「趣味を仕事にしてはいけない」
こんな、「ことわざ」を聞いたことがあります。
でも、サッカー選手や野球選手は、もともとそのスポーツが好きで、趣味から始まったものが、仕事につながっているんですよね。
とすると、この「ことわざ」は誤りなんでしょうか?
私は、小さい頃「小説家になりたい」という夢を持っていました。
幼稚園の頃から読書が大好きだった私には、「本を読み始めると止まらない」という悪癖がありました。
ジャンルを問わず、本を読んでいると、その世界に入ってしまい、誰が話しかけても全く聞こえない状態になってしまいます。
そのため、友達からは「本バカ男」などというありがたくないあだ名をつけられたりしました。
学校の授業や勉強に大きな意味を感じていなかった私は(先生すみません・・・)、授業中も、ほとんどの時間、朝から放課後になるまで、本を机の中に隠しながら読んでいました。
さすがに放課後は、友達と遊んだり、ギターを練習したりする時間が欲しかったので、本を読める時間は夜か授業中だけだったんですね。
ある時、数学の授業中、先生(たまたま私のクラス担任だった先生)が私が本を読んでいるのを見つけました。
大きな声で
「谷川!今、机の中で握っているものを出しなさい!」
と言われました。
周囲の友人たちの視線が痛かったのを覚えています。
そろそろと出した本のタイトルは
「日本落語全集」
と大きく書かれています。
その頃は、落語の本にはまって、市立図書館などで借りていたんですね。
するとその先生は、突然、周囲の生徒たちの方を向いて
「読書は人生にとって大切なことだ。好きなことは、何があってもやろうとする、この姿勢を見習え。」
と言って、そのまま授業を続けました。
もちろん、一番驚いたのは私です。
今まで、授業中に本を読んでいて、ひっぱたかれたり、教室の一番後ろに正座させられたことは何度もあっても、褒められたことは一度もなかったからです。
「褒められてしまうと、かえってやりにくくなってしまった」と思いつつ、私はやはり本を読むことを止められず、授業中に完読してしまいました(笑)
ただ、今から思うと、その先生は、教師という仕事において、「人をどのように成長させるか」ということについて、大きな信念を持っていたのではないかと思います。
決して、私がたまたま褒められたから言うわけではありません・・・
これだけ好きな読書ですが、私が夢をかなえて小説家になってしまうと、小説の生みの苦しみに耐えかねて、大好きな趣味の一つを失ってしまうのかもしれません。
今、弁護士になって思うのは、大好きな読書のミステリというジャンルのうち、「法廷もの」を読む気力が落ちてしまったことです。
警察ものくらいまではギリギリ楽しめるのですが、いざそこに法曹(裁判官・検察官・弁護士)の誰かが出てくると、頭が娯楽モードから仕事モードに変わってしまうんですね。
いちいち、「手段として適切で実現可能か?もしそうなら仕事の参考にならないか」「これは実務上ありえない」など考えてしまい、リラックスモードが消えてしまいます。
そういう意味では、やはり趣味を仕事にしてしまうと、「リラックスして楽しむ」という人生の大切な時間を失うことになってしまうような気がします。
例えば、「サッカーおたく」として名高い中村俊輔選手(「察知力」という本は、とても面白かったです)も、サッカーは大好きなのでしょうが、おそらく「趣味として、ただただ楽しむサッカー」は失っているのではないでしょうか。
大好きなことに変わりはないのでしょうが、その「好き」という中身が、娯楽と仕事では全く性質が違うように思えます。
やはり、「好きなこと=趣味」を仕事にすると、人生の一部を失うことになるので「趣味を仕事にするな」ということわざが出てくるんでしょう。
私は、幸い文才が無かったため小説家にはなることができず、「読書」という大好きな趣味の一部しか失わないですみました。
その意味では、仕事を選ぶ時って、慎重になる必要があるのかもしれませんね。