今回は、刑事事件で、放火について考えてみましょう。
これは、本当にあった事件のお話です(横浜地裁昭和58年7月20日判決)。
ある男がいました。
その男は、妻に家出されて人生に絶望していました。
「もう焼身自殺するしかない」
そう思った男は、自宅の床の大部分にガソリンを約6.4リットルまき散らしました。
作業を終わった男はふと思いました。
「妻が帰宅を知らせる電話をかけてくるかもしれない・・・」
少しの間待ちました。
でも、電話はかかってきません。
男は思いました。
「焼身自殺する前に、タバコを一服しよう」
男は、ガソリンが蒸発しまくっている家の中で、ライターを点けました。
どうなったかはお分かりですよね。
そうです。
ラ イターの火は気化したガソリンに引火して、家を全焼させたのです。
え?
男はどうなったかって?
命からがら家から逃げ出したんですね・・・
「本当に自殺する気があったのか?!」
と突っ込みを入れたくなりますが、それは置いて、男に放火罪は成立するのでしょうか。
検察官はもちろん放火罪で起訴しました。
これに対して弁護人は、次のように反論しました。
① ガソリンをまいた行為自体は放火を開始する行為(放火罪の実行の着手)とまでは言えないし
② 男がライターに火を点けたのは、タバコを吸うためで、家に放火するためではない
として、そもそも「故意に放火をしようとして火をつける行為」(放火罪の実行の着手)が無いとして、放火予備罪にとどまると主張しました。
皆さんが裁判員だったら、どう判断しますか?
結論から言うと、この判決では放火罪を認めました。
正確に言うと、現住建造物放火罪(げんじゅうけんぞうぶつほうかざい)という犯罪を犯したことを認めたということです。
放火罪の実行の着手(放火行為の最初の時点)を厳しく見ると、弁護人が主張したように、ガソリンをまいただけなので、放火行為自体はまだ始まっていないことになりそうです。
しかし、判決では、「実行の着手」をもう少しゆるく考えました。
放火罪の実行の着手には、火災が起きる現実的な危険のある行為を、故意に開始しなければなりません。
そして、この事例では、家に火をつけようとしてガソリンを約6.4リットルも床の大部分にまき散らした時点で、火災がおこる現実的な危険があると考えたのです。
その理由として
① まかれたガソリンの量が6.4リットルと多量であること
② ガソリンが床の大部分にまかれていたこと
③ ガソリンをまいた結果、ガソリンの臭気が室内に充満し、男はまばたきをしなければ目もあけられない状態だったこと
をあげています。
「放火」という言葉の自然な意味からは、何らかの方法で火をつけなければ、放火行為は始まらないようにも思えます。
でも、この判決では、「ガソリンを多量に室内にまいたこと」で放火行為は始まったとしたのです。
刑法は、人を罰するという強い効果を持つので、より厳格に解釈しなければならないという原則があります。
そこから見ると「放火」の始まりを、ガソリンをまいた時とするのは早すぎるという批判もありそうです。
でも、判決では、実質的に火災が起きる危険性を考えた結果、このような結論になったということでしょう。
皆さんは、どちらが正しいと思いますか?
裁判員になられたら、悩むところだと思います。
刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。
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