最近、「ビジネスメールのルールが身につく本」というタイトルの本を読みました。
私のサラリーマン時代には、メールという連絡手段がなかったので、マナーなどの研修や注意を受けた経験がありませんでした。
そこで、「ひょっとしたら、ビジネスで私が知らない社会人のメールのマナーがあるのではないか?」と思いました。
依頼者の方とメールでご連絡をとることも多く、失礼があってはいけないと思い、参考になりそうな本を読んでみました。
やはり、自分では気づかない細かい作法やちょっとした気遣いなど、多々勉強になることがありました。
「個人でやっている弁護士の場合、自主的に時代についていけるように努力しなければいけないな~」と改めて思わされました。
さて、最近出た最高裁の判決で、「子供が蹴ったサッカーボールが原因で人が死亡した事件で、親の責任を否定したもの」がありました。
事件は、とある小学校で起きました。
その小学校は、放課後、生徒たちが遊ぶために校庭を開放していました。そこで、A君は、サッカーのフリーキックの練習をしていました。
フリーキックのように、「ボールを置いて蹴る」という技術は、バスケットで言うとスリーポイントと似ていて、練習量が上達に結びつきます。
A君も上手くなりたかったのでしょう。
ゴールの設置場所の後方10mの場所に、高さ約1.3mの門が閉まっていましたた(門にぶつかってボールが止まれば良かったのですが・・・)。
A君が蹴ったボールは、ゴールと門の扉の上を越えて、門の前にかかっていた橋の上を転がり道路に出てしまいました。
そこにオートバイに乗って走ってきたのが、当時85才だったBさんです。
Bさんは、そのサッカーボールをよけようとして転倒してしまいました。
主なけがは、左脛骨(けいこつ)、左腓骨(ひこつ)(両方とも左足のスネのあたりの骨)の骨折です。
ただ、Bさんがお年だったこともあり、事故から1年5ヶ月弱後、入院中に肺炎で死亡しました。
高齢者の場合、一度寝たきりになると、一気に体調を崩して、特に肺炎などで死亡することが非常に多いです。
ですから、「転倒事故によるBさんのケガ」と「Bさんの肺炎での死亡」との間の因果関係を認めることについては、裁判所の判断は一致していたようです。
最も争われたのが、A君の両親の監督責任です。
民法では、幼い子供などのやったことに対する親の責任について定めた規定があります。
より正確には「責任無能力者(幼児など)」を監督する義務のある人(親など)の責任について定めたものです。
この「責任無能力者」には、幼児・児童だけでなく、認知症の高齢者も含みます。
まとめると「自分が悪いことをしたら損害賠償責任を負うかもしれない」ということまで判断ができない人を言います。
子供の年齢でいうと、小学生(12才)くらいまでを「責任無能力者」とすることが多いです。
そして、責任無能力者(小学生)が他人に損害を加えた場合には、本人に責任を負わせることはできません。
そこで、その代わりにその監督者(両親)が損害賠償責任を負うのというのが民法の規定なんですね。
もっとも、その監督者(両親)が、しっかりと監督をしていたことを証明すれば責任を免れることはできます。
ただ、多くの過去の裁判では、監督者(両親)が子供の監督責任を果たしていたという判断をすることが少なかったため、この判決が話題になったんですね。
この判決では、
① A君の行っていたフリーキックの練習は、通常は人に危険が及ぶ行為ではないこと(そのため、それ自体を監督者が禁止することは期待できない)
② 親権者の直接的な監視下に無い子の行動についてまで、全て予測して監督するのは難しいこと
などを理由に、親の監督責任を否定しました
ある記事には「監督義務を軽くする判決で、認知症の高齢者の監督者の責任も軽減される可能性がある」というようなことが書かれていました。
つまり、例えば「認知症で徘徊する人が道路に出て、オートバイを転倒させたりする場合の介護者の責任が軽くなるのでは無いか」という意味でしょう。
ただ、今回の最高裁の判決はそこまでは言っていません。
「原則として自由に行動する子供の監督」と「もともと徘徊に注意しなければならない認知症の高齢者の監督」とは、監督義務の内容が異なるので、同一に判断するのは難しいでしょう。
また、この判決と同じく、親が子供を監督する場面だったとしても、注意しなければなりません。
例えば、親が子供と一緒に公園でサッカーをやっていて、ボールが道路に飛び出して、
オートバイを転倒させたとしましょう。このて事故では、親がすぐ側にいて子供の行動を直接監督できる状況にあります。
今回の判決の事例のように、子供だけが放課後の校庭で遊んでいる場合とは事情が違います。
そのため、上に書いた判決の②の「直接的な監視下に無い」ということが当てはまらないんですね。
ですから、その場合の親の責任までを免除する判決ではないということになります。
このように、個別の事例に対する判決が、どこまで他の事案にも適用できるのかは非常に細かい分析と判断が必要です。
これを、学者や実務家は「判例の射程」と呼んだりします。
なお、この判決は最新の最高裁の判決ではありますが、事件が起きてから11年以上も後に出されたものになります。
その間、それぞれ対立するとはいえ、ご遺族も、A君のご両親も、非常に重い精神的負担を抱えてきたでしょう。
改めて、「最高裁まで争う」ということの重さを感じますね。
「時事の感想」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。