大学設置について、3校の不認可について、田中大臣の不認可の答弁がとりあげられていますね。
マスコミでは「裁判をしたら国側が負ける」という説明もあるようですが、どうなんでしょうか。
大学側としては、文科省の指導の下約3年かけて色々な、設備投資や教授の選任などをしてきています。
当然、文科省からの設置に前向きな話を前提にしているでしょう。
大学側が、これまでの文科省の行政指導等に従ってきて、認可を信頼していたことは、保護されるのでしょうか。
その一つの論点として、民法に定める信義則が行政と国民との間にも適用されるかが問題となります。
昔は行政と国民とは上下の関係にあって、私人同士のような対等な関係にはないから、民法は行政の行為には適用されないとする説もありました。
でも、今では、そのような説は無く、個別に民法の適用があるかどうか検討する考えが通説のようです。
民法の分野では、「信義誠実の原則」という規定が定められています。
では、この信義誠実の原則は行政上の法律関係にも適用されるのでしょうか。
適用されるとするのが最高裁の判例です。
その事案としては、次のようなものがあります。
X会社は、沖縄県のY村に工場建設を計画してました。
当時の村長Aは、この工事誘致に全面的に協力す意思を表明しており、実際に様々な便宜を図ってあげました。
これを受けて、X会社は、工場予定地の耕作者への補償料の支払いや、機械の発注、工場敷地の整地工事まで行いました。
ところが、Y村内では工場誘致の賛成派と反対派が対立していて、次の選挙で工場誘致の反対派のBさんが村長になってしまったんですね。
B村長は、工場建設について、X会社の建築確認申請に不同意である旨通知するなど、工場建設に反対する立場を明らかにしました。
そこで、X会社は工場建設を断念し、Y村を相手に、会社が被った損害の賠償を請求しました。
ここでは、「X会社がY村の工場誘致の行動を信頼したこと」を、保護するべきか否かが争点の一つとなりました。
民主主義から考えると、反対派が多数を占めて、B村長が選出された訳ですから、政策変更は民主主義に基づくものであり、違法とは言えません。
でも、X会社がY村の行動を信頼して、様々な投資を行ったことは、保護する必要があります。
そこで、Y村の政策変更自体は適法でも、信頼関係を破壊したY村の行動の点には違法性が認められるとして、Y村に損害賠償の責任を認めました。
相対的な違法性を認めたものだと説明する学説もあるようです。
これも、民法の信義則から導かれる、信頼保護の原則を、行政の行動についても適用したものと言うことができるんですね。
とすると、今回の大学設置の不認可についても、大学側の信頼保護を裏切るものだとして、違法性が認められる可能性もあるんでしょうね。