手紙 ~ 東野圭吾

こんにちは。弁護士の谷川です。

 

先日、東野圭吾の「手紙」を読みました。

 

朝6時に目が覚めてしまったので、午前8時には読み終わってしまいました。

 

今回は、雑感として、その本の感想などを。

 

ネタバレもあるので、これから「手紙」を読みたい方はここで見るのをストップしてください。

 


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一言で言うと、「強盗殺人で受刑中の兄を持つ弟が、様々な差別で挫折に直面し、金銭・社会的地位欲しさに揺れたりしながら、人の心の暖かさや深い洞察力を育てていく」というストーリーです。

 

感想としては、まず、時代考証が曖昧な点が気になりました。

 

① 音楽をやっている若者がカセットテープを使っていること

 

② 主人公の歌声の才能がバンドをやる友達とカラオケボックスで歌った時に発見されること

 

③ 主人公の兄が強盗殺人で刑務所に入っていることで、主人公がミュージシャンとしてメジャーデビューできないとプロデューサーから言われるという少し古い価値観

 

④ PCではなく、「ワープロ」で文章を作成している場面があること

 

⑤ 主人公がスクラップ処理業者の中で、銅線を取り外す作業を手作業でやっていること

 

などを見ていると、昭和の60年前後を想定しているように見えます。

 

出版時の年代の話ではないのに、一度も、昭和○○年とか年の話が出ないまま書いてしまうことは、私としては「どうかな?」という印象です。

 

これを好意的に見れば

 

「感動とは関係の薄い情報を削って、より多くの人に読みやすい本にするため」

 

意地悪くみれば

 

「部分ごとの時代考証のズレを指摘されないため」

 

と言えるかもしれません。

 

例えば、現代では、自分の不幸な実体験自体が売り物になる時代ですから、本人が犯してもいない犯罪で苦しんでいるとしたら、逆に「同情票」が集まるのではないでしょうか。

 

今なら、売る側も、むしろ「良いセールスポイント」ととらえるかもしれません。

 

また、本当に素晴らしい音楽だったら、「You Tube」にアップするだけで、世の中の音楽好きから声を上げてもらうこともできます。

 

そして、そのファンたちは

 

「そんなの、彼・彼女(ミュージシャン)には関係ないことじゃない。批判する人たちが間違っている!彼(彼女)が可愛そう・・・」

 

「少なくとも、自分が同じ立場だったら苦しいだろうということは容易に理解できる。」

 

と考えるのではないでしょうか。

 

私も「音楽を聴いているのだから、音楽に関係ない情報は(良い情報でも悪い情報でも)入れたくない」というスタンスです。

 

そうじゃなければ、麻薬や覚醒剤に苦しみながらジャズをやっていたミュージシャン(例えばビリーホリデイ)や、J-POPでは、尾崎豊とかCHAGE&ASKAを今更聞けないことになってしまいます。

 

皆さんは、大好きなミュージシャンのお兄さんが強盗殺人罪で刑務所に入っていて、そのミュージシャンが兄を更正させようと一生懸命手紙を書いていると聞いたらどうでしょうか?

 

むしろ、より音楽内容に興味を持ったり、彼(彼女)に寄り添って、音楽を聴いてあげたいと思うのではないでしょうか?

 

しかし、逆に、主人公がある裕福な家庭の女性と結婚をしたいと思った時に、父親が土下座して「別れて欲しい」と来るシーンではどう感じますか?

 

「あたしは貧乏なんて、貴方がいれば気にしない。家を出る。」

 

と言う彼女に

 

「裕福な家を出たキミには興味が無い」ということをわざと言って、自分と同じ道を歩ませないように別れる主人公。

 

確かに、大好きなミュージシャンという遠い世界の人のお兄さんが、どんな人でも自分に直接の関係が無いから、正しいことを堂々と言えます。

 

でも、自分の子を結婚させて、その受刑者とも親族となる」となると、距離感が違ってくるでしょう。

 

出所してくれば、出所祝いをしてあげたり、経済的援助をしてあげなければならないこともあると思います。

 

そして、その人がどんな人か分からないまま、強盗殺人の前科がある人を、義理の息子の兄に迎えることを覚悟できるでしょうか。

 

「娘が好きな人と結婚するのを妨げてはいけない」

 

という偏見のない正しい判断ができる人が、いったい何人いるでしょうか。

 

その受刑者が「本当は良い人」かどうかなんて分かりませんから、お金をせびりにきたりすることも覚悟しなければならないでしょう(それに応ずるかどうかは別として)。

 

人によっては、「再犯の被害者になる」という最悪のシナリオを予想してしまうかもしれません。

 

更には、その後の世間の評判、噂話、今ではネットでの流布などを常に気にしていかなければなりません。

 

ここで、「この小説の父親と同じ事は、絶対にしない!」と言い切れるお父さんは、社会にどれくらいいるのでしょうか?

 

それを考えてみると、「刑務所に入ることで受刑者を更正させてから、社会に戻す」という理念を一番妨害しているのは、社会(私たち)そのものかもしれません。

 

そして、主人公は、自分の子供が犯罪の被害者になることで、初めて兄が殺した遺族の気持ちに思い至ります。

 

そうです。

 

遺族も「被害者の親族」という苦しい立場から抜け出ることが出来ないで、苦しみ続けているのです。

 

たとえ、犯罪を犯した受刑者が、十数年にわたって、毎月、遺族に謝罪の手紙を送り続けても。

 

「重大な犯罪が起きると、受刑者にとっては死刑でない限り、更正重視で前向きの人生となる」

 

「しかし、遺族や受刑者の親族にとっては、いつまでたっても事件が終わらない苦しい人生となる」

 

というテーマ自体は、仕事で嫌というほど学んでいたつもりでした。

 

ただ、さすがに東野圭吾

 

人間の心理を深く洞察する力は相変わらずで、この本を読むことで、更に実感として腑に落ちた部分はありました。

 

レトリックの殆ど無いぶっきらぼうな文章に、「謎」や「人間の心理」、「人間を見る暖かな目」を潜ませるという東野圭吾の素晴らしさ自体は、十分に堪能できる作品でした。 

 

これからは、弁護人として被疑者・被告人の親族に電話をかけた時に

 

「縁を切った人間だ。二度とかけてくるな!」

 

と怒鳴られても

 

「家族が更正の手伝いをしないで、誰が再犯を止められるんだ」

 

と単純に反感を覚えることは無くなりそうです。

 

ただ、大きな問題が・・・

 

朝早く読了したことで、調子に乗って、もう一つ、本屋で長編を買ってしまったことです。

 

しかも、スティーヴン・キングの「11/22/63」の上下巻という2分冊の分厚い本です。 

 

この本を、どの日曜日に読むのか、また悩まなければいけません・・・

 

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