最近の軽いビジネス本や自己啓発本を読んでいると、「本を読む冊数と所得とが比例する」というようなことが書いてあります。
そのような著者は、たいてい1か月に読む本の冊数とか、本にかける経費の額で、驚くような数字を出してきます。
その後に「全く本を読まない低所得者層」なるものを持ち出して、読者のハードルを下げて一時的にやる気にさせます。
月に1冊でもビジネス本を読めば、所得が上がる(はっきりと、そうは書いていませんが)という錯覚を抱かせる意図があると思われます。
確かに、幅広い分野で読書して、考えの違う人たちと忌憚の無い議論をした上で、自ら深く考えて、それを適切な場面で行動に生かせるのであれば、所得どころか、人生すべてにおいて良い結果が出るでしょう(私にはできませんが・・・)。
しかし、ただ「〇冊の本を読んだ」とか、「本に毎月〇万円つかっている」ということから、何の成功も導けないのではないでしょうか。
私が小学生の時に、次のような経験がありました。
私は、友達と外で草野球、「仮面ライダーゴッコ」、基地づくりとかで遊ぶ時間を除く時間の殆どは、本を読んでいる小学生でした。
つまり、多くの小学校の友達がテレビを見ている時間や勉強をしている時間の殆どを、読書に使っていたんですね。
そのためか、テストの点数も余り良くありませんでした。
国語のテストですら、出題文を夢中になって読んで考えているうちに解答を書くのを忘れたり、×をつけられても「解釈が違うのでは?」と復習もしなかったので良い点などとれるはずもありません。
私が小学校3~4年生の頃だと記憶していますが、読書がもてはやされた年がありました。
つまり「読書を沢山する子供は成績が良い」というわけです。
このインチキ論法は、何も最近始まったものでは無いようです(笑)
テストで良い点をとるためには、国語ですら(日頃の趣味的読書が、多少役立つことがあるとしても)出題者の意図を上手く把握するトレーニングをした方がよっぽど効率が良いに決まってるのに・・・
このブームに学校も乗せられて、学校の図書館の本を誰が一番たくさん読んでいるか発表・表彰するというイベントがありました。
当時の多くの家庭と同様、私の家庭でも1か月に何十冊も本を子供に買ってあげる経済的余裕などなかったので、私の読書の多くは学校の図書館と市立図書館で借りた本、年上の従兄弟が読み終わった本でした。
そして、私の周囲を見ても、休み時間や授業中に夢中になって本を読む子は、見かけなかったことや、図書館へ本を借りに行けばいつもガラガラだったので、「自分もベスト3くらいには入るかも」と勝手に思っていました。
ところが、そのイベントで表彰された子たちは、いずれも成績の良い子たちばかりで、私は名前すら上がりませんでした。
当時は小学生だったので、自分よりも数多く本を読む人が同じ学校の同じ学年にこんなにいたのかと驚いたものです。
また、いずれも成績の良い子たちだったので、「勉強も頑張れて本も楽しめた」のか、「本を楽しむだけで勉強ができた」のかのいずれかだろうと、何となく劣等感も感じました。
ところが、しばらくたってから、嫌な噂を聞きました。
ご想像通り、そのイベントが決まってから、毎日、最高限度までの冊数の本を借りて、次の日には返すということを学校の図書館で繰り返していた生徒が何人もいたというのです。
この噂は、友達の間で流れただけだったので、未だに真相はわかりません。
ただ、この経験が私に影響を及ぼしたと思われるのは、
「読んだ本の数を数えること」
を無意識的に拒否するようになったことです。
本を読んだ冊数や投資金額で比較したり、されたりすることを無意識的に避けているのだと自己分析しています。
これは現在も続いていて、いまだに先月何冊の本を読んだかと聞かれても、言えませんし、また思い返すこともしないというクセがついています。
そのため、最初に書いたビジネス本の著者たちが言っていることには、個人的には「インチキではないか?」と反感を感じます。
読書は楽しいものですし、正解など無いものです。
同じ本を読んでも、それぞれの感想は違いますし、逆に違うからこそ読後感を話し合うことで(決して実用的という意味でなく)自分の世界が広がるのだと思います。
これに対して、ビジネスで成功するには、目的達成に向けて、多大な努力と準備をした上で、更にいくつものトライアンドエラーの連続をくぐり抜けていかなければなりません。
ですから、ビジネスでの成功に必須な要素は、むしろ、適切な分析の上での目的の設定と、その目的達成のための努力を惜しまない根気と、苦難やリスクにひるまない勇気だと思っています。
ただ、そう書いてしまうと、当たり前のことですし、「それができれば苦労なない」と言われて本が売れません。
そこで、ビジネス本の著者は、自分の本を売るために、数字を真理や経験則のように読者に錯覚させていると、私は評価しています。
他にも、似た手法で「〇日間で結果を出す」、「〇日で儲かる」、「〇%の人が知らない」など、数字をタイトルに使っている本も同じ目的のように感じます。
私だけの感覚かもしれませんが、統計など客観的な根拠と証拠なしに「あたかも確実性を示す根拠のように数字をタイトルに入れている本」は基本的にはインチキだと評価して、最近では買わないようにしています。
過去には、私もその類のビジネス本を、それなりの冊数読んだ経験があり、それを思い返して「感銘も受けなかったし、全く役にも立たなかったな」という感想です。
これもあくまで私の考えですが、「読書は人生を豊かにする」けれど、何かの特効薬になるようなものではないし、もし特効薬になるとしたら、それは「読書」ではないと思っています。
どこかでは役に立っているのでしょうが、それが人生のどこで生かされているのか分からないというのが、読書の奥の深さで、私を未だに虜にしている所以なのでしょう。