静岡では昨日から、急に寒くなり始めました。 昨日から始まった「大道芸ワールドカップin静岡」。
今年は10月31日(土)~11月3日(火・祝日)の間開催されるとのことです。
静岡市の町中にある駿府公園をメイン会場にして、静岡市内のさまざまなところで、大道芸人の人たちが技を競い合います。
静岡の中心街はコンパクトで、徒歩圏内で買い物・飲食・大道芸・映画・公園での休憩など全てが楽しめます。
また、この時期でも、他の地域と比べると寒くないことなどから、散歩しながら、買い物や飲食をして、その合間に気に入った大道芸人の前で立ち止まって見たり、公園で休憩したりできるという贅沢な楽しみを味わえます。
昨日の朝早くには、すでに「トルコケバブ」の店の設置がされていました。
静岡市外の方で、来られたことがない方は、毎年、この時期にやっていますので、ご都合のつく年にはぜひお越しください。
地元住民から見ても、お越しいただく価値があるイベントだと思っています。
さて、最近では事実上の結婚をしても籍を入れないとか、実際に結婚しても仕事上だけは名字を変えない夫婦が増えてきたようです。
このような問題は、現在の民法で夫婦別姓が認められていないことが原因で生じています。
夫婦別姓とは、結婚して籍を入れた時、
① 夫と妻が結婚前の名字を公式に使えることと
② 今まで通り、夫婦のどちらかの名字に統一すること
を自由に選択できるという制度です。
では、夫婦が別々の名字を公式に使うことができない現在の民法の規定(民法750条)が、憲法に規定する人権を侵害することになるのでしょうか?
この問題について、最高裁で弁論が開かれる期日が,平成27年(2015年)11月4日に指定されています。
この裁判の進行だと、早ければ年内、遅くても1月中には判決が出るでしょう。
最高裁が、夫婦同姓を強制する民法の規定に対する憲法判断をするのは初めてです。
では、この最高裁判決で、夫婦の同姓を強制する民法の規定が違憲と判断される可能性はあるのでしょうか?
夫婦別姓が認められないと、結婚したら夫か、妻か、いずれかの名字に統一しなければなりません。
それが、特に名字を変えることが多い妻にとって、人格権を害するか?(憲法13条違反)、女性にとって不平等ではないか?(憲法14条1項違反)が問題となっているのです。
ポイントの一つは、そもそも「夫婦別姓を求める権利(婚姻時に自分の名字を選択する権利)」が憲法上の権利かどうかです。
憲法の規定には、そのような権利は明確に規定されてはいません。
もっとも、憲法の解釈上、明確に条文に書かれていない利益でも、私たち国民のほとんどが必須のものだと感じていれば、憲法上の権利として認められます。
例えば、
① 「みだりに私生活を公開されない権利」であるプライバシー権
② 「社会的な評価を低下させられない権利」である名誉権
は、国民のほとんどが、自分の人格につながる重要な利益だと考えているため憲法上の権利として認められています。
条文には規定されていませんが、憲法13条の「幸福追求に対する国民の権利」には、名称を問わず、人格を守るのに必要不可欠な権利が含まれていると解釈されています。
そのため、時代の変化に伴いプライバシー権、名誉権などが、憲法13条に規定する人権として認められてきたんですね(新しい人権)。
では、「法律上の夫婦が別姓を名乗る権利(名字選択権)」というのは、人格を守るために、誰にとっても必要不可欠なのでしょうか?
この権利の法的効果は、相互に相続ができ、別姓のまま戸籍に記載されることで、生まれてから長年利用してきた自分の名字を問題なく使えるという利益です。
この利益が、プライバシー権や名誉権と同じくらい、私たち国民の共通の人格的な利益だとすれば、憲法上の権利と認められるでしょう。
しかし、「夫婦別姓か、統一姓か」については、まだ相当議論があり、私たちそれぞれの価値観や人生観によるところが大きいです。
現在の日本では、
① 夫婦別姓をどうしても必要だと考える人
② 夫婦別姓でも同一姓でもどちらでも構わないと考える人
③ 夫婦は同一の姓にすべきだと考える人
の3種類が、それぞれ均衡しているように思えます。
法律で夫婦別姓という制度を作ることは憲法違反ではありません。
しかし、婚姻時に名字の選択権を認めない現在の民法の規定それ自体を違憲とまで言って良いのかは、憲法の解釈上、別の問題なのです。
今の段階では、夫婦別姓を求めることが、国民一般に自分の人格にとって必要不可欠な権利という共通認識は無いようです。
また、女性の平等権侵害(憲法14条1項違反)かどうかの点についても、民法の規定は、妻の名字での夫婦同姓も認めているのですから、規定それ自体が女性に対して差別的取り扱いをしているのではありません。
法律の規定とは別に、日本の昔からの慣習(それを良いとするか、悪いとするかも個々人で違うでしょう)によって、結果的に女性が不利益を受けることが多いという社会的事実が生じているということです。
そうすると、このような問題は、国民からの選任という基礎の無い裁判所が憲法解釈で決めるべき事項ではなく、むしろ民主主義の下に、国民が選んだ国会議員(国会)が政策的に実現していくべきなのではないでしょうか。
これらを踏まえて、法律的な解釈としては、違憲とまで言うのは難しいと思っています。
最高裁が、どのようは判断をするのでしょうか。
多くの人が、夫婦別姓が良いと考えれば、そのような公約を掲げた政治家が数多く当選するでしょう。
その上で、国民の意見を反映しながら国会で審議して、法律改正を検討していくのが良いのかもしれませんね。
「時事とピック」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。