あしたのジョー

こんにちは、弁護士の谷川です。

 

私が子供の頃はマンガは大人が読むものではなく、子供が遊びに読むものだというのが常識でした。

 

そのため、マンガよりも本」「マンガよりも勉強」の方が大切だと良く言われました。

 

今では、マンガが「日本の文化」として取り上げられるようにはなったので、考え方は変わってきているようには思えます。

 

確かに、マンガは字より絵にスペースを割いているため、自分で想像する余地が少なかったり、読者層が子供から大人まで広く想定しているという面はあります。

 

ただ、その反面で、絵柄から受ける印象がダイレクトだったり、文字が少ないが故のスピード感や気軽さなど、読書とは違う楽しみもあるように思えます。

 

私も、今でもマンガも読書、音楽、サッカー観戦などとともに、大切な趣味として楽しんでいます。

 

このブログを書いている時点で連載中のマンガでは、「リアル」「暗殺教室」「ワンパンマン」「銀の匙」あたりを楽しんで読んでいます。

 

過去に読んだマンガで1冊選べと言われたら「あしたのジョー」でしょうか。

 

絵を「ちばてつや」が描き、「高森朝雄梶原一騎)」がストーリーを書いた作品です。

 

梶原一騎は「巨人の星」「タイガーマスク」などの作品で有名なマンガ作家ですが、とにかく自分の作ったストーリーには誰にも口を出させなかったということです。

 

そのほぼ唯一の例外が、「ちばてつや」だったとのことです。

 

まさに、「あしたのジョー」は、高森朝雄(梶原一騎)とちばてつやとのシナジー効果が爆発しています。

 

余りにも有名なラストシーンは、高森朝雄のストーリーでは、トレーナーの丹下段平が、「お前は試合には負けたが、勝負には勝ったんだ」というセリフをかけて終わるはずだったそうです。

 

しかし、ちばてつやが、以前、同年代の若者が遊び回っている中、ストイックな生活をするジョーに、紀ちゃんという同世代の女の子から

「あまりに悲惨で暗すぎる青春」

と言われて答えた言葉を思い出したそうです。

 

「ほんの瞬間にせよまぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ」

「そして、あとには真っ白な灰だけが残る・・・燃えカスなんかのこりやしない・・・真っ白な灰だけだ」

「そんな充実感は拳闘(ボクシング)をやる前にはなかったよ」

 

そこで、多くのマンガファンが知っている世界チャンピオンと戦って燃え上がり「白い灰」になるというラストシーンが生まれたということです。

 

特に、ボクシングマンガが好きという訳ではなかったのですが、とにかく奥が深い作品で、さまざまな観点から人間の生きざまを考えさせられるので、何度も読み返しました。

 

今でも、私の部屋に大切に置いてあります。

 

ストーリーで有名な所は、主人公のジョーと力石徹の少年院時代からのライバル関係、ジョーが力石との最後の対戦で負けながらもその実力を素直に認める場面、そして、その直後に息を引き取る力石のシーンでしょう。

 

マンガの連載中に、力石が死亡した後には、本物の葬儀が力石のために行われ、多くのファンが全国から集まったくらいの衝撃でした。

 

実は、この力石の死は、ボクシングの体重制度に大きく関わっています。

 

ボクシングでは、体重ごとに階級を決めて、同じ階級同士の選手でしか戦えないんですね。

 

そこで、本来はウェルター級の体格だった力石が、ジョーと戦うために3階級も下のバンタム級まで無理な減量をしたことが、ジョーとの試合直後の死亡につながったというストーリーです。

 

これも詳しい方は知っているかもしれませんが、ストーリー全体の真ん中のあたりで最大のライバルが死んでしまうという手法は実は狙ったものではなかったとのことです。

 

ストーリーと絵を各人が別々に作るというスタイルで、高森朝雄がストーリーを作ると、ちばてつやがそれを、セリフまで修正しつつ書いていました。

 

高森朝雄は力石とジョーを永遠のライバルにするつもりで、同じバンタム級で戦わせる予定で書いていたそうです。

 

ところが、ちばてつやは、少年院での力石徹に迫力のある雰囲気を出すために、ジョーよりも身長も体格も一回り大きく描いてしまいました。

 

途中でプロボクシングの世界に2人が入る所で気が付いたようですが後の祭り。

 

ジョーがバンタム級なら、力石をウェルター級にしなければ、ボクシングに詳しいファンが承知しません

 

そこで、力石の無理な減量→試合直後の死亡という衝撃的なストーリーが生まれたそうです。

 

まさに、高森朝雄だけで書いていたら力石の死ラストシーンの燃え尽きるジョー無く、ちばてつやという天才絵描きとのコンビで初めてできたストーリーだったいうわけです。

 

リアルタイムで読んでいた多くのファンは最大のライバルである力石が死亡した時点で、これで「あしたのジョー」というマンガは終ったと思ったでしょう。

 

ところが、そこからが、第二章の始まりでした。

 

ジョーは力石を死なせたショックで思い切り顔を打てないボクサー(いわゆる「イップス」のようなもの)になって、華々しいリングに立てなくなります。

 

そこで、全国各地を回りながら、お祭りの余興のような喧嘩みたいなボクシングに落ちぶれていきます。

 

そこで登場するのが白木葉子です。

 

実は、明日のジョーはラブストーリーとしても一級品なのです。

 

白木葉子は、白木財閥のお嬢様で、初めの頃に少年院に慰問に訪れた際にジョーと会います。

 

ジョーは一目みて「気に入らない」と拒絶感をあらわにします。

 

丹下段平という片目のゴツいトレーナーに拝み倒されて、白井葉子は慰問の劇の役をやらせて少年院に入れるように取り計らいます。

 

