弁護士なのにどうして講師なんてしているの?№2~サラリーマンから弁護士・講師への道

県庁で最初に入った部署が、本庁の福祉を取りまとめる課(主管課と呼んでいました。)でした。

 

そこでの仕事は、とても厳しい面もありましたが、やりがいもありました。

 

もちろん、宮仕えのサラリーマンですから、多くのサラリーマンと同様に、仕事のやりがいと同じかそれ以上に、不本意だったり、つらかったりすることが多くあったのも確かです(でも、「仕事」ってそういうものですよね?)。

 

4月1日に初出勤すると、約半日で「引き継ぎ」なるものが終わり、前任者は熱海へと旅立っていきました。

 

そのころは、一つの係に電話は一つしかありませんでしたから、電話をとるのは新人の仕事です。

 

静岡県内の全市町村や厚生省(当時)からバンバン問い合わせの電話がかかってきます。

 

そして、本庁では自分の担当していている事業については、自分が静岡県で一番詳しいのが当たり前なのです。

 

昨日まで大学を卒業したばかりだった私に、厚生省の担当者は「静岡県の事情はどうなんですか?」と確認を求めてきます。

 

市町村からは、困った案件について「県はどう考えるのか。ご指導いただきたい。」と求められます。

 

「静岡県」というレッテルが突然、私に貼られてしまった訳です。

 

 

こんな時に、もし「仕事」から逃げてしまうと、どこまでも「仕事」が追いかけてきて自分を苦しめる敵になることは直感的に感じていました。

 

そこで、やむを得ず、「仕事に必要な努力は何か?」を分析して、その努力で局面を打開するしかありませんでした。

 

とはいえ、本庁では、4月のはじめのころは、失敗ばかりして仕事のできる上司たち(本庁の主管課にはそういう人たちが集まっています。)に厳しく叱られました。

 

「この失敗は大問題だ。どうするんだ!」と厳しく叱られることも日常的にありました。

 

私が起案する書面は、原型をとどめないほど真っ赤にペンで手直しされて突き返されました。

 

しかし、「逃げることだけはしない」と誓った私は、「絶対に仕事で認めさせてやる!」と心に秘めて、土日返上で(自宅で)自分の担当事業を勉強し続けました。

 

すると、3カ月たったころには、係長から「谷川さんは、新人類じゃなくて、俺と同じ旧人類だな。」とありがたいのかわからない言葉をもらいました。

 

いつの時代も、新人が入ってくると「今どきの若者は理解できない」といろいろなネーミングがされますよね。

 

私の時代は、それが「新人類」という言葉だった訳です。

 

逆に、上司の中には、私がいつも感情を表に出さず、他人に頼らず、自分で分析して仕事をする姿を見て、「若者らしくない!」=「可愛げがない」と悪評価をする人もいました。

 

私自身も、自分の仕事を遂行する能力には自信を持っていましたが、「将来、管理職となって部下をまとめていくという仕事には向いていないのではないか」と自己分析していました。

 

そんな私が仕事をする中で、最も自分の能力を生かせると感じたのは、

① 本庁では、事業がどのような法律や要綱に基づいて行われるのか市町村担当者に説明をするとき

② 税金の仕事をしていた時には、どうして税金を払わなければいけないのか、その計算はどのような根拠に基づくのか事業者の方に説明をするとき

③ 港の管理をしていた時には、港で仕事をする会社に、新規事業の説明をしたり、港湾に関する法律や条例の説明をしたりするとき

でした。

こういうとき、私が説明をすると、相手の顔色が明るくなって「分かりやすかった。ありがとう。」と言ってもらえる回数が、他の人のケースより多いのが感じられたからです。

 

そして、私が静岡県職員として説明をしている根拠は、あんなに興味がなかった「法律」だったのです。

 

そこで、私は「法律を使って人にアドバイスしたり、助けたりすることは、ひょっとしたら自分の能力を最大限に生かせることなのではないか?」と思い始めたのです。

 

そこから、私が「弁護士になること」「法律を使ってできるだけ多くの人にアドバイスすること」への挑戦が始まったのです。

 

ですから、私にとって、講師として法律を教えることは、弁護士の仕事をすることと全く同じ動機に基づくものです。

 

だからこそ、現在も色々なところで法律を教えていますし、今後も「法律をわかりやすく伝える」ことに挑戦していきたいと思っているのです。

 

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