最近、「まちの本屋」(著者:田口幹人・ポプラ社)という本を読みました。
全体的には
小規模な本屋がジュンク堂書店やTSUTAYAなど大規模な書店とどう差別化をするか?
という大筋の中で色々な話に触れています。
大規模書店との差別化といっても、ただ営業利益をあげるためだけでなく、小さな本屋としての矜持が感じられて楽しく読めました。
この本を開くと太字で書いてあるのが「本は嗜好品などではなかった。必需品だった」という一言です。
つい「本屋だからそう言うんだろう」と思いましたが、実体験からの感想だったようです。
東日本大震災の直後、津波で甚大な被害を受けた「さわや書店」釜石店が震災直後に店を開けると、お客様がなだれ込んできたとのことです。
とにかく何でもいいから本を、とみんなが奪うように買っていったということです。
当然、買っていく顧客は震災の被害者の方々です。
その理由は推測するしかありませんが、著者はこのように書いています。
「少しでも日常を取り戻すために、いつも身近にあった何かが手に入らないか。そう考えたとき、誰もが思い出したのが本だったのではないか」
確かに、震災の被害者ほど過酷な経験ではありませんが、本を読むことで「つらい現実から別の世界に入り込めることで救われる」という経験は、私もしたことがあります。
「衣食足りて礼節を知る」という諺からは、衣食住が満たされなければ嗜好品は要らないということになりそうです。
しかし、東日本大震災では、衣食住の全てを一瞬にして無くなった方々が礼節を失わなかったという事実もありますし、さきほどのように本屋に殺到したという事実もあります。
人間が衣食住だけを基礎にして生きているという考えは、現代では通用しないように感じます。
それぞれ、ご自分の大好きなものがあると思いますが、
「1日1食減らさないとその好きなもの(例えばスマホ)を手放さなければならない」
となった場合、1食減らす選択をする人の方が多いように思えます。
私が破産事件や個人再生事件をお引き受けすると家計表というものを作っていただきます。
裁判所が「家計がどの程度苦しいか?無駄遣いをしていないか?」などをチェックするために提出しなければならないからです。
そんなとき、「食費を減らして趣味のものを続けていくか?」については、人によって判断は異なると思います。
このとき、判断をせまられることの一つにスマホを続けるか?があります。
多くの方は無理してでもスマホを制限したくないという考えのようです。
例えば、食費は1人の生活で月3万円未満まで削っているのに、スマホ利用料が1万5,000円という家計表は珍しくありません。
一昔前だったら、この家計表をみた裁判所もスマホを無駄遣いととらえていたかもしれません。
でも、少なくともここ数年前からは、スマホを使って人間関係を維持しておくことが、破産・再生後の経済的な立ち直りを助ける面もあるので、余り厳しいことは言わないようになっています。
例えば、
「スマホがあるからこそ求人募集にすぐに申し込めたり、ハローワークの情報を手に入れられたりするので、ある意味生活必需品的な意味合いを持つ」と主張することもできます。
でも、それってタテマエですよね(笑)。
おそらくご本人にとっては、それ以上に、LINEやSNSを使って友人などとの連絡や情報交換を続けていくことに大きな意味をもたれていると思います。
時代とともに嗜好品と必需品のボーダーラインは変わっていきます。
自動車なんて、現在では必需品の中から外れる傾向にあるのかもしれません。
もっとも、「自動車の運転が苦手」という人が増えただけだと思うので、自動運転が2020年以降に実現されてくれば、道具としての自動車が必需品になっていくかもしれません。
嗜好品と必需品のボーダーが変わっていけば、法律や実務への影響も免れないでしょう。
法律も人が暮らしやすくするために決めたルールにすぎませんので、社会が変われば、それに対応していかなければなりません。
昨日公布された民法の改正法も、明治時代に成立してから判例や実務・学説で修正でつぎはぎになった部分を整理して大幅に変わっています。
実際に私たちの生活にに適用されるようになるには、約3年後くらいになります。
人の考え方も法律も変わっていき、世の中の変化するスピードがどんどん加速している印象を受けます。
きっと、今から10年後には、今からは想像できない価値観を、私たち自身が持っているのでしょうね。