動物好きに悪い人はいない?

今回は、どうでも良い私の想いで話を少し。

 

良く

「犬好きに悪い人はいない」

とか

「猫好きに悪い人はいない」

とか、本やブログで書いてあるのを見かけます。

 

でも、刑事事件を扱っていると、警察の留置所に入っている被疑者に、飼っている犬や猫の世話の手配を頼まれることも弁護士なら良く経験することです。

 

室内で大型犬に寄り添いながら、注射器で覚醒剤を打っている人なんか、私たちの業界(法曹界)では別に珍しくもないんですね。

 

一応、それらの被疑者は有罪の確定判決を受けているので、世間一般で言う「良い人」の中には入らないでしょう(そのような分類自体、私はしていませんが・・・)。

 

ということは、「動物好きに悪い人はいない」という言葉には、余り意味が無いように思えます。

 

それを前提に言いますが、私は動物が大好きです・・・

 

あのフカフカした鳥の柔らかい羽や犬や猫の毛を見ると「お前(可愛すぎて)反則だろう~」といいながら、つい、なでたり、頬ずりしてしまったりします。

 

今は、犬も猫も一緒に暮らしていますが、そこに至るまでは苦難の道でした。

 

子供の頃から、動物が大好きだったので、親に犬を飼いたい、猫を飼いたいなどとうるさく言っていました。

 

しかし、子育てをしながら共働きで住宅ローンの返済に追われていた親は、動物を飼う余裕など無いと考えているようでした。

 

小学生の私が言う「絶対に自分で世話をするから」という言葉(世の中で最も信用できない言葉の一つ)を、両親とも当然ながら、まるっきり信じてくれませんでした。

 

それでも、小学生ながらお年玉などお小遣いをためて、小鳥と鳥かごを買える程度のお金を貯めた私は、勝手に小鳥2羽を買ってくるという暴挙にでました。

 

「鳴き声でばれたらヤバい」と思った私は、当時売れ筋だったセキセイインコ(キレイな良く通る声で鳴きます)ではなく、すこし地味目の文鳥(ぶんちょう)を選びました。

 

しばらくは、自分の部屋の押し入れに隠して飼っていましたが、そこは小学生の浅知恵、母親が部屋の掃除を勝手にするのを予測できず、結局1週間くらいでバレてしまいました。

 

相当怒られた上、「鳥かごごと川に流す」(笑)と脅迫までされました。

 

そこで、文鳥を買う前に学校や市の図書館で本を借りまくって、「文鳥博士」となっていた私は、両親に対して、

 

「鳥なら、トイレのしつけも、散歩もいらなくて、水と餌を、朝晩にあげるだけで良い。それなら自分の生活で十分できる。」

 

「エサ代も粟(あわ)を大きな袋で買ってくれば、自分の小遣いで育てられる。」

 

「子供部屋にずっとおいておけば、匂いや汚れも他の部屋に行くことはないし、そもそも、文鳥は、ほとんど匂わない」

 

と、図書館から借りてきた「文鳥の飼い方」という本を見せながら親に説明しました。

 

既に買ってきてしまった生き物を店に返すわけにもいかず、かといって捨ててしまったのでは寝ざめが悪いですよね。

 

両親とも最後はあきらめて

 

「本当に世話をしなかったら、公園に置いてくるからね。」

 

と念を押されて、文鳥を何とか飼うことになりました。

 

朝と夕に、水とエサを、しっかりとやるという約束は守りましたが、鳥を鳥かごから出さないという暗黙の了解はすぐに破りました。

 

小鳥もまだ飛べない頃から、口に小さなスプーンでエサを入れてあげて育てると、育ての親を慕って、犬のようになつきます。

 

この時に飼った文鳥もとても、とても良くなついてくれて、鳥かごから出すと、私の肩にとまって、ほっぺたを軽くつついてじゃれたり、膝や肩の上で寝たりしていました。

 

トイレに行きたくなると、しっかりと鳥籠に戻って用を足してから、また戻ってくるという賢さでした。

 

1度、開けていた窓から飛んで出て行ってしまったこともあったのですが、数時間後には何食わぬ顔で戻ってきて餌を食べていたのを今でも覚えています。

 

確か、7~8年間だったと思いますが、とても楽しい時間を文鳥と過ごさせてもらいました。

 

その経験に味を占めて、文鳥がこの世を去った後、今度は、捨てられた子猫をこっそり拾ってくるという暴挙に出るのでした・・・

 

私は、比較的おとなしい子供だったのですが、自分がこうだと決めると、誰の言うことも聞かず、自分で決めて行動するという性格で、それは今でも変わっていないように思えます。

 

「三つ子の魂100までも」とは良く言ったものです。

 

そんな私につきあわされた両親は大変に「お気の毒」だったと今になって思います。

 

もっとも、昭和のその時代は、今よりも学歴信仰が強く、親は子供に「勉強しろ」と強く言うわりには、今の親ように子供の性格で悩むというような雰囲気は余りありませんでした。

 

その時代では、どこの家庭でもあることで、実は、両親とも悩んではいなかったのだと勝手に解釈しています。

 

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