言い切っています。
ところが、意思能力が無くて無効となる場面では「子供の側が良いって言ってるなら有効でもいいんじゃないの」って説明し出すわけですから。
数学に例えると次のようになります。
リンゴが2つあれば「2個」だから1+1=2です。
でも、3個のリンゴから1個引いたときの「2個」、つまり3-1=2の「2個」は先ほどの2個とは意味が違って・・・
確かに、意味不明です。
昔、数学が得意な人と話をしたときに、「それなら最初から『無効』なんて言うな!」と文句を言っていました。
どうして、こんなことが起きるか?というと、法律は「人類の秩序と発展のための道具」であって、自然科学の基礎となるような数学とは役割が違うからです。
先ほどの意思表示の「無効」の規定も、正しさを求めるものではなく、幼児や認知症の高齢者など判断能力に欠けている人を社会で守ることを求めるものなのです。
ですから、守られるべき幼児や高齢者を保護する人(親や後見人)が、「特に不利にならないから、有効でいい」って言っている場面で強制的に「無効」を貫くべきではないのですね。
そういう意味で、法律を解釈するときには、「その条文が何のために作られたのか」という条文の趣旨に立ち戻ることが大切になります。
数学のレベルでの正しさを追求するものではないということです。
数学が苦手な方でも法律は習得できますので、興味がある方は是非。