ところが、その劇で丹下段平をムチで本気で叩く役にさせて、本物感を出そうとする姿を見て、親切なふりをして人を利用する人間と決めつけます。

 

「俺やここにいる哀れな連中のためじゃなく、自分のためにこんな慈善事業をやる必要があるんじゃないのかね。え?自分のためによ」

 

と一喝するジョーに対して、理解できない物を見るように絶句する葉子のワンシーンは考えさせられます。

 

葉子の美しさに見とれる他の少年院の入所者と違って、ジョーは、お金と時間が有り余っている中で慈善事業を行っている姿に、本当は「自分はこんなに素晴らしい人なのよ」とアピールしているような「うさん臭さ」を感じたのでしょう。

 

本来、ジョーは子供や女性にはとても優しくて、子供をいじめる人を許しませんし、女性の荷物は持ってあげたりしています。

 

しかし、唯一の例外がこの白木葉子なんですね。

 

ストーリーの最初から、どなりつけたり、物を投げたり、当たり散らしています。

 

これが「恋愛感情」ということにジョー自身が気が付くのが、ラストシーンの「白い灰になった」と言われる名場面の寸前、グラブをリングサイドの葉子に渡す時だったと私は解釈しています。

 

葉子は、初めは自分が力石を好きなんだと勘違いしていましたが、ジョーよりも少し早く、自分の恋愛感情に気付きます。

 

そして、その愛情表現の仕方が、すさまじいです。

 

力石の死によってボロボロになってさまよっているジョーに対し、

「今、この場ではっきり自覚しなさい」

「力石くんのためにも、自分はリング上で死ぬべき人間なのだと!」

と詰め寄ります

 

そして、イップスでプロボクシングが出来ずに、地方でドサ回りをしているジョーに対して、ショック療法を試みます。

 

白木葉子は、自分でボクシングジムを経営しはじめ、海外で相手を壊してしまうので対戦相手がいないといわれているカーロス・リベラという選手を日本に呼んで興行権を独占します。

 

ドサ回りでたまたま雨で興業がなかった夜に、ジョーはTVで、カーロスが日本での対戦相手が居なくならないようにわざと弱いフリをしている試合を見ます。

 

カーロスが持っている「世界6位」というタイトルを餌に、トレーナーが日本の選手たちを相手にビジネスをリング上でしているというわけです(ボクシングでは、例えば世界6位に勝つと、そっくりその地位を手に入れられるという仕組みになっています)。

 

ジョーは、カーロスのこの演技に誰も気づかないのにイライラして、居てもたってもいられなくなります。

 

そういうジョーの性格を知り抜いていて、白木葉子はジョーがカーロスと戦わざるを得ない状況にジワジワと追い込んでいきます。

 

最終的にはリングの上で戦わざるを得なくして、ジョーの野生の本能を呼び起こさせ、顔を思い切り打てないというイップスを克服させます。

 

これをジョーは

「運命の曲がり角に待ち伏せし、ふいに俺をひきずりこむ・・・」

「まるで悪魔みたいな女だぜ」

「その悪魔が俺の目にヒョイと、女神に見えたりするからやっかいなのさ」

と表現しています。

 

これが、葉子の愛情表現で、自分も葉子を愛し始めていることにジョー自身が気付いていないんですね。

 

もともと、と言われて連想するイメージが「無責任」というジョーは、人の愛を知らずに育ってきたために、葉子の気持ちはもちろん、自分の気持ちにも最後になるまで気付かなかったということです。

 

そして、そのジョーの復活が、また、「パンチドランカー」(ボクシングのパンチを顔に受けすぎて、脳の機能に障害を起こし、最悪死亡することもあるという症状)という悲劇に引きずり込みます。

 

葉子自身も、世界的権威のドクターを連れてきてこっそり診察させたりして、自分がジョーを助けたのか、結局は「悪魔」だったのか悩みます。

 

しかし、結局は「自分がこの試合の首謀者」と自覚して、世界チャンピオンとの試合の終りの方のラウンドにはリングサイドまで行って、ジョーからグラブを受け取るという筋書きです。

 

灰になったジョーは、判定負けのジャッジを聞く前に、気を失うか死亡しているため、本人はジャッジは聞かずにストーリーは終わります。

 

この丹下段丙セコンドの「ジョー・・・」という呼びかけに答えないまま終わるという、意味深なラストシーンも物議を醸しだしました。

 

果たしてジョーは「気を失っただけなのか、死亡したのか」、「気を失った場合、パンチドランカーとして廃人になっているのか」がファンの間でマンガ完結後も議論されました。

 

その他にも、細かい魅力的な描写が数えきれないくらいあります。

 

少年院で、体の弱い青山という少年が、丹下段平からボクシングのフットワークを教わることで、ジョーを苦しませるシーン。

 

これは、丹下段平がジョーに、フットワークやディフェンスの大切さを体で教えるための戦略だったのですが、ジョーは段平に裏切られたと苦しみます。

 

それでも、体が小さくて、力が弱い青山でもフットワークを覚えることで、これだけ強くなってジョーが苦しむことで、ボクシングの奥の深さに気付かされるわけです。

 

また、ジョーが、「女性軽視」といわれてもしょうがない「女が立ち入れる世界じゃない」などの発言を繰り返しているのは、時代のせいでしょう。

 

もっとも、結局ジョーは、ビジネス力でも、人間としての器でも、男性よりも上に描かれている白木葉子に恋愛感情を持つのですから、しっかりとストーリーを読めば、決して全体としては女性軽視の物語ではないことが分かってもらえると思います。

 

何度も読めるというのも、物語の深さが理由なのでしょう。

 

熱く語ってしまいましたが……とにかく、マンガは楽しいということで。

 

